CP9小話


□acordar
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 暗闇の中で梟が鳴いている。静かな鳴き声に乗せられるように島を覆いつくそうとする木々が風によって枝を揺らした。曇り空のもと、月明かりすらないとある木の幹の影で搔き消えそうな呼吸をする。気温が温暖とされるこの地域でも夜の気温は温かいとは言えないものである。わずかに冷たさを持つ指先の感覚を研ぎませながら、ただじっと身動きすることなく潜むものがいた。
 あたりを森に囲まれたまま手には武器すらない。いや、この男は武器は必要としない。武器となるものがすでに存在するからだ。自身の手や足。人体を武器とするときのメリットとはこのような場合にも適する。

 すぅっと風の匂いが変わった。風向きがかわったのではない。視線の先。暗がりの中を蠢いていたものがこちらに気づいて、軌道を変えた。その足取りに規則性はない。獣のように。本能的に。目の前にいる得物を見つけ駆け出している。静けさを漂わせていた森がざわめいた。鬱蒼と生える木々をなぎ倒し、”それ”は確かに、男へと近づていた。

 眼前で身を隠していた木の幹が根元からごっそりと抉られる。その怪力の持ち主は姿をくらましていた男の姿を捉えると理性のないはずの獣は確かに、ニタリと笑ったのである。
 焦ることなくルッチはその場から距離を取る。だが同じ六式使いの性質上、練度に差はあれど一定以上の距離を取るに足りるとは言えない。現状それに至る理由がもう一つあることは理解できていた。
 障害物の多い樹林の中を足先の感覚のみで軌道修正していく。獣は構わないのか、巨体に樹木が当たろうものなら数刻ほど前から何ら変わらない怪力でなぎ倒していき、突進の勢いが収まる気配はない。
 僅かずつ距離が詰まり始めたころルッチは剃の速度をあげた。地を蹴っていた足先は飛びのいて木幹へと張り付く。だが逃げるためではない。これまで殺し続けていた、六式の威力を倍化させるために前進する。
 獣は反射的に彼の顔の倍はある爪をふるった。五つの爪が曲線を描く。振るわれる爪が最後まで振り切られる前に、そのうちのいずれかが白肌を見せる喉元へとかかる。
 鈍く激しい衝突音だけがあたりに響き渡ると、うめいたのは獣のほうだった。首にかかった獣の爪は刺さることはなく鉄塊の強度がそれを打ち消していた。刈り取らんとしたその腕を一瞥し、ルッチは獣へと視線を戻した。吐血は両者ともになく、獣の腹部に確かな手ごたえを感じた。ひるんだ隙に今一度身を潜めると獣が咆哮する。音とも取れない声を聞きながら。

 兆候は一週間前から現れていた。それは自分も、同じくカクもそうで、けれどその正体が何であるかを掴めていなかった。びりびりとした殺人衝動のような高揚感がぬぐい切れず、いつしかそれが身体に染みのように溢れだしたのがほかでもない、最年長の彼だった。その相手を務めたのがルッチである。嫌になくしつこいジャブラの手合わせに苛立ち、これまでも何度か見せた殺気を向けた時だった。己の中にいる悪魔がなにかに反応した。噴出した汗を拭いながらこちらを見るジャブラの目が平常のそれと異なっていて、謎であった感覚の正体をその瞬間に知った。

 過去、自身が請け負った任務と海賊殲滅において、それを見たことはない。動物系能力の覚醒の瞬間を船上にいた全員が目撃することになる。



 あの程度の威力ではすぐに回復されることは目に見えていた。今この瞬間に後退を余儀なくされている時点で力関係は明白なほど変化していたのが否応なく突きつけられるからだった。
暴走にも似た衝動を元同僚たちに矛先を向けてからすでに半日は経過していた。

