CP9小話
□透いた心に虚偽連ね
1ページ/1ページ
歴代最強と呼ばれるようになったのは確か水の都へ潜入する前の話、だったような気がする。決してこの文言は自分たちが言い出したものではない。知らぬ間に、いつの間にか、兵士たちや上層部の間で広まったものであったと記憶しているからだった。
事実、それに見合うだけの能力を有していたわけだが、今となってはどうでもいい。というべきかもしれない。拭い去るだけの戦果をあげようと、これから先にも後にもこの敗戦の記憶が消えることはないのだから。
積雲の浮かぶ空に、船を進める進路の先に、標的ととれるものはない。鏡のように青い世界の広がる中にあるたった一つの色を眺めていると、その白を割くように黒の一線が横切っている。
空を撥ねる両者の身体には切り裂く刃も、貫く弾丸も、それを防ぐ盾も、すべての術を備えている。けれど今はそれはなく、優劣をつけるならこの訓練において、最強の名をほしいままにした男よりも幾何か年上の、誰よりも拳法に長けた男にそれはあるだろう。
弾丸と同じ速度で突くことを可能とする技があるように、技として使用せずとも体技の応用はそれぞれで異なる能力を高める強みになるのは確かだ。
尺骨を盾にして前述したものとほぼ同じ威力の拳の軌道をそらすと前腕に擦れた互いの皮膚がわずかに熱を持つ。十字に重なり触れ合う腕をうち、軌道を変えるためにたてる前腕から上の、手首から指の先を逆さ針のようにひねり一文字に伸びる腕をひっかける。拳を開き、そこからさらに手首を返して攻撃に転じた腕を捕える。
間をおかず、自身の攻撃範囲へと引きずり込むが、そう簡単にこちらに主導権を譲るほど簡単に勝たせてはくれる男ではない。こちらが捕えた腕とは逆に残された片手が情けなど知らないと言うように重ねられて一つとなった二本の指先が視界の大元を抉りにかかってくる。
瞬間的に距離をとるために捕えていた腕を離すと逃さないと同じく一歩後退したルッチとは反対に前進してくる。
束ねていた黒髪が後退する身体とは異なって流れる風の方向のままになびいた。
船の甲板と言うのは戦闘の場にするには少し手狭だった。飛びのいた終着点。転落防止用の柵に足をかけると同時に三つ指をつく。足元など見ていない。見ているのはさきほどら変わらず敵となる彼である。
そのうち三つ指の形が一つにとなったことにジャブラは気づく。彼の得意な体技が来る。それが真実とは限らない。これはあくまで体技のみの訓練ではないからだ。しかしその姿、取り決めに嘘がなくとも、勝利に貪欲なのは自身も彼も同じだから。やることが遠からずも同じ選択肢が決まってしまうのだ。
右手の体技は囮だ。体技はなしだが、能力なら、上限を決めていなかったから。
「ーーーそうくるよなァ」
能力を上乗せしたことで、脚力が跳ね上がる。体技ではない、ただの弾丸が目前へと迫る。速度の上がる中で、直線的な弾丸を同じく強化した脚力でかわす。いや、脚力ではなく、こちらは腕力と言うべきだろう。相手が脚なら、こちらは腕、というだけだが結果から言えば取り決めぎりぎりのことをそろいもそろってやっている。
まるで子供だ。
そういえばきっと、一人は怒鳴りつけるし、もう一人は冷ややかな視線をよこすだろう。
けれどこうして自分よりも年上の男たちが享楽する姿を滑稽とは思っていない。似たようなものだから。割り切る言葉の通り、自分も変わらない子供だから。彼らに見られぬように、口元を覆ってくすりと笑う。
しかしいつまでも見ているばかりではつまらない。同じ技を会得しているからなのだろうけど、やはり魅せられるというのは心身ともにいい刺激になる。
そろそろ交代しろ、と告げようとしたとき。その言葉が先に漏れ聞こえてきた。
それは最年長の彼が先に。それに続いて、もう一人が舌打ちを漏らすのが聞こえた。
「自業自得だな」
「うるせぇ」
揶揄する声とともに構わないと、先ほどとは姿を変えたルッチが返答する。構えを崩したジャブラに対して、再度ルッチが構える。突きだした拳が不意に開くと、掌が空を見て指先が数度上下する。
「悪ぃが、そりゃあいつにやってやるんだな」
「あ、逃げおったな」
振られたのが己であると気づき、カクが咄嗟に抗議した。逃げたというのも御幣だが、彼にしてみればその僅かな邪魔もないまま続けたかったというのが本音なのは理解できた。
「逃げてねぇ。さっきからそわそわしてたひよっこが言うかよ」
「わしだってルッチとやるなら始めからがいいわい」
「ーーーてめぇらは餓鬼か」
「……言うじゃねぇか化け猫」
「そっくり返す。野良犬」
相手をしないなら用はない。そう続けたルッチが構えをといて髪をかき上げる。
CP9の着用する衣服は平凡な衣服とは明確な差がある。任務において体技を阻害しないように素材から何から一から作られるからだ。特に体技の中で身体の速度を変化させている嵐脚や指銃。剃といった体技の使用頻度によっては身体はともかくそちらが保たない場合がある。
そこに能力を付加するとなれば、例外が生じる。というのが元職における要因だが、いまは全く違う。だから微調整の度合いによっては髪留めすら使い物にならなくなる。最も今回の場合はジャブラの言う通り、自業自得というのは的を射ているわけだが、彼は元職と変わらずに特製の髪留めを用いているので何とも言えない部分もある。
かきあげた黒髪が海風になびいてひろがる。指に絡みついた黒と肌に張り付く黒を鬱陶しそうに払いながらもその目はまだ死線を見ているようだった。
「物足りない、という顔しとるのう」
「質が落ちたな。お前の目も。何を見てた」
「何も。わしも同じじゃからな」
一足先に抜けたジャブラを差し置いてカクがゆっくりと近づく。立ち上がった拍子に隠しに手を突っ込んだままである。
「終いにするにはもったいない」
言うが早いか、カクが隠しから何かを取り出した。まるでカードのように指先に挟み込んで揺らしている数個の円形のなにか。
飾りにしては小さく、けれどそれが何かは彼には言わずともわかるもの。ルッチの表情が一瞬だけ変わる。
とっくに処分されたのだろうと思っていたものが目の前にある。その意味が分からないほど彼も自分もそこまで子供ではない。
「ーーーもう一勝負、どうだ?」
首を傾げて誘う。すると彼の唇が確かに「Yes」と告げた。