長編

□君が微笑むだけで[6]
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皮肉なことに感情が無くたって生きていくのには困らなかった。
他の人に合わせて、他人が嬉しそうな時に嬉しそうなふりをして、つまらなそうなら同じように、というふうに真似事さえしていれば、誰も気になどしなかった。
他人が私に深く立ち入らないようにすれば、それ以上他人が私に関心を示すことも無い。
そうだ、他人≠ヘそもそも私に興味が無い。
お互いに知ろうとするから関心は生まれるのであって、私が拒絶してしまえばそれまでだ。
でもどんなに真似事をしても、私は、自分自身に意味を感じなかった。
なんの為に生きているのか、愛を貰えず、愛がわからなくて他人にもあげられないような人間が生きる意味がわからなかった。
ただ、感情を捨てたはずの私でも死ぬのは嫌だった。
死んでしまったら、初めから何も無かった私が、本当に無だったことが証明される気がして。
まぁ、無になるのを避けたい、と思うのは人間の本能だろう。きっと感情では無い。

そんなふうに、毎日殻をかぶりながら、生きていたとき、あの人──小坂さんに出会った。
たまたま私は彼女がいじめの現場に飛び出したのを見た。
私には、彼女が飛び出して割って入った理由がわからなかった。
だって何のメリットも無いだろう。結局、彼女は相手に殴られて部活も退部になって、でもそんなことは、いじめなんてことに手を出せば、そういう問題が起こるって想像ぐらいできるはずだ。
だから、私は彼女に聞いた。
どうしてあの時いじめられていた子を助けようとしたのか、と。
「んー、どうしてかぁ。自分でもあんまりわかんないんだよね。なんか、感情のままに動いちゃったっていうか、」
「────」
あぁ、なるほど。私にはわからないはずだ。感情のままに、なんて、そんな他人への優しさは私には無い。
感情を捨ててしまった私には、感情のままに行動できる彼女は、眩しすぎた。
と同時に、私はもう彼女に関わるのはやめよう、と思う。
なんとなく、彼女には私が真似事をしているのを気づかれそうな気がした。それに、そんな眩しい太陽みたいな人が近くにいたら、その優しさに期待してしまいそうな気がしたから。



期待、期待か。そう、だ。
断片的な追想の中、天使病を診断した医者が、診察室を出る前に言っていたことを思い出す。


「それは、天使病が完治した方法は、最高の幸せを受け取ることです。」
「──は?」
「まぁ言った通り医学的根拠は無いですが。
例えば、愛する家族を持ったり、誰かから必要とされたり、そういう愛≠フ感情にあの翼は弱いらしい。反対に、独り身であればあるほど、孤独を餌にして天使病は進行が早まることがわかっています。」
「─────」

病院からの帰り道、私はこんな皮肉あるものかと自嘲で笑い転げそうだった。
結局、愛を受け取れなかった人間は、愛を受け取れないことが理由で死ぬのだ。
やはり、私に意味なんて無いんだ。愛を知らない人間は、こうやって淘汰されるのだろう。
他人を踏み込ませない私に、そんな愛をくれる人間などいないし、家族は言うまでも無い。
逃れられない死だ。
不思議と、もう怖くは無かった。
ただ、人と関わるのをやめよう、と思った。
もう何かに期待してしまうのは、疲れた。
私は自分の死を受け入れようとした。

だが運命は皮肉だ。
天使病になった後、今日、小坂さんが尋ねてきた時は、心臓が出ちゃいそうだった。
ほんとは病気のことは言いたくなかった。
だってこの人は優しすぎる、感情がありすぎる、人間らしい人だったから。
言ってしまえば、きっと手を差し伸べようとしてしまうだろう。
でも結局言う羽目になってしまった。
けど、最後までは言えなかった。最高の幸せを、愛を受け取れば、治るかも、なんて言ったら。
絶対に、あの人はその眩しい光で、私の心を埋めようとするだろう。

それが嫌なのに、彼女は明日も来ると言った。
来てなんか欲しくない、迷惑なんて掛けたくない、その優しさに期待なんてしたくない、そもそも期待することに疲れたんだ。なのに。
「あぁ、嫌だなぁ、来て欲しくなんか、ないよ」
そう言いながら、目元がじわじわと濡れていく。
視界がぼやける。
「──っく...」
急に背中が、ぎしり、と痛む。まるで、期待なんかするなとでも言うように。
そうだ、これ以上期待して、満たされなかったら?その喪失感の方がずっと恐ろしいだろう。
そう思い、私はその感情に蓋をしながら、それでも明日が早く来ますようにと、目を閉じた。
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