長編小説
□complex
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友人とは、常に一緒に行動できるわけではない。
例えば、移動教室での授業。
担当教師が自由に作ってしまったグループでは、大抵、仲の良い人と離れる。
その理由は、この担当教師が僕のクラスの担任だからと言うこともある。
僕は、名前すらあやふやなクラスメイトと共に、ひとつの机を共有する。
できるだけ、声を掛けられぬよう、俯き気味に、頬杖をつき、配られたプリントをじっと見る。
けれど、やはり、お互いがお互いにあまり仲が良くない為、声はすぐに掛けられることとなる。
「色摩君だよね?」
「あ、うん。そう」
「じゃあ、色摩君、ここの目盛読んでくれるかな?」
にこりと、微笑みながら言う小出(顔と名前が合っていれば、そのはずだ)。
彼女は他のクラスにも友人が多く、男子からは容姿端麗ということで、何度か告白を受けている所を見かけたことがあった。
僕は容姿にはあまり興味がない為、彼女に好意は寄せていない。
小出に言われた通り、眼鏡と前髪越しに細かな目盛を見る。
班員が僕を見ているのがわかった。
どうしてか、心臓が激しく鼓動する。
嗚呼、そうか。この目を見られたくないのか。
「いくつ?」
「5.8かな」
「ありがとう」
小出がシャーペンを動かす。
つられて班員もプリントに書き込みをする。
僕もそれに倣い、プリントに書き込みをする。
「なぁ、色摩。ここって、これでいいのか?」
小出が声を掛けたことにより、班員の僕の他、唯一の男子である、内藤がプリントと実験道具を比べながら話しかけてきた。
僕はそれに答えるべく、プリントと実験道具を交互に見る。
「色摩君、前髪長いね。邪魔じゃない?」
そんな時だった。たぶん、小出さんの厚意だったと思う。
そのやりとりを向かいで見ていた小出が僕の前髪に触れた。
僕は驚き、小出の手を払う。
彼女は小さな悲鳴をあげる、実験道具が大きな音を立て倒れた。
僕に視線が集まる。ぞっとした。
「色摩、お前、カラコン入れてんのか?」
内藤がそう言った。
内藤の方を見れば、目が合ってしまった。
僕は、先生の制止の声も聞かず、教室を飛び出した。
見られた。見られた。見られた。見られた。見られた。
落ち着け。落ち着け。大丈夫だ。見られていないかもしれない。
いや、でも、目が合った。内藤が僕の目をしっかりと捉えて離さなかった。
カラコンって言った。クラス中の視線が僕に向いていた。
カラコンだったらどれだけ気が楽だろうか。
抉り取って、皆と同じ、真っ黒い眼球を埋め込めたら、こんな窮屈な思いしなくて済むのに。
僕の脳天に矢を刺すように、チャイムが鳴った。
僕はびくりと肩を揺らす。
生徒が廊下に溢れてきた。
「葛」
「うわっ!」
「あー、悪い。驚かせた」
急いで振り返れば、向日葵と天音の姿があった。
ほっと胸を撫で下ろす。
「教科書、持ってきたぞ」
「ありがとう。あの、小出さんは……」
「大丈夫。怪我はなかった。でも、葛のこと気にしてたよ。後で声かけてみたら?」
「……うん」
たぶん、僕はこのまま教室に戻っても、彼女に声は掛けないだろうと思った。
それよりも、僕の目を見た内藤の事が気がかりだった。
教室にそうっと戻り、席に着く。
心臓が強く脈打ち、痛く感じる。
クラスメイトがこちらを見て、内緒話をしているように思える。
居心地が悪い。
「色摩君」
「な、何?」
「教室、飛び出して行ったから驚いたよ。ごめんね。急に前髪触ったら吃驚しちゃうよね」
照れ臭そうに、片手を頭の後ろに置きながら言う小出。
「いや、こっちこそ、手、払ってごめん。怪我してない?」
「大丈夫だよ」
ほらっと言いながら、こちらに両手を向けて見せた。
僕はそれをちゃんと見られなかった。
すると、背中に何かがあたった。
振り向こうとすれば、天音が静止の声を掛けた。
僕は言われた通り、じっと前を向く。
少し、背筋がよくなる感じがした。
「小出さん、葛はとても緊張している」
天音が後ろから僕の前髪を掻き上げた。
慌てて抵抗しようとするが、遅かった。
小出がじっと僕の目を、眼鏡越しに見る。
僕は、どこに焦点を合わせていいかわからなかった。
「どう?」
天音が手を放して、僕の前髪を下ろす。
彼女はゆっくりと口を開く。
「気持ち悪いね、変な目」
それはあまりにも素直すぎて、僕の中に捻じ込まれるにはそう時間はかからなかった。
内藤は小出に便乗して、僕を罵った。
僕は、俯き、涙を堪えた。
「こんなに綺麗なのに」
天音が僕の首に手を回す。
「あなた達の目は随分と腐っているようね。よっぽど葛の方が素直で、美しい、純粋だわ」
天音はいつも、僕が欲する言葉をくれる。
次の授業、僕はずっと机に突っ伏して、泣いていた。
放課後、そっと僕の世界が揺れた。
少しずつ、意識が浮上していく。
「起きた?」
「椛?」
掠れた声で、目の前の人物の名を呼ぶ。
すっかり、教室は静けさを取り戻していて、代わりに校庭からは部活動の活気溢れる声がした。
「泣いてたの?」
「そうみたい」
眼鏡を外して、目元をこする
。
「皆、もう帰っちゃったよ。葛も帰ろう?」
「うん。ごめんね。ありがとう、椛」
「ふふ、当たり前だよ。お兄ちゃんだもん」
椛が僕の手を引いて、廊下を歩く。
そして、手を繋いだまま帰路につく。
途中にある、ひまわりに立ち寄れば、待っていましたと言うように、向日葵、天音、枢が手を振った。
天音の隣りでは、こちらを気にする様子を一切見せない、細身の男がひとり。
「桐也だ。久しぶり」
「どーも」
桐也は僕達のひとつ後輩で、天音のいとこだ。
僕は、彼をよく知らない。
ただ、たまに姿を見せて、天音に甘えて(甘えられて?)帰ってしまう。
僕にしてみれば、天音以上に不思議で、謎な人物であった。
「つか、葛先輩、眼鏡してないんすね。珍しい」
そういえば、忘れていた。
目はいい方だし、眼鏡は目を隠す為のものだからもちろん伊達眼鏡だ。
かけていてもかけていなくても、見え方には何の支障もない為、つい忘れてしまう。
まぁ、フレームがあるから邪魔に思うことはあるが。
「泣いたんすか?」
僕は、少し彼が苦手だ。
彼は人を見ていないようで、ちゃんと見ている。
人間観察が趣味なのだろうか。
「少しね」
「またその目の事で?」
彼は遠慮という言葉を知らない。
ずかずか土足で僕の中に入り込んでくる。
僕は、笑みを浮かべてカウンター席に腰掛ける。
マスターがサービスと言って、僕の好きなレモンティーを出してくれた。
僕はそれに軽く息を吹きかけて、一気に飲み乾した。