CP9小話
□言葉の裏返し
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あと一度だけ替えましょう。そう告げる声はどこまでも澄んで穏やかだった。職業柄向ける微笑みも的確さも、どこをとっても患者としてではなく、つい職人としてみてしまう。それはもはや癖といってもよい気がした。
幾日が経ち、重度の負傷者扱いだった自分もこれでようやく軽度の負傷者となる。なにをどうすればこれだけの刺傷ができるのか。それを知りたいものもいたかもしれない。人間の好奇心とは強いほどに表に現れる。でも最初、といっても覚えているわけではなく、聞いた話である。手当てのため担当医が指示をする際に何も聞くな。と告げたらしい。
理解のある医師がいたのはありがたかったし、これとは逆な場合を考えると幸運ともいえた。
「…これは?」
手渡された物の数が己の身一つとでは多いことに気づいて尋ねると、婦長は答えを明かさず、かわりにくすりと微笑した。
フロアを歩く道すがら考える。本来の仕事をうけおう立場の彼女が何も言わなかったのが不思議で仕方ない。しかしよくよく考えてみてそれに気づいたのは、彼の病室の前で歩みを止めた時だった。
たとえ目が覚めたからといって、動けないからといって、彼が簡単に他人に心を開くわけがない。己とは違う視点で人を見てきている彼女たちだからこそ、適任者がすぐそばにいることを知っていたのだ。ばれたらまずいのはお互い様で、でも拒否する気がないことも知っていたのだろう。日を数えれば一週間ぶり。単純な理由だった。
「あ、こら」
誡める声にわざわざ振り向いてくれたなら、こんなことを言う必要性は全くない。 言っても無駄、ということも理解していないのはカクのほうではあるが、その元凶となっているのは医者の許可もなく傷を空気に触れさせる行為にある。自分と違って内臓系の損傷が目立つからといって皮膚を露出していいわけじゃない。
「知っとったな」
室内の壁際に寄せられた椅子を引き寄せてベッドのそばへと持っていく。トレイに乗る包帯を落とさぬように腰を下ろす。その間にトレイが少しだけ軽くなった。
先ほどの言葉に返答はなく、ルッチが真新しい包帯を巻きつける姿カクはただ見ていた。
手早く傷を覆っていく手際は当然といえば当然のことだ。痛みもなく体技を会得しているわけでもない。ただの、普通の人間から初めて、いつの間にか超人と呼ばれるようになるまでに何度も世話になっている。
「これはわしの」
「知っている」
巻き終えた後、事実事足りたはずがトレイに乗る二つ目へと手を伸ばすものだから咄嗟にそう答える。進行方向を遮ったことでルッチがカクを見た。
「餓鬼にできるとは思わんが」
「もう餓鬼じゃない」
「ほう、六ケ所もあってか」
さっきまでもうんともすんとも言わなかったくせに。ああ、まったく。これだから嫌なんだ。
傷を見せたわけでもない。だからカマをかけた可能性だってあった。取り繕うとすればできたのにそれをしなかった。
触れていた右手が方向を変える。トレイを掲げたカクの右腕に触れて、そのまま手首、前腕の皮膚を指の腹がなでていく。
肘の少し手前で離れたと思うとゆるりとした速度で胸の下を、見えていないはずの傷に布一枚を隔てて指先が触れる。つぅっと指を滑ると小さな痛みが感じられた。動きを止めた指先に次にはカクの指が触れ握りこんだ。
「死に損なったな」
一週間ぶりにみた彼の表情。おもわずうわずった声が漏れた。