CP9小話


□Rapport
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任務外報告、追手の海軍撃退において麒麟の技を勝手に使う豹と生命器官



 違和感はあった。いや、あるという確信があった。この程度で、あれくらいの戦闘で彼の気がまぎれるわけはないと。例えその行動が僅かな本心と洗脳にも似た意志によって起こされたものであってもだ。五年もの間に終始上下が変わる海の上で彼の相手を務めたのは紛れもなく自分であって、そのことを知っているのはあくまで限られた身内だけである。それだけでも憶測を立てるには十分な材料であることをたった数日の日常を生きたことで置き去りにしてしまったのだ。
 己の限界を引き出して、その限界値を超えた人物がいるということ。折れない意志を持つ一味の船長が彼の脳裏に、自分にはどこまでも傲慢で強者だという顔をした剣士の顔がちらついているかもしれない。
ならばこんな、中将の地位すらいない兵の戦力などに彼が満足するなんて、ありえない。

 故郷には表立った港町などない。海軍が所有する島、それだけでも安易に近づこうという気は起きないが、それが同属なら話は変わる。何を待っているのかもわからない船がその場に留まっていても、それが身内の始末などとまず思わない。だがこれには一つだけ小さな穴がある。

身内の始末に、返り討ちがあるということを兵士たちはまず知らないのだ。

 上陸してきた兵士のうち最後の一人をのした後で、各自能力の解放を抑える。本来の姿である人型へと戻り、形変わらぬままに能力を隠し、常人離れたその容姿が人へと形移るものとそれぞれだ。しかしそれは臨戦態勢を解いた、というには言い難い状態であり、さほど体力の消耗もない。先行した兵士の現状をありもしない好機を伺いながら船の甲板から覗く兵士が階級上位の上司へと報告を続けているのが見えていた。
 三流以下の獲物ばかりでもやっていることは組織の中で生きるなら必要なことである。
ただそれが良いものばかりとは限らない。ひたすらに出方を伺う兵士が、掲げて覗いたガラス越しの世界はそれはとても狭い世界だろう。こちらの一挙一動を事細かに報告するのも良いことだが、逆を言えばその役目は目立つのだ。
 光のない暗がりならば役に立ちそうにないそれは今においては太陽から降り注ぐ光を反射してこちらに自身の動きを教えているということを。

「やめとけよ。てめーは病み上がりだろ」

 制止の声はあるけれどどことなく嬉々としたものが含まれていて、全くと言っていいほど言葉の意味をなさなかった。でもそれは言ってしまえば彼なりの催促でもあったのだと気づくことができる。短くも長く燻ったのは何も年長の彼だけでないということ。
海風が頬を撫でていく。自分とは逆に長く、束ねもしないままなびく黒髪を彼の背中とともに見ていた。

「教えてあげたほうが身のためよ。関わるなら相応の準備を、とね」
「ちゃぱぁ、カリファがやる気だぞ」
「あら、私よりカクのほうだと思っていたけど?」
「冗談を言うな」

 ひらりと手のひらを返して答えると、それに反応するかのように海風は止まった。風が消えて、能力を解除してから一度としてこちらを見ない彼の周囲にあったざわざわとしたものが静まり返った。

「邪魔は、ルッチが一番嫌うところじゃ」

 お膳立てなど、これで充分なはずだ。これ以上は必要ない。最年長の彼も、そして自分を含めた身内同然の同僚も、これ以上のは深入りはしないと言ったのだ。
それに彼がどう答えるか。わかりきった答えに対する返事をあとは聞くだけなのだ。

「……島には入れるなよ」
「ないさ、ルッチがおる」

 さも当然のような答えを返す。ようやく振り返る横顔はすでに、見慣れた瞳をしていて口元がわずかに緩んだ。それは嬉々とした感情が表れたものであるが、今はただ顎を引いてその笑みを潜ませたのだった。
 靴の底に雑草がこすれて斃れる。葉の繊維がちぎれることはなく少しだけ折れ曲がったまま、もう一度吹いた風にその身を揺らした。

 高下と変わらない蒼天の中を見えない足場があるように進むのはただ一人。その様子を上官へと一句もらさず伝えた兵士は気づく。小さなガラス窓から覗いた男の視線は確かにこちらの存在を察知している。それはなにもあり得ないということではない。だが知れたところでそれがどうだと、兵士の彼に抜けている思考を、今ここで無理やりにでも教えておいてやろう。

