長編小説

□complex
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第一章/色摩葛の場合


彼はいつも、他人の目を気にしていた。
子供の頃は短かった髪も今では随分と長い。
そしていつの間にか、人目を避けるように、下ばかりを見て歩くようになった。
そんな彼に人々は「暗いな、お前」と言った。
彼は気にすることなく、笑みを浮かべ、頷いた。
そうすれば、人々は「不気味だ」と眉根を寄せた。
いつしか、彼の周りには人々は寄りつかなくなった。

ボサボサの黒髪(よく言えば、今風のお洒落)に、黒縁眼鏡、若干俯き気味に歩く彼の名は、色摩葛。
彼はいつも、他人目を避けて生活をしていた。
その理由は、彼の瞳にあった。
彼の家庭は少々複雑で、彼には同い年の異母兄妹がいた。
そして彼の産みの親は外国人で、彼を産んだ時、そのまま帰らぬ人になってしまった。
彼は自分の母親は今の母親だと思っていた。
けれど、おかしいと思ったのは小学校にあがってすぐの事だった。
子供というのは残酷で、それ以上に残酷な母親たちは、彼の目を非難した。
その時、彼は父親に「僕の目は誰の目なの?どうして僕は皆と違う目をしているの?」そう問うた。
父親は溜息交じりに「内緒だぞ」と言って話しはじめた。

「お前と、椛の母親は別々なんだ。父さんな、駄目な人間だから、一度に2人のお母さんを愛してしまったんだよ。でも、今は葛を産んだお母さんはこの世にいないんだ。葛のお母さんは葛の命と引き換えに亡くなってしまったんだよ。だから、お前の目は唯一、お母さんのいた証を持っているんだ。今、一緒に暮らしているのは椛を産んだお母さんだよ。今のお母さんはこんな駄目なお父さんを許してくれたんだ。だから葛は今は今のお母さんの子供なんだよ。こんな難しい話、まだわからないよな」

そう言って、頭を撫でた父親は彼のお母さんの分も一緒に、親の優しい顔をした。
幼いながらにその話を理解してしまった彼は、両親にいじめられていることを言わなかった。
否、言えなかった。
同い年で兄妹の椛は素直に、泣きながら両親に助けを求めた。
こうして、成長してきた彼はいつしか、自分を上手に守る術を身につけていたのだ。


「葛。おはよう」
「ああ、向日葵おはよう」

僕に声をかけてきたのは、いつも甘い香りを引き連れた、まるで名の通り、ヒマワリのような男で実家はケーキ屋兼花屋という、少しおかしな組み合わせだが、いくつもの雑誌にも取り上げられるほど有名店なのも事実。
ちなみに、店名は『ひまわり』だったりする。
そこの一人息子、吉田向日葵は僕の目を受け入れてくれた人で、僕の大切な友人の一人だ。

「朝さ、学校に来る途中で天音ちゃん見つけたよ。驚いた。野良猫数匹と戯れてんの。一応、遅刻するよとは声かけてきたんだけど、たぶん、今日はお昼頃に来るんじゃないかな」
「はは、天音らしいね。でもその猫みたいな自由さが彼女の良い所だと思うよ」
「葛はよく人の良い所を言うね。どうして今まで友達がいなかったのかが不思議だよ」
「人の傷口に塩を塗り込むことはやめてくれるかな?」
「ごめんごめん」
「悪いと思ってないだろ」

笑いながら駆けだした向日葵の後を追いかける。
ちょっと前の僕にはありえない光景だった。



「〜であって、この文章には」

僕の耳が腐っていなければ、この授業は模範通り過ぎて、面白味に欠けるだろうと思う。
例えば、苺のショートケーキを買うのに、普通のショートケーキを買うか、雑誌にも取り上げられた、その店だけの魅力的なショートケーキを買うか、という違いに似ている。
科目は違えど、人気のある授業というのは少なからず、その先生にしかない魅力的な部分があるからだ。
ちなみに、この授業を退屈せず聞いている生徒は指折り程度だと僕は考えている。
まぁ、自慢ではないが、このクラスは頭の良いクラスだから、授業中に寝ている者を見ることはほぼ皆無だ。
この学校は定期テスト毎にクラス内の人間が変わる。
それも、席順で成績順位がわかるようになっているのだ。
クラス数は10クラス、どのクラスも30人程度で編成されている。
僕がいるのは1組で、席は窓際一番前の席、つまり、学年一位と言うことだ。
僕の後ろの席は空席の事の方が多い、それは、自由人、天音の席だからだ。
その後ろには向日葵が座っている。
チャイムが鳴れば、授業が途中であろうと、先生は教室を出て行く。
それと入れ替わるように、すぐに椛が訪ねてきた。
その側らには、椛の親友、柄沢枢が凛とした姿勢で堂々と歩いていた。
椛と枢は3組に属していて、テストの度に2組と3組を行き来している、僕からしてみれば忙しい学校生活を送っているのだ。

「向日葵、新作はまだなの?」
「なんで、お前はそんなにうちの新作が気になるんだよ」
「ファンだから」

ちなみにいうが、向日葵と枢が腐れ縁で、枢は幼い頃からひまわりの常連客なのだ。
毎日のおやつはひまわりと決まっているほど。
そして新作ができれば、試食をしに行き、枢が美味しいと言えばそれで商品になるそうだ(僕はひまわりのオーナー、つまり、向日葵の親父さんから聞いた)。
それほど、枢の味覚は正確なものらしい。
甘い物の苦手な僕からしてみれば、よくわからない感覚だが。

「おはよう」
「あ、天音ちゃん。おはよう。今来たの?」
「うん、今来た。てんは猫と遊んでたよ」

マイペースな天音は自分の事を“てん”と呼ぶ。
僕は彼女自身が猫が化けてできているのではないか、と、幾度となく考えたが、それを誰にも話したことはなかった。
そして、これが僕の目を気に留めない、僕の愉快は友人達だ。
 
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