長いお話《連載》

□9…繋いだ手、あたたかな空気。…♯
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日付けが変わって間もなく、宴はお開きとなり、この頃になると幾らか減っていた関係者達も、帰り仕度を始める。
メンバー達も、明日もう一度会う予定だからと、挨拶もそこそこ会場を後にする。


隆一は珍しく緊張していた。
あんな大勢の前でライブをこなすくせにと、自分を鼓舞するも。さっきから、身体の芯が震えてしまってしかたない。
その理由は、わかりすぎる程自覚している。


最後のライブの後、俺の家に来て欲しい。
隆ちゃんの全部が、欲しいよ。


先日イノランに請われた言葉を思い出して、隆一は顔が熱くなるのを感じた。まるで、ついさっきのライブがずっと前の事みたいに。今はこの先起こるだろう事で、胸がいっぱいだった。



人が疎らになった打ち上げ会場の壁際で。スタッフと話し込んでいるイノランの横顔を、隆一はぼんやりと眺める。
その内イノランは、軽く会釈をしてスタッフと別れると。隆一の視線に気付いていたように、真っ直ぐ進んで目の前で歩を止めた。

イノランはじっと隆一を見つめると、優しい穏やかな笑みをうかべる。
言葉は無いけれど、その瞳は雄弁に語っていて。
隆一は、しばらく俯いて。でも決心して、小さく確かな頷きを、イノランに返した。


マネージャーに明日以降の確認と挨拶をして、2人でタクシーで会場を後にする。
さっきからずっと、心ここに在らず…ぼんやりした隆一に、イノランはそっと苦笑をこぼす。


「ここでいいです。」

イノランの声が車内に響く。
隆一はハッと我に返って、意識がクリアになるのを感じて。
促されるまま、タクシーを降りた。

タクシーが見えなくなるまで、隆一は夜道を見つめ続けていたが。そっと右手に触れた、イノランの左手に引かれて、建物の中へと入っていく。
エレベーターの中でも、まともにイノランの顔を見ることなんか出来なくて、隆一はずっと俯いたままで。
ただ、壊れそうな程に鳴り続ける心臓の音が、イノランに聴こえなければいいと。
それだけを、今は願っていた。







「隆ちゃん、先、お風呂入ってきな」


部屋に入って、キッキンで湯を沸かしながら、そう勧めてくるイノランの言葉に甘えて、すぐにバスルームに入る。
外から、寝巻き置いとくよ〜と呑気な声がして、湯を浴びながら隆一はひとり笑った。


「イノちゃん、お先に」

「うん、ドライヤーとか適当に使ってね。あとテーブルに置いてあるよ」


そう言い残すと、入れ替わりでイノランはバスルームへ向かった。


「テーブル?」

首を傾げてリビングへ行くと、ホカホカと湯気を立てた緑茶の入った湯のみがあって。
それを見て、隆一の心がほわん…と緩む。
きっと隆一の緊張を和らげようと、甲斐甲斐しく先回りしてくれるイノランに。
申し訳無いやら、嬉しいやら、照れくさいやら…。
この部屋に漂う湯気のような、あたたかな空気に。いつの間にか、震えていた身体はすっかり解れていた。


髪を乾かしてリビングでお茶を啜っていると、背後からイノランの楽しげな声が聞こえた。


「隆ちゃん、緑茶似合うよね」

「ホント?美味しいよ、ありがとう」

「俺もね、たまに飲むよ」

「身体にも良いしね。俺は毎日」

「いっときさぁ、スギちゃんだったか、Jだったか、カテキン推しがすごくて」

「あははっ!そんな事あったね、粉末緑茶とか…」

「そうそう」

ふふっ…と軽やかに笑うと、イノランの眼差しとぶつかった。
隆一はもう苦しくなるような緊張は無かったから、穏やかな表情でイノランを見つめた。

会話が急に途切れて沈黙が流れる。
本当は今日のライブの事とか、話すべき事があるんだろうけれど。
全て上部だけの会話になる事が、わかりきっていて。
正直今は、それどころでは無かったから。

緊張しているのはイノランも同じなんだって事が、すごくよくわかる。
聴こえる筈ないのに、イノランの早鐘を打つような鼓動が、空気を伝って来て。まるで感染したみたいに、隆一の鼓動もまた、どきどきとうるさくなる。


そっと、イノランが動いた。
隆一の背後まで来ると、後ろから抱きしめる。
風呂上がりのあたたかい身体に包まれて、なんだか幸せな気分になる。

抱きしめているイノランの腕に力がこもって、耳元で囁かれた。


「隆ちゃん。…いい?」


その腕の感触に。
欲を滲ませた、優しい声に。
隆一は目眩を感じて、縋りつくように頷いた。


「いいよ。」
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