 匂いを辿られぬように風下を避けて足を止めた時、船内にあったあまり質が良いとは言えない刀を持ってカクが姿を現す。

「どうじゃ、様子は」
「同じだ。何も変わらん」
「やはりすぐに回復されてしまうか。面倒じゃのう。わしらの能力の覚醒とやらは」

 汗一つかかずそう言うルッチにカクが続けた。政府の情報として記録されている能力の覚醒のうち、動物系においては資料が少ない。それは政府内の能力者にその覚醒者がいないこと。覚醒というステップにたどり着く海賊が少ないことの意でもある。
 最も、動物系の覚醒で厄介のはそれだけではない。

「あまり奴に近寄るな。二の舞になる」
「それはルッチ、お主にも言えることじゃろう」

 もともと能力者の覚醒者が少ない一方で覚醒の事例がさらに少ない動物系の覚醒には面倒な副産物ともいえるものがある。

「能力を使わずにおれば、あちら側にのまれないと本気で思っとるのか?」

 返答のない代わりに静寂が答えを示していた。以前の能力による人獣型とはさらに体の大きさが増した上に、あまりにも早い回復力。そして同系統の能力者にも同じ覚醒を促すなど、邪魔なものでしかない。
 六式一つをとってマイナスに作用もしないが鉄塊をかけたまま動くことを可能にしているジャブラには六式すべてにおいてさらに強化がかかった状態に等しい。それに加えて、こちらは能力を使えば先が見えない。暴れたいと内から叫ぶ悪魔を呼ばぬように距離を取り続けているほかにないのだ。

「……フクロウが目を覚ましたぞ」
「それで」
「お主の五倍はあるそうじゃ。ジャブラが聞いたら喜びそうだのう」

 カクのいう五倍は六式と能力を発揮している今のジャブラの道力を言っている。掛け合わせてその威力だとすれば、能力を使用せずの今の状態では。いや、むしろ、能力を使ったとしても、互角とは言い難い可能性がある。
 鉄塊は敵の力量が己の道力を上回った時、もしくは近しい威力の攻撃には能力を最大には発揮しない。場合によっては使用者の精神的乱調にも威力を変動させる。麦らわとの一戦で見えたものである。

 「全員配置についたな」

 先ほどのカクの言葉などまるで聞いていなかったようにルッチはそう告げる。その問いにカクは答えることはせず帽子を深くかぶりなおした。刀を持ち替え指示を待つ。

「甘くなったもんだのう」

 その独り言を果たして彼に聞こえただろうか。きっと聞こえていないふりをしただろう。それは誰よりも彼がよくわかっている。それでも最後の手段を成す前に自身が先陣をきっている。自分ですらジャブラの叫びが身体に刺さるたびに悪魔がほくそ笑むのがわかる。身をゆだねろといっている。それはそれで楽しいかもしれない。
 でもその最後を考えた時、見えた先で幼いころから見続けた男はこうして同じ手段を取るのか。正直そんなものは見たくない。この男は誰よりも冷酷で人としての皮をかぶり続けていなければいけない。憧れていた強くて無感情の男がわずかな情を示した時、彼を殺すのは自分なのだから。
 けれど、その情がいまや同僚を救う道にいる。きっと。これは寄り道なんだ。いつかまた日の当たらない世界に戻る前の、小さな寄り道だと。こんなことはもう二度とないと、願っていた。






***

 森が鳴く。枝がこすれ合い、がさがさと音を立てている。匂いの途切れた位置に立ち尽くしていた獣がぐるりと翻った。人の気配はない。ぴくぴくと大きくなった両耳が機敏に動く。彼の、獣の見る正面から無数の斬撃が乱れ舞う。森を切り開きながら斬撃は斬数を減らすことなく向かってくる。迎え撃つ構えを取るとその背後でも同じく三日月型の斬撃が舞いだす。正面と背後だけではない。四方からの嵐脚の向かう中心で獣の姿は一瞬だけ消し飛んだ。
 無数の斬撃がぶつかり合い、打ち消し合いながら終着点となる大地に傷を残していった。森と、地上を削った斬撃が粉塵を散らすなか、空へと上がった土煙の一部がさらに空へと飛び出すように線を引いた。上空へと退いた獣の姿が月明かりに照らされる。
 身体の周囲を渦巻いていた粉塵が風と共に霧消する先に、男が飛び出す。獣の反応は遅れた。だが遅れたのは視界が広がるまでの最初だけ。構えを取ったルッチの目前で獣はすでに大きく口を開けていた。