 黒髪に紛れ込んだ瞳が少しだけ周囲に停留する船を嘱目したあと、もう一度視線だけが動いた。その視線の先には自身が乗船するのとは違う船がある。狙いはそちらかと一瞬気を抜いたのがいけなかったと兵士は思考を巡らすこともできない。最後、男の動きを確認したのは時間にして一秒とない瞬間である。男の両腕はたしかに、なにも持ちえず、かといって隠しから腕を抜いたのすら視認できなかった。
 だというのに遅れて響いたのは確かな破壊音とその音を生じさせたのだろう何かの軌道音くらい。ご丁寧にガラス越しに覗いた双眼のうち片方を見事に打ち抜いて見せた。暗転する視界とは裏腹に澄んだ青空が最期の光景となった。

「まず一人」

 ただ静かに、決して聞こえはしないのろしを男はあげる。とはいっても、たかが下層の兵士を一人殺した程度では何も変わらない。だがこの程度の数を相手にするというのは実際には十数年ぶりだなと思った。懐かしいというよりもどこか物足りなさが勝っていて経過した時間の長さを感じさせた。だからといって、全霊をかけて挑む連中でもない。ならば、

「知ってるか」
「何が」

 規則的に聞こえるのは一つの砲撃音。だが撃ち込まれる砲弾の数はその限りではない。訓練されている兵士にとってはこれくらいは朝飯前なのだろうなと空弾となって海へと沈む黒弾を眺めていた。

「豹は走らねぇと死んじまうんだよ」
「…初耳だが」
「嘘に決まってんだろ」

なに真に受けんだよ、そう言いたげの横顔は少し前の自分と同じものが見え隠れする。

「…結局のところ交ざりたいわけか、やらせておいて」
「やる前から気色悪く笑ってたやつに言われたくねぇ」

 肯定も否定もせずただ言葉を聞き流すと、普段のような悪態は聞こえてこなかった。でもかわりにその理由はなんなのか、彼の瞳をみればすぐに理解できた。
 ただ見ている。ルッチの動きを一つとして漏らすことなく追い続け、その脳内では自身の力量ではどう動くべきかを思案している。抜け目がないがそれはカクにも言える。
邪魔をしないという前提を覆すことがなければ彼は自由に動けということが常だったからだ。

 砲弾の行き交う空の戦場で一つとして体に触れさせることもなく、穏やかな足取りのまま一隻一隻へと距離を詰めていく。この時点でも両の腕には体技を使うような仕草はない。軒下に落ちる雨粒のようにゆっくりと、しかし不規則ではない足音が一隻の船の甲板で音を止めた。
 役に立たない銃を構える兵士は誰一人としてその場から退こうとはしない。銃を構え、発射の合図を待つことも、その合図をだそうと右手を掲げる彼らの上官も総じてどうしようもないとしか言えない頭しかない。仮にも軍に属するのだ。退くというのは勝利を手にした時だけなのだと教え込まれている。

まあ、これだけの人数なら、いい撃ち慣らしにはなるか。

 そう考えれば元々あったいくつかは除外され、達成のための戦略は一つしかなくなる。工程があるというだけで答えは同じわけだがこの際だ。効率良くいくとしよう。
掲げた右手が勢いのまま振り下ろされる瞬間、たなびいたコートの背後にある影を一人の兵士が見ていた。引き金を引き、しかし発射した先の標的は姿を消していて、次の指示を仰ぐために上官の姿を視界に捉えていたからだった。
 その視線と、姿を消した男の能力を想起して、上官である男の身体から生気が失せていった。
 ああこれが走馬燈なのかと、思えただけこの男はまだ幾何か幸せなのか。
ご苦労だったな、と思ってもいない言葉が聞こえたかどうかも知れない。
 この船で最も権限のある男はたった今死んだ。そして、自身がこの船に降りたことも周囲の船からは見えている。指揮系統の崩壊した元海軍の船など、もはや的と同じだろう。
轟音の中に聞こえた発射を知らせる号令よりも早く船を捨て去る。捨て去るというのも語弊があるが沈む船に興味すらないのだから適当ではある。砲弾によって船底付近や柵は元の形を失い小さくも鋭い槍を降らせた。鋭利な木片が飛び散る空は混ぜ合わせの悪い絵の具のように見えていた。

 足音が数歩重なって、到達を定めた位置で一度体勢を整える。蹴り上げた両足をさらに空へと押し上げるように伸ばし身体の上下を反転させる。ひねりを加え海上にうつる自身の影が見えながらも滞空時間を数秒だけ長引かせた。
 その動きの意図を察したものは敵側たる海軍にはいない。好機だと一斉に号令をかけてくることも想定内。一纏めに浴びせられる砲弾がなぜ彼に効果があると考えるのかが疑問であるがこれは好都合だ。一人だけに、という意味でだが。
 滞空時間を延ばしたのも、身体の向きを反転させたのも、すべては面倒な砲撃を一掃するためだと様子を見ている身内だけが気づいていた。

