長編

□君が微笑むだけで[6]
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私は生まれてこの方、愛など受け取ったことが無い人間だった。
私が生まれたと同時に、持病があった母は亡くなってしまったらしい。らしい、というのは私がその話を聞いたのはおじさんからだからだ。
私は父から母の話を聞いたことが無い。
おじさんが言うには、父は母が亡くなると直ぐに母に関するものをほとんど家の中からどこかへやってしまったらしい。
だから私が物心つく頃には母の形跡は家に無く、私にはそもそも母という概念が無かった。
しかし、私には父という概念も無かった。
父は、私に関心≠ェ無かった。
私が幼いながらにどんな話をしようと、どんな行動を起こそうと、笑おうと泣こうと、父は私に関心を示さなかった。
唯一の親である父に、私は、幼少期の人格を形作る時期に愛≠貰えなかった。
別に虐待を受けていた訳では無い。住む場所も食事も満足に与えられていたし、勉強する場所もちゃんと与えられた。
父はいわゆるエリートと言うやつで仕事人間の堅物であった。だから、お金はあるらしく、習い事だって沢山した。でもそこでいくら頑張っても父は興味を示さない。
周りの人も私に優しくしてくれたが、そんなものは仕事人間の娘である、という前置きが必要な上っ面のものだった。

私は誰かに真っ当に見て欲しかった。認めて欲しかった。愛が欲しかった。
だから私にはこれ≠オか無かった。
そう、父は母のものをほとんどどこかへやってしまったが、この、サックスだけはずっと家の中にあった。
母は、サックス奏者とまではいかないが、趣味でやっていたらしい。父に愛を期待できなかった私は、母が遺したこのサックスを吹いている間だけは愛の無い寂しさが埋まるような気がした。
もちろん、家の中にあったサックスを勝手に私が持ち出して、独学でやり始めても父は何も言わなかった。

私には嬉しいという感情が無い。だって何をしたって喜ばれるようなことは無かったのだ。
愛を受け取れなかった私は、同様に誰かへの愛を感じることも無かった。
どんなにテストでいい点数をとれても、私には愛だけがわからなかった。

最後の希望かもしれないと、中1の春、父が長期の海外出張に行く時、聞いた。
「お父さんは、あなたは、私を愛していますか」
と。ほとんど答えは出ていたかもしれなかったが、もうここまで来たらはっきりしたかった。
父は少しだけ間を空けて口を開いた。

「───私は、お前を愛せない」

「──そう、ですか」
考えていた答え通りであった。
そうだ、そもそも期待するという感情が間違っていたのだろう。寂しいという感情なんて要らないのだ。そんな感情でさえ入る余地が私には無かったのだ。
初めから、父と私の間に、意味など無い。
いや、もっと言えば、私自身に意味が無いんだ。
その日、自分と他人への関心≠ニいうものでさえ失ってしまった。

だから、その後中2の秋、父が過労で亡くなった、と聞いても何も思わなかった。
ただ、あぁ結局この世に私に愛をくれる人は居なかったのだ、と思うことしかできなかった。
何もそこに感情は無い、はずだ。
なのに心は空虚で、それを埋める為に私はサックスを持って河川敷へ向かった。
嬉しいも関心も無いはずなのに、サックスさえあれば何も考えずに心が埋まるのに、その日は、どうしても寂しかった=Bもうこの世に私に対する愛など無いのに、誰かが見つけてくれる気がして、何時間も吹いていた。
結局誰にも見つけられずに、気がつけば夜になっていた。
まだ心は埋まらず、寂しさがあるような気がした。
だが、もう本当にそんなものは要らないんだ。
父が海外出張に出たあの日、寂しいという感情は捨てたと思っていたが、どこかで出番を待っていたのだろう。もしかしたらと。
でも、本当にもう要らなくなってしまった。
寂しいというのは、満たされた時があるから生まれる感情で、私は初めから満たされず、これから満たされることもない。
私はすっかり暗くなってしまった河川敷に寂しさを捨てた。
私はこれ以上他人に期待して、それが報われないことで自分が壊れてしまわないように感情を捨てるのだ。自分を守る為に。
そうして私は感情というものを失った。
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