 右の上腕に今度こそ獣の牙は食い込んだ。

 ぶちぶちと骨と肉がかみちぎられていく。両腕の構えが乱れ、獣はさらに追い打ちをかけるように心臓めがけて爪を立ててきた。数倍の威力となった十指銃を受けてもなおルッチの意識は保たれていた。それでも痛覚を消し去ることはできない。
 口の端から溢れだした血とかみつかれている右腕から多量の出血が生まれる。獣は笑った。動きを止めた獲物に勝利を確信する。
 空中で揺れる黒髪が男の表情を隠す。下降していく中、月明かりによって口元を彩る朱を見つけた時だった。

───鉄塊。

 不意に、獣はうろたえた。突き立てた牙と爪がどうしようもなく締め付けられる。根元から伝わってくる妙な痛みにうめき暴れた。その動きにびくともしないルッチがこちらを見ていった。

「くれてやる。だがな」

───高くつくぞ?

 僅かだが獣の動きが鈍る。その瞬間にルッチは獣から身体を引きはがしにかかる。鉄塊を解き、だが突き立てられた牙も爪もそのままに、なんのためらいもなく、腕を、身体を後退させた。勢いをつけた流れのままに右腕は悲鳴を上げている。食らいつかれた衝撃からすでに痛みを感じなくなっていた。
 残った左腕で胸に突き刺さった両腕を引き抜く。栓を失った傷から泉のように朱が吹きあがった。それはいつしか空中で玉のように円を縁取って、両者の間で赤い雨となった。
かろうじて繋がっている意識と悪魔がせめぎ合う。みしみしと内側から湧き上がっているのがわかる。獣は距離を取られながらもいまだに攻撃をやめない。血濡れた牙を、爪をふたたび突き立てようとしている。
 月が雲に隠れる寸前、消えていく月明かりが照らしたのは先ほどとは異なり斑模様を広げていく男の笑みと再び両腕を構えている姿であった。




 地上まであと数メートル。その一瞬に勝負はついた。







***



 電電虫がコールを告げている。しつこいほどのコールに誰かを察し、受話器を取った。

「やっと出おったか。相変わらず遅いのう、ジャブラ」
「うるせーなぁ、俺ぁ任務明けなんだよ」

 飄々とした声がする。気に留めず返事を返せば、「たるんどる」なんて生意気な声が返ってきた。

「それは悪かったの。だがもう一つ仕事が待っとる。ご指名だそうだ」
「……あいつは俺を何だと思ってんだ」
「さあ。本人に聞いてみたらどうじゃ?」

 よく言う。こっちに顔を見せること自体ない癖に。裏で動くこちらとでは勝手が違う。不用意に戻れば、天竜人の信用にもかかわるとわかって言ってるのだ。

「……あとはそっちで正式な任務がくるじゃろう。頼むぞ」

 返事を待たず通話は切れる。受話器を置き、ぐぐっと伸びをする。随分と使いっぱしりにしてくれるもんだ。

「化け猫が、いい気なもんだぜ」

 自室に一人。誰に言うでもなくそうつぶやくと部屋をあとにした。後任の長官はさてはて、この任務がなぜ自分に指名されたのかまた不思議に思うだろうことが面倒だなとジャブラは頭を掻いた。



「これくらい自分でやってくれんかのう」

 船内。受話器を置いたカクが背後で腰かける男に言う。意に介さずにいる彼の視線は海の彼方を見ている。船内から見える小さな海をみるその瞳は淡く青に染まっている。

「野良犬に餌が必要か」
「疑似餌はひどいじゃろう」
「よく言う」

 そう言葉を付いてでた彼に呼応すように、右腕にわずかな痛みが走った。


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