 遠く、小さくて見えないはずの彼の瞳が己の瞳とかち合った気がした。視線というよりも一種の勘といったほうがいい。
それは邪魔がはいったときのものでなく、恍惚に踊るものでもなく、彼にとってはなんてことのない、遊びの類だったのだ。
 迫る砲撃の雨に眉を寄せることもなく。まるで機械のように冷静にすべての砲撃の軌道を確認してからの一振り。鋭さのみおいては自身の技のほうが勝ると考えている。だが基礎技においての研鑽はまだ未熟といっていい。こればかりは年月だと言ってしまえば楽だが、そんなことで諦めることはしない。

 あんな風にすべてを切り裂くこと事態は容易い。でもそれだけの威力と速度を身に着けるためには自分では少し時間がかかる。一つ一つを連続で切り裂くには一定した鋭さと練度が要求されるが、その域にまだ自分は届かない。

「───くるぞ」

 誰に言うでもなくジャブラが告げる。何が来るとか、意味が分からないとか、そんな言葉は一つとない。

敵が来るのではない。ただ、黒い雨が降ってくるんだ。

 斬撃が過ぎ去り遅れること二秒。見事な半月となって砲弾はさらに数を増す。あとは先刻と同じく海に落ちるだけ、ではない。ひねりを加えた一振りを披露したのち、円転の反動でまたわずかに滞空時間が伸びるが、間をおかずそれは落下の速度へと変わりはじめる。その前に増えた足場へと靴底をつけていく。
 岩肌を撥ねるように靴底をあてがい各砲弾の軌道を変える。受け止めるものなどがすぐそばに見当たらない空の中でも変更した軌道の先に何があるのかはもう見なくてもわかる。島に入れることなど決してないという定見もすでにある。これはれっきとした訓練であり、暇つぶしとは違うのだと結論付けていた。

 砲弾としての速度も、ましてや威力も半減しているせいなのか。なりそこないの半月弾は質よりも量というものだったが、黒い雨は事実久しかった。けれどその雨を最後に見たのは確か自身のものだったと記憶していた。
 少しいやなことを思い出してしまった。悔恨の情をたったいま持ち出すべきではないのにと理解していても、ふいに零れる起伏に蓋をして、記憶に残る故郷の風景が変わらぬように黒い雨を打ち消していった。割れた半月はさらに欠けて、賽の目のように細切れにするころようやく思い出したように火を噴いた。誘爆したせいもあって海上一面は赤く染まって次には黒ずんだ。
 爆風の衝撃に顔を歪めながらもその先にいるはずの男の背中を探した。辺りは黒煙に紛れているが、その黒煙は砲弾によるもののほかにもあること。波立つ音に紛れた自然界においては絶対に聞こえてこない音。それだけでどちらが勝者だったのか、どちらが敗者になったのか。
 不変とした結果に感嘆も驚愕もしないまま時が過ぎて、爆風の衝撃が落ち着いたころになってわずかな血の匂いを拾った。
彼のものではない他者の匂いであり、それ以外に変わり映えはしない。そうここまでは、

 三度、島の大地に足をつけたルッチと今度こそ、勘に頼ったものではない状態で視線が合わさる。まだ着地の衝撃で黒髪が揺れている。同時に右足が踏み込んだまま前進する意図が見えてこちらは半歩退いた。そうだ、ここで半歩だったのがいけない。
 半歩退いたカクとは違って、ルッチは数週間前のものと何ら変わらない足取りだった。すべてがこれまでに目にしてきたものと一致していたのに、退いた方向に何もないはずなのに。
 首根っこを抑えられて二日酔いのまま会社へと連行される古い同僚のように強い力で引き寄せられた。逆のくの字に身体が折れ曲がっても気にもせず少しだけ低くなったカクの視線にかぶせる様にしてルッチがこちらを覗き込んだ。乱暴に首に腕をまわして唇に吸い付く。
 一瞬だけ身体の感覚が抜けていくような錯覚を起こしたので、ああこれはと合点がいった。
 せっかく黙ったおいてやろうと思ったのに、ずいぶんと酷い恩の返し方をする。

「わりに合わねぇな」
「…それはこちらの台詞じゃろう」

合わないのなら試さなくていいのに、とは言えなかった。



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