長編

□君が微笑むだけで[8]
1ページ/1ページ

「あつすぎ....やば......」
昼下がりのぎらぎらとした太陽が私をいじめる。
気がつけば、私と美玖が出会ってから3ヶ月が経とうとしていた。
世の中はもう夏、学生たちは夏休みに入って少し経ったあたり。
夏休みの初めから続いていた学校の補習がやっと今日の午前中で終わったので、一旦自分のアパートに戻り、そこから美玖の家に向かっている最中である。本当は夕方頃に行くと言っていたが、多少早くても美玖なら何も言わないだろう。
何より、私が美玖の所へ早く行きたかったのだ。

あれから───美玖と友達になってから、初めこそは遠慮がちだったけど、今はそんなことは無くなった。趣味が同じとかそういう訳じゃないけど、どうやら私と美玖は波長が同じようで、一緒に居ると落ち着く関係だった。
美玖とする話はなんだって心地よかった。病気の話だけじゃなくて、例えば私が読んだ本の話をしたり、好きな恐竜の話をしたり、またある日は、美玖が好きなお寿司の話をしたり、ファッションの話をしてくれたり。美玖が楽しそうに好きなものの話をするのを聞くのは楽しいし、私の話を興味津々に聞いてくれるのは嬉しい。

美玖は春の時よりずっと明るくなったように思う。
美玖は学校で見せていた愛想笑いをすることは無くなった代わりに、雰囲気が柔らかくなった気がする。私は美玖のことを全部知ってる訳じゃないけど、こっちの美玖の方が殻を被らない本物なのかなって思う。

私も、初めは罪滅ぼしのような気持ちがあったけど、今は本当に友達として好きだ。

そう、友達として。
でも最近は自分で自分がよくわからない。
学校帰りに美玖の家に行って、扉を開けると美玖は必ず「おかえり」って言う。だからその時、私も「ただいま」って返す。そういうとき、なんだか胸がきゅーっとなる。
ふいに美玖が明るい表情を見せてくれた時も同じく胸がきゅーっと締めつけられる。
そして、今もだ。
美玖に早く会いたいなって思えば思うほど、胸が締めつけられた。こういう感情って何て言うのかな。私にはまだわからなかった。

だが、美玖の元へ行きたい想いを、暑さと、この大きなキャリーケースが邪魔をする。
親元を離れてアパート暮らしの私は、実はこれまでも何度か美玖の家に泊まっていた。
そして、もう夏休みの補習も終わったので、部活も無い私は1日フリーであるから、夏休みの間は美玖の家で過ごすことにした。
以前泊まったときにいろいろ持ち込んではいたけど、夏物の私服はアパートの方にあったから、キャリーケースに詰め込んで持ってきた。

「ふぅ......」
やっと着いた。もう私は溶けてしまいそうだ、というかほとんど溶けている。
恐らくエアコンが効いてるであろうリビングに入りたい一心でピンポンを押す。
「──?」
美玖が出てくる様子は無い。
「寝てるかな?」
まぁ早く来てしまったのは、私の方だしな、と合鍵を出す。
そう、合鍵は持っている。泊まり始めてから、美玖が渡してくれたものだ。ただ、私は毎回ピンポンを押す。美玖の「おかえり」が聞きたくて。
あぁまた胸がきゅっとする。

「ただいまぁ...」
1人だけで挨拶をして、家に入る。とりあえず荷物を玄関に置いて、美玖を探そう。
「美玖ー?」
リビングへの扉を開ける。美玖の返答は無い。
ただ、エアコンがついていた。真面目な美玖は寝る時はリビングのエアコンを必ず消すから、寝ている訳では無さそうだ。
ふと、もし倒れていたら──、という考えが過ぎり、鼓動が跳ねる。
不安に急かされてリビングの中へ入る、と。
リビングから庭への掃き出し窓が開いていた。
「───?」
窓から庭を覗く。相変わらず、ジブリ映画を彷彿とさせるように鬱蒼としている。まぁ少し暑さで元気は無さそうだが。
「美玖──?」
と、声をかけると。
木の後ろからひょっこりと。
「──、あれ?菜緒?」
天使が現れた。

「来るの早かったね」
「うん、なんとなく、ね
それより美玖は何してたの?」
「えっとね、今日は少し体調がよかったから、庭の植物たちに水やりしてたんだ。
ここ連日猛暑で、さすがに何もしないのは可哀想だったし。」
「そっか、でもこの庭は水やりより間引きとか手入れの方が先じゃない?」
「そうかもね」
そう言って美玖は、くすっと笑う。
ほんとに天使みたいだ。いや、みたい≠ニいうのは間違っているか。
ただ、青空と太陽の真下で、塀と木々に囲まれて、麦わら帽子に、その白い肌に負けないくらいの白のワンピースを着て、水が滴り落ちるホースを持って、こちらに微笑む様子は、実に美しいと、思えた。
そして、だいぶ成長して彼女の背中を優に超えた天使の翼がその美しさを際立てていた。
美しい、なんて思う私は不謹慎だろうか。
その天使の姿を見て、安心するはずの鼓動はまた跳ねて、そのくせ締めつけられるような気もした。
私は夏にやられてしまったのかな。

美玖の背中の翼が生えている傷口はもう広がって血が出るようなことは無くなった。
その代わり、毎日のように見ている私が気づく程に翼は日々成長している。翼が成長していくことで、美玖は少し見るのが辛いくらいに痩せてしまった。それに傷口が広がらなくても、翼が成長するときの痛みは変わらないどころか酷くなっているらしい。私も、日に日に痛みに悶える美玖を見ることが苦しくなっていた。

「私もリビングに戻ろうかな」
と美玖が窓際に居る私の所へてくてくと歩いてくる、と。
「──、美玖、」
近づく美玖の、草むらからのぞく脚には、葉っぱで切ったのだろうか、かなりの切り傷がついていた。しかも血が滲んでいる。ああ、よく見れば腕にも切り傷がある。
「美玖っ」
思わず庭へ飛び出してしまう。私だって怪我するかもしれないが、そんなのはどうでもよかった。
「菜緒?」
「血、出てるけど、痛くないの?」
「あれ、ほんとだ...?」
私の心配をよそに、美玖はけろっとしている。
まぁこのくらいの傷は我慢できる程度かもしれない。でも気づかないというのは無理がある。
「手当してあげるから、」
と言って美玖を抱きかかえる。
その軽すぎる重みに少し悲しくなる。
「ごめんね、菜緒、」

どうやら美玖は、最近感覚が鈍っているようだった。もちろん、背中の痛みはあるようだけれど、それ以外の痛みを感じなくなってきていた。本人が気づかないうちに痣を作ってしまうこともよくある。

そして、抱えている美玖を見る。美玖はあの日差しの中作業していたのに、汗ひとつかいていないようだ。暑さ寒さにも気づきにくくなっているらしい。

あとは、先週泊まった時に気がついたのは、味覚も鈍くなっていること。
なんだか最近食欲が無さそうにしているので気にはなっていた。
その日の朝、私は補習の予習をしようと思っていたので目を覚ます為にコーヒーを淹れた。美玖はブラックで良いと言ったが、私は砂糖を入れないと絶対に飲めないので別々に作ったのだが、間違ってお互いのを逆に渡してしまったのだ。私が飲んですぐに気がついたが、その前に美玖は飲んでいたけど気づかなかったみたいだった。というか、美玖はそんなにブラックコーヒーが得意じゃないのに、ぐびぐび飲んでいたのがまずおかしかったんだ。
そこで、恐らく食欲が無いのではなく、味がしなくなっているんだろうと気づいた。

どうあっても歯止めが効かない病の進行がもどかしかった。明るくなろうとしている美玖をよそに、病気はその影を伸ばしていた。

「どう?染みる?」
消毒液で美玖の傷口を手当する。
「ん、うん、」
美玖は目を泳がせている。多分、何も感じていないんだろう。
このくらいの傷ならほっといてもかさぶたができれば大丈夫かもしれないが、ちゃんと包帯まで巻いて手当することにした。これも最近気づいたことだけど、美玖は傷の治りが遅いらしい。
でも、翼に傷がついても、それは次の日にはすっかり治っていた。もちろん美玖から力を吸い取って。
一方、美玖の身体の傷は治りが遅かったから、もしかしたら優先順位が出来てしまっているのかもしれない。
この憎らしい翼は宿主が死んでしまったら自分も死ぬことがわからないのか。

「はい、とりあえず手当終わりっと」
「あ、ありがとう」
美玖は少し申し訳なさそうな顔をする。
そんな顔しなくていいのに。悪いのは美玖じゃなくて、この翼なんだから。

「菜緒は、いっつも優しいね」
「──、そんなこと、ないよ」
ほんとにそんなことないんだ。
嘘をついているような気がして胸が痛む。
彼女はいじめの現場を見た時からの私しか知らないからそう言うんだろう。
でも、ほんとに優しい人間だったら、初めに美玖を見た時、あの助けを求めていた少女から逃げたりなんかしない。
ほんとに友達になれた気がした今だから、その時のことが胸に引っかかっていた。

「ほんとは、優しくなんか、ないんだよ」
「え、?」
あの夕暮れのときの話なんて、するべきじゃない。言ってしまったら、私のことを嫌いになるかもしれない。
でも──、でも私はもっと美玖のことを知りたかった。そのためにはまずは自分からもっと心を開かなきゃいけないような気がした。ここまで美玖が大切になった今なら、罪の意識じゃなく、美玖と仲良くなれた今だから、ちゃんと向き合うべきな気がした。
「私には──、美玖に言ってなかったことがあるんだ」
私は、美玖と自分に踏み込む為に話を始めた。
次の章へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