長編

□君が微笑むだけで[9]
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「ほんとは、優しくなんか、ないんだよ」
「え、?」
そんなはずは無い。
彼女は、優しい、人間味の、感情のある人だ。
「私には、美玖に言ってなかったことがあるんだ」
ソファで手当されていた私の隣に菜緒が腰掛ける。



「私、実は、あのいじめの時よりも前から、美玖のこと知ってた」
「え、」
「中2の秋のことって、覚えてる?」
「────」
あまり思い出したくないことが、菜緒の口から出てきて困惑する。
軽く自分の話はしたことがあったけど、深いところ、細かいところまでは話していなかったから余計に。
私が返答しなくても菜緒は話を続ける。

「あれは、何時ぐらいだったのかな。すごく夕暮れが綺麗な日だったんだ。」
息を呑む。
もしかして。
心臓の音が耳元で聞こえるくらいに騒いで、駆け足になる。

「部活の練習試合帰りに河川敷を通ったら──、綺麗な夕暮れの中で、サックスを吹いてる子が居たんだよね」


見られていた。
あれを、見ていた人が居た。


「私は、その姿を、美しい、って思ったんだ。それが生まれて初めての気持ちでよくわかんなかったけど。
でも同時に悲しかった。その子はたぶん泣いていたから、悲しそうだったから。誰かに見つけて欲しそうで、助けて欲しそうで、苦しそうで、そういう声がサックスの音色に乗っていたから。
なのに、私は、その声に気がついたのに、そこから、逃げ出しちゃったんだ。耐えきれなくて。
あんなに悲しそうにする人を見たのが初めてで。」

「────」

「それでそのあと、高校であの時の子がサックス吹いている所を見たとき、びっくりしたのと同時に、あぁ、って思った。顔は少し悲しそうなのに、殻に閉じ込めたみたいな音に変わってて、私があのとき逃げ出さなければ違かったのかな、って。
あの時、声でも掛けてればって。
だから、天使病の美玖を見たとき、絶対に今度こそは守らなきゃって思った。そうじゃなきゃもう後がないような気がしてさ。」

「─、」

「許してなんて言わない、言えない。けど、でも、私は初めから優しい人間じゃない。
美玖から、1度逃げた人間なんだよ。」
そう言って菜緒は悲しそうにこっちを見つめてきた。

「じゃあ菜緒、は、私が可哀想だから、同情して友達でいる、の?」
「え、いや、最初はどっちかというと、自分の後悔みたいなのはあった、けど、別に可哀想って同情したから友達になったんじゃない。それに今はそういうの関係なく美玖と友達になれて良かったって思う。だから、美玖がこんな私を受け入れてくれるなら、このまま友達でいたいんだけどさ、さっきも言ったけど、私はほんとに良い人な訳じゃない。
ただ、私は、綺麗だと、美しいと思った人を壊したくなかったんだよ。」
でも、これも全部私のわがままか、と菜緒は申し訳なさそうに微笑む。


なんだ、許すも何もないじゃないか。
そうやって後悔して、気にかけてくれるところが、そもそも優しいんじゃないか。
あのときの私は、確かに見つけて欲しかったんだろう。
でも、私はほとんど諦めていたんだ。そんな人はもうどこにも居ないんだって。
だから、むしろ。
そのとき見つけてくれた人が居て、その人は見透かすぐらいまっすぐ私を見てくれて、そして、今隣に居てくれてる。
あのときの少女の微かな願いはちゃんと叶っていたんだ。叶えてくれる人が居たんだ。

