□ねぇ、
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全集中・常中。













さすがは柱。その回復能力は並大抵ではない。




実弥は、立ち上がった。


























ーーーーあぁ、まただ…、ー










名無しさんは、全く知らない土地を走り回っていた。実弥がどこに居るかなんて、知るわけがない。第一、此処がどこなのかすら分からない。




知らない。分からない。私は実弥しか、知らない。

















気付いたら、誰かの民家の裏の小川に居た。民家には灯りがついているから、人が住んでいるのだろう。少しだけ、ホッとして、その家の人に尋ねようとした時だった。




近くで、女の人の悲鳴が聞こえた。




名無しさんは、反射的に走り出していた。






















腰が抜けているのか、尻餅をついて動けないでいる女の人の前には、ただ、ただ、うごめく、紫色の肉の塊があった。




目がついているわけでもない。手脚があるわけでもない。




ただ、うごめく、肉の塊。

















ーーーーあぁ、まただ、鬼だ。ー

















名無しさんはだいたいいつも落ち着いている。冷静だ。だから、この時も、自分の気持ちのまま急いで駆けて行って、女の人を庇うように肉の塊の前で両手を広げた。




他の誰かが来てくれたことで我に返ったのか、女の人は、うまく呼吸が出来ず息を飲みながら走って消えていった。













前だったら、どうでもよかっただろう。




前だったら、何でもよかっただろう。





前だったら、こんなに悲しくはなかっただろう。





名無しさんは、震えていた。涙が溢れそうになっていた。もう女の人は居ないのに、それすら気付かず両手を広げたままだ。















「私、おいしそう?前にね、あなたの友達に言われたの。お前、うまそうだなって。」















「怖くないよ。好きにして。欲しいなら、あげる。ただね、」



















「ただね、私で最後にして。もう、誰も傷付けないで。もう、誰も食べないで。お願い。お願いだから…っ!!!」


















段々と近付いてくる暗闇。名無しさんは、もう、ボロボロと涙を零しながら肉の塊もよく見えなくなっていた。それでも語りかけ続けた。この間の鬼のように、聞いてくれていると、信じて。











そんなの無意味なのに。





























「ふざけんじゃねェっ!!!!!」












シュッと刃物が風を切る音がした。




実弥の、声が、聞こえた。











目を見開いた名無しさんの目の前には、「殺」という漢字が見えた。上から降って飛んできたその人物は、自分を庇うようにして、肉の塊を、斬った……。

























ポトッ…ポトッ…ポトッ…ポトッポトッ………










落ち続けて止まらない綺麗な透明な雫が、月明かりに透けて美しかった。













名無しさんは、抱き締められていた。

















「ふざけんじゃねぇぞ。」




耳元で聞こえるその声は、…………その声も、…震えていた。


















声が出なかった…。




身体が動かなかった…。




瞬きすら忘れた…。
























けれど、涙は止まらなかった…。






























実弥は、固まっている名無しさんの身体を、強く強く抱き締めた。




身体全部を使って、温かく包み込んだ…。




















「ごめんなさ…っ……」














やっと声が出せた名無しさんの口から出たのは、実弥が予想していたものそのままだった。














実弥は、抱き締めていた右手を名無しさんの頭の後ろに持ってくると、自分の顔に抱き寄せるようにして擦り寄って密着した。













「来るのが遅くなった。すまねェ。」















違う、と言いたかった。けれど、ふるふると頭を左右に振ることしか出来なかった名無しさんは、無意識だった、実弥の身体に腕を回して抱き着いていた。








「こわ…かった、よぉ…っ…」










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