運命の輪舞曲
□14話
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目が覚めた。ボーッとする頭の中に駆け巡る、坐薬の出来事。寝起きから死にたくなった。
ブチャラティ様にあんなこと言って、フーゴさんに裸とお尻を見られ、この先どう生きていけばいいのか分からなくなった。
寝室からリビングへ行くと、ソファーにブチャラティ様が寝ていて、ソファーに背を預けるように座って寝てるミスタがいた。
とりあえず寝室へ戻って着替えた。洗面所で顔を洗って歯を磨いた。起こさないように細心の注意を払いながら、私は自分の家から出て行った。
熱が下がったわけじゃないけど、逃げ出すしかなかった。ブチャラティ様と会いたくない。目も合わせたくない。話したくもない。2度と会えない。
【あなた達が帰るまで帰りません。お願いです。早くお帰り下さい】って書き置きをしてきたから、あとは時間を潰すのみ。
『……ケホッ……』
今は朝方の5時くらい。街は静かで、たまに車が通るくらい。誰も歩いていない。何だか少し寂しいって思うのは、お尻を見られたせいなのかもしれない。
寒さが身体を震わせる。たまらずに自分の身体を抱きしめたけど、ちっとも暖かくならなかった。お尻を見られたからだ。絶対にそうだ。返して、私の初めてを。
『……さむい……』
寒くてフラフラする身体を強引に動かしてると、前方から人がやって来た。こんな時間に歩いてるなんてどう考えても不審者って思ったけど、自分もそうなのできっと不審者じゃないと思う。私と一緒。お尻を見られた人に違いないんだ。
一応警戒は怠らず歩いてたら、前方から来た人に声を掛けられた。あらやだよく見るとイケメンさん。でも可哀想に、あなたもお尻を。
「顔、真っ青ですよ。大丈夫ですか?」
どうやら赤の他人でも思わず声を掛けたくなるほど最悪な顔色をしているらしい。道理で寒いわけだ。主に心が。
『だいじょーぶです』
「さっきからフラフラですよ」
『だいじょーぶです』
「いや、多分あなたギリギリの状態だと思います。このままだと倒れるかも。家まで送りますよ」
『だいじょーぶ』
このイケメンさんが何を言ってるのか聞き取れないけど、ずっと付いてきてるから不審者かもしれない。もしかしてお尻を見られた人ではなく、お尻に興味がある人なのかも。おお、怖い怖い。
『ほんとうにだいじょーぶですから、おしりはまにあってます』
「何の話をしてるんです?」
『んん』
ズキンッと頭が痛んだ。目の前がグルグル回ってフラフラして、これ本当にヤバイって思ってその場にしゃがんだ。
それでもグルグル回り続けて、何かもう吐きそうってときに、イケメンさんが抱き上げてくれた。
「家は?」
放っておいてよって言う気力も反抗する気力も無くて、家の住所を言うとイケメンさんが歩き出した。でも帰ったらブチャラティ様がいる。今の体調を考えると帰るべきなんだけど、気が重い。
『かえりたくない』
「……何で?」
『はだかとおしりをみられたの』
「うーん、それはなんとも」
『はじめてなのにおしりにいれられたの』
「マニアックな彼氏ですね」
『ちがうひと』
「浮気はダメですよ」
『かれしいないもん』
「あなたにとって深い事情があるんでしょうけど、帰りましょうね。このままだと病院行きになります」
『うん、ありがとう』
「いいえ、気にしないで下さいね」
けっこう歩いてきたつもりだったけど呆気なく家に着いた。イケメンさんは玄関先に私を下ろして、家のチャイムを連打しまくって帰って行った。
今度お礼しないと。でも誰だろ。なんて考えてたら、ものすごい勢いで玄関の扉が開いた。一番会いたくないブチャラティ様が出てきた。相当焦ってる。
「どこほっつき歩いてたんだ!心配したんだぞ!ミスタがたった今探しに行って……」
当然のごとく怒られてしまい、また迷惑かけたと思うと、あの日のことがループしちゃって、やっぱりボロボロ涙が出てきてしまった。
『ごめんなさい、ごめんなさい、もうなかないから、きらいにならないで、すてないで』
ダメだ、何が何だかよく分かんなくなってきた。
「……きらいに、なったわけじゃないんだ。違うんだ。……好きだよ、お前のことが、こんなにも」
信じられない言葉が聞こえて、ブチャラティ様を見た。グルグルしててイマイチ分かんないけど、とても辛そうで、とても寂しそうだった。
「戻ろう」
ブチャラティ様はそれ以上何を言うわけでもなく私を抱き上げると、家の中へ。寝室へ行くとパジャマを渡されたから、それに着替えた。ベッドに横になると、隣に腰掛けてずっと頭を撫でてくれた。
「好きだよ」
夢みたいだった。夢なら幸せで、現実なら残酷だと思う。
『わたしもすき』
「オレ以外の男に裸を見せたくせに」
『あれはちがうの』
「知ってる」
からかって遊ぶブチャラティ様にむくれると、「ごめんごめん」と笑いながら謝ってきた。さっきとは全然違う、寂しそうじゃない。穏やかで柔らかい笑顔だ。それが好きで私も笑った。ほんと久しぶりだ、こーいうの。
「腹は減ってないか?」
『うん、ブチャラティ様がいるだけでまんぷく』
「その……、様ってのは……やめてくれないか?」
『んじゃ、ブローノ』
「……」
ポンッと顔を赤くして、それを隠すように手で顔を覆った。「その、名前は、呼ばれ慣れないから」とか言って、照れてるブチャラティ様にギューッてきて、クスクス笑った。
『ブローノてれてる、かわいい』
「か、からかうな」
『さっきの仕返しだよ』
おどけたように笑うとブチャラティ様も笑った。調子に乗ってそっと手を出すとぎゅっと繋いでくれた。心の底から幸せだと感じた。幸せで、幸せで、幸せ過ぎて、また涙が出てきてしまった。
『ごめんね、うれしくて、とまらないの』
「……フユ、泣かないでくれ。お前に泣かれると、オレも辛い」
じゃあ泣かないって言いたいけど、優しく涙を拭ってくれる大好きな手に、また涙が出て、止まらなくて。泣くだけ泣いたら今度はすっごく眠たくなった。
そういえば熱もある。ほっつき歩いたせいでまた悪化してる。目を閉じててもグルグル回ってるのがいい証拠だ。
『ずっといっしょ』
ぎゅっと手を握りしめると、返事の代わりなのか、ぎゅっと握り返してくれた。それにひどく安心して、もう一度眠りについた。
*****
もう限界だった。
泣いてる彼女を抱きしめたくて、それでも突き放してきたのは、オレが辛いから。離れたくなくて、そばにいたくて、誰にもとられたくなくて、でも、時間は有限だ。
刻一刻と忍び寄る命の終わり、彼女との約束、それがあるからこそ踏ん張ってここまでこれた。
チームすら抜けさせたんだ。2度と会うことはないと腹を括った。これでいいと、そう信じてここまできたのに。
『きらいにならないで、すてないで』という彼女の言葉が、オレの心臓に深く刺さった。
死んだと思った。ここまで彼女を追い込んだのはオレで、今さらオレが傷つくのはお門違い。分かってる。でも死んだのだ。あの言葉で、オレは。
オレは彼女から離れる。それだけは変わらない。だからこそ伝えなければならないことがある。言葉で死んだからこそ、それに気づけた。良かったと思う。
『すきだよ』
彼女の想いを受け入れて、オレ自身の想いを伝えた。長かったけど、ようやく「好きだ」と言えた。一度言うと次から次に想いが溢れて、一生かけても言い足りないほど好きだと思った。
もっと笑わせたい、たくさんの涙を拭ってやりたい、幸せだと涙を流す彼女を抱きしめて、そのまま温もりに浸っていたい。やり残したことが次から次に。本当に、今さらだというのに。
『ずっといっしょ』
叶わない願いを呟いて彼女は眠った。ずっと寝顔を見ていた。髪の毛に触れた。睫毛の長さ、柔らかい頬の感触、唇の厚み、どれもこれも記憶に焼き付けた。
寝てるのをいいことにキスをしようとしたら、嫌そうに寝返りを打たれて少し悲しくなった。
でも、幸せだと思った。涙が出そうなほど幸せを感じれた。どこまでも続けばいいのにと、願わずにいられなかった。
『……ブローノ……』
「いるよ、ここに」
繋いだままの彼女の手に、想いを込めてキスをする。
『いっちゃうの?』
「ああ」
『もうあえないの?』
「ああ」
『さみしいよ』
「オレもだよ」
『うそつき』
「どうか、どうかその時が来ても嘆かないでくれ。そうなったからこそ得られたものもある。オレはそう信じてる」
『何のはなしをしてるの』
「お前は、お前の道を歩め。精一杯生きて、誰よりも幸せになるんだ。約束だ」
風邪で頭が回ってないときに、勝手に押し付けた約束。それでも彼女は頷いた。涙を流しながらも、力強く何度も頷いた。
『ごめんね、ありがとう。ごめんなさい』
繋がっていたんだ。記憶が無くても、何万回以上と繰り返された何万年以上の時間は、ずっと繋がって、ここにあった。2人の想いは1つだった。
「何も辛いことなんてないさ。先に行ってる。ただ、それだけのこと。それだけのことなんだ」
力一杯に握られた手、最後にもう一度キスをした。
『すきだよ、ずっと』
「オレもだよ」
願うのはただ1つ、彼女の幸せ、それだけだった。