長編

□君が微笑むだけで[10]
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「.........」
ざぁざぁと雨はバケツをひっくり返したみたいに降って、ごろごろと遠くで雷が鳴っている。
「はぁ、ついてないなぁ...」
夜ご飯の買い出しに出たあとすぐに雲行きが怪しくなり、雨が降り始めてしまったので近くの屋根のあるバス停に避難する。
近所への買い物だし、突然だったので、傘も持っていない。近くに雨宿りできる場所があっただけまだましかな。
まぁどうせ夏によくある夕立だからすぐ止むだろうし、このバス停を通るバスは最近廃線になって、ここに訪れる人は居ないから、ゆっくり待つことにしよう。
こんなんなら、美玖、昼間に水をやらなくてもよかったのにね、と思う。

もう学校で美玖の話をする人はいなかった。
まるで初めからいなかったみたいに。
美玖は担任になんて言ったか知らないし、そもそも言ってないのかもしれないけど、大人たちももう美玖の話をしなかった。
ほんとに私だけが美玖を知っている。忘れないでいる。
そんな彼女が私以外に起こした久々の行動である水やりは、夕立に掻き消されてしまった。
まるで世の中が、美玖を否定しようとしてるみたいで少し嫌だ。いや、それはあまりにもこじつけすぎだろうか。

「─────」
なんて別のことに頭を巡らせて、日中のことを考えないようにしていたが、もう脳内の話は尽きてしまった。

嬉しい、な
あの時の幸せそうな美玖の顔は、頭の奥にまで染み付いてしまった。
私には、あの夕暮れの話は懺悔のようなものであったが、美玖はそれでも嬉しかったみたいだった。
嫌われなかったことに安心したと同時に、あの、美玖の綻ぶ顔を見た時、なんというか、腑に落ちた=B

私は、そのとき美玖を愛しい≠ネと思った。
何よりも大切にしたいと、守りたいと思えたし、誰にも渡したくないような気さえした。
そう、胸が締めつけられる気持ちは、愛しさだった。
そのとき、浮かんだ好き≠ヘライクなんかとっくに飛び越えていた。



そうだ、これは言うなれば、恋、だろう。
いつからそう想っていたのか。初めて見た時に感じた美しさが一目惚れの感情だったのか。それとも友達になってから見るようになった楽しそうな雰囲気に堕ちたのか。それは、わからなかった。
ただ、自分で納得したんだ。美玖の幸せそうな顔を見たとき。今まで胸を締め付けた気持ちは、この苦しいのに心地よさがある感情は、きっと恋だと。
恋なんてしたこと無かったけど、本能的にそうだとわかってしまった。
私は、あの人を幸せにしたいと、強く想ったんだ。

「は、───」
溜息にも満たない声が漏れ出る。
私は、自分の気持ちに気がついたと同時に、今まで何を見てきたのか、私と美玖の間にあった縛りが何であったかを忘れることはできなかった。
そう、こんなこと考えたくも無い、けど。
どんなに私が美玖を守ろうとしたって、笑わせたって、たとえこの気持ちを伝えても、あの翼の前には無力だ。
美玖はいつか死んでしまう。
それだけはどうしようも無かった。
私は弱っていく美玖を見守ることしかできない。
自分の恋が報われるかどうかなんてどうでもよかった。それよりも、相手の死が避けられないことの方がずっと苦しいと思った。

だから、美玖は言ったのだろう。
お互いがずっと傍に居れる訳じゃないんだと。
さすがに恋に堕ちることまでは想定してなかったと思うけど、その言葉はお互いが踏み込み過ぎないように、あとあと苦しくならないように、という意味だ。
でも踏み込んでしまえば、もう戻れない。
そこは一方通行だ。
どこで間違えてしまったのだろう。
私にだって、この廃線のバス停に来るのが正規ルートじゃないくらいわかっていた。
私は、2人の間の縛りをすり抜けて、違う道へきたのだ。きっと留まるべきでないところに居て、自分の気持ちに気づいてしまった。
美玖に踏み込んで、好きになりすぎた私はきっといつか来る別れに苦しむことになる。


だから、美玖には自分の気持ちを伝えないようにしようと思った。
きっと美玖は、美玖自身が苦しむことより、私が困らないようにあの線引きをしてくれたんだろう。なんてったって、置いていかれるのは私の方であったから。
それなのに、その縛りをすり抜けてしまったと、美玖を好きになってしまったと言えば、彼女は悲しむだろう。彼女を悩ませるだろう。
好きな人には笑ってて欲しい、幸せでいて欲しい、困らせたくはない。だからこの気持ちはこのバス停に留めておくことにする。
ここに立ち寄るのは私だけだ。
私が理性を保ってここから出なければ、知られることは無い。
もちろん美玖に気持ちを伝えたい、とも思うけど、どちらにしたって苦しさは変わらない気がした。ならば、言うべきではないだろう。

雨足は更に酷くなり、近づいてきた雷が、私をこのバス停から出させまいとしている。
そう、それで良い。
きっとここから出てしまったときは、私の想いが発車してしまうのだ。ならば、今の途中下車のまま、ここに置いてしまおう。
置いてさえしまえば、誰も降りないこのバス停で私の想いに気づく人は居ないのだから。
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