「そっか、」
満たされた≠謔、な気がした。
なんだか気持ちが溢れる°Cがした。
そんな人が近くに居てくれたんだ、そっか、それは、すごく───
「嬉しい、な」
「え、」
「あ、」
そこまで言って気づく。
嬉しい?
だってそんなものは、私が知らない、ものだ。
感情が溢れるなんて、満たされなかった私には無いものだ。
「えっと、」
自分が1番困惑していた。
だってこんなの初めてだから。
どもっていると、菜緒がくすっと笑う。
「別に慌てなくてもいいよ。言っちゃだめな言葉でも無いし。
でも今の美玖の顔、今までで1番良かった。
なんだか美玖、幸せ≠サうだし。
理由はわからないけど、美玖のそういう顔見れて私も嬉しい」
そう言って菜緒は顔を綻ばせる。
私もこういう顔をしていたのかな。
菜緒は幸せ≠サうだ。
その菜緒の顔を見て、また満たされた気がした。

ふと、医者の言葉が頭を巡る。
完治した例は、最高の幸せを得た時
「────」
初めての感情と、それが嬉しいということ、幸せそうに見えたこと。
ずっと前から菜緒が私を見つけてくれていたこと。
いろんなことがごちゃ混ぜになって、頭はパンク寸前だったけど。
完治なんて無理だと諦めていた心に、眩しい光が差した気がした。


「えっと、じゃあ私はこれからも、美玖の、隣に居ても良いかな、今までみたいに受け入れてくれる、?」
「そんなの、もちろんだよ、」
「よかった、嫌われたらどうしようかと思った」
「菜緒のこと、嫌いになんて、ならないよ」
ありがとう、と菜緒が手を繋いでくる。
あの友達になった時は、向かい合っていたけど、今は隣同士で手を繋いでいる。
それだけでまた嬉しいような気がしたけど。

でも、私は繋がれた手の菜緒の体温は感じなかった。感じれなかった。

そうだ。すっかり忘れそう、いや、忘れたかったけど。
もうどうしようも無いくらいに私の病気は進行している。痛覚も温感も味覚もだいぶ鈍くなってしまった。菜緒も気づいてはいるみたいだけど、口には出さなかった。

それに、菜緒には言ってないけど、たまに血を吐いてしまうこともあった。
不幸か幸いか、やばいな、って吐く前はわかるからまだ菜緒の前では吐いていないからばれてはいないと思う。ただ、これからしばらく泊まるとなれば、知られるのも時間の問題だ。

それに菜緒は私が知らない間に痣を作っているって思ってるけど、ほんとは違う。
実際は、ぶつけてなんかいない。勝手に内側から出血しているみたいだった。この前は読書している間に、右腕に痣ができてしまったくらいだ。

あと菜緒は翼が私から何もかも吸い取ってるって思ってるけど、厳密には違う。
翼が私を宿主にしているのも確かだけど、病が進行することで翼だけが成長するというよりは、私と翼がひとつになっていく感覚だった。
だから、私がかなり痩せてしまってもなんとか生きていられるのは、翼が健康であるからだ。
今の身体の優先順位は翼なんだ。それさえ、健康であれば、あくまでその次の私はあまり関係がない。それ故に私は生かされている。ほんとにただの宿℃蛯ニいったところだ。
だから、医者が言うように、私と翼は限りなくひとつになって、最後に宿主は捨てられるのだろう。
たぶん、ここまで来てしまった私から翼が抜け落ちても、もうだいぶガタがきてる身体は翼という支えを無くして死ぬんだろう。

死ぬことは、初めから変えようのないことだ。
だから、期待してしまうだけ無駄なんだろう。
隣に居続けることが出来ないという、私の戒めは、今までもこれからもずっとそのまま、変わらないのだろう。

でも、それでも。
私は菜緒の体温を感じなくても、暖かい≠ニ感じた。きっと手ではなく、心が。身体が機能を失っても、残された頭は暖かいと理解した。
菜緒がくれた光をすぐに捨てたくは無かった。
今まで満たされなかった分かわからないけど、今日の私は気持ちが溢れてしょうがないらしかった。

だから、もう運命が決まっていたとしても、今日ぐらいはその暖かさに揺蕩っていたかった。
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