CP9小話


□獣の心底
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見慣れた海は変わり映えしない青に包まれている。押し寄せる波が時折、飛沫を飛ばす。幾度となく揺れ動く水面ではいつの間にやら転々と波紋が生まれていた。鳥獣の類はいない。翼などありはしない。けれど確かに何かが海に触れていた。と、影が水柱を生む。間欠泉のように上がった柱がさらにはじけたかと思うと、全身に飛沫を浴びながらも睨みあいを続ける二つの影がようやくそこで静止した。
一人は両腕をだらりと下げて二刀を構えている。姿勢は前かがみのまま空に舞い、もう一方は先の男とは違い、利き腕と思しき片腕を背中より下、腰に添えたままである。わずかに乱れる髪が水を吸い肌に張り付いても微動だにしない。調音のとれた足音を響かせたまま降り注ぐ雨はしだいに止んでいく。
一瞬、足音が消える。姿は消え音もない。常人には見えないその動きをわずかな風の流れと、己の動体視力のみで追う。側面に現れる、束ねられていない黒髪。手刀が躊躇することなく心臓を狙う。的を射るように的確に打ち抜くだろう手刀にカクも迷うことなく刀を振り下ろした。
まるで鉄と鉄がこすれ合ったような音がする。その直後切っ先と破片が視線にはいる。垂直に振り下ろしていた刀の切っ先が両者の目に映った。
強度の差は問題ではない。彼はこれでいて全力ではないのだから。折れた刀身など気にせず空へとあげる。そのついでに、使い物にならない刀をルッチ目掛けて放り投げてやると、羽虫でも落とすように簡単に弾かれて海へと落ちていく。少し気に入っていたのに、と思ってもいないことを考えている間に距離を詰められた。
左手にある刀を振り上げる。けれどそれが振り下ろされようとして何かに引っかかったようで衝撃が身体を揺らした。否、よく見れば、構えた手首をつかまれている。ああ、通りで。でも、

───好都合。

捕まれたのは手首だ。手のひらではない。握るなら、手の甲から手首を握らなくては。くっと握力を弱めると支えを失った刀が重力に沿って滑り落ちる。その手前に今一度握力をこめた。柄の部分の半分ほどを過ぎたあたりで指先で柄を捩る。旋転した刀の剣先が逆転し、先ほどと同様に重力に沿っていく。切っ先が落ちきる寸前、至近距離で受けた蹴りに鉄塊を通して痛みを伝達してきていた。めり込んだような、そんな錯覚をおこす。実際は鉄塊の強度が不足したことで生まれた感覚だが、いまのところどうでもいいことだ。

「なんじゃ、わざとか」
「当たり前だ」

衝撃に押されて距離が開く。鈍い痛みに眉を寄せながらカクが問うと、それ以外になにがあるといわんばかりの返答がした。

「扱いきれんのなら使うな。体技には邪魔だ」
「それはお主だけじゃろうて」
「ならお前が弱いだけだ」

声が背後からして、翻ったと同時に拳が見えた。はじいても良かったが瞬間的に鉄塊をかけたまま威力をあげてきている拳は弾くよりも受けて流した方が次の動作に余裕ができる。だがこの男の前で余裕だったということはほとんどない。受け流した拳が鉤爪のように開くと、心臓と同じく人体の急所である頭部を狙われる。掻い潜った拍子に先ほどのお返しとばかりに足元を掬いにかかると、読んでいたようであっさりと躱された。トン、トン、とリズムが心地よい音が少し延びて、海上に再び足音を響かせた。

「そうかのう。わしは剣術で負けたことはないぞ」

ルッチ、お前にもな。とぼそりとつぶやいた。音になっていないはずの言葉を聞き取ったのか。読唇したのかはわからない。ただその瞬間にまだ穏やかさを残していた彼の体がざわついた。ひりひりと殺気を放ち、力を抜いた利き腕が軽く拳をつくっている。

「ほう? 得物があれば勝てるか」
「かもしれんな」
「……随分と生意気になったな」
「誰かさんのおかげじゃな」

はは、とカクは笑んで見せる。すれば彼も笑んでいた。自分とは異なる感情を乗せた笑みを見せている。さて、ここからだ。愛刀している残り一振りがいつまで彼の体技に耐えてくれるか、正直見当もつかなかった。


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