□一瞬だけの
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「…あ、」




掃き掃除をしようと思って玄関を出たところで、沙栄子と鉢合わせしてしまった。




「こ、こんにちは。」




「あら!こんにちは!」




にっこり笑顔を返した沙栄子は、誰もが振り向いて見る程の美人だった。纏うその色気にクラクラしそうになる。名無しさんは、思わず一歩後ろに下がってしまった。




「風柱様が言っていた子かしら?あらー!可愛らしい!私、沙栄子って言うの!よろしくね?」




一歩下がっているにも関わらず、近付いてきた沙栄子に両手を握られた名無しさん。そのまま、ブンブンと上下に揺らされた。




「あ、はい、よろしくお願いします…。」




「あなた、お名前は?」




「名無しさんです。」




「名無しさんちゃん!愛らしいお名前ね!ふふっ」




目を細めて笑みを浮かべる沙栄子に、名無しさんは複雑な気持ちになった。










胸がズキンッと痛む。








容姿も、それを鼻にもかけない心も、何て美しい人なのだろう。









「えーっと、…風柱様からお話はどこまで聞いているの?」




手を離して首を傾けた沙栄子は、今度は苦笑いをしている。表情がコロコロ変わる人だ。





「あの…その、"風柱様"って、何のことですか?」




「あー…っと、」




「実弥のこと、私、何にも知らないんです。鬼から助けてもらったうえに此処に連れて来てくれて。自由にしていいからって、…」





俯いて声を小さくする名無しさん。それを見ていた沙栄子が、頭上から優しい声を掛けた。





「"風柱様"ってのはね、本人の口から聞くのが一番だと思う!私が言うには、あまりにもおこがましいから。」





「…………実弥って、何者なんですか?鬼狩りって、言ってたんですけれど…」





「鬼狩りに間違いはないわよ!風柱様は、嘘はつかない人だから、安心して?信用して?」




また、ふふっと笑う沙栄子。彼女が笑う度に、名無しさんは胸が苦しくなっていた。





「はい…。あの、それで…、あの……沙栄子さんは、実弥の恋人、ですよね?あの、私すみません!!身の程知らずで!出て行きますから!!」





身体を二つ折りにして深々と頭を下げて、目をギュッと瞑って大きな声で謝る名無しさん。顔を上げて沙栄子の横を通り過ぎて行こうとして、沙栄子に手首を掴まれて振り向いた。




「ああああ!違うから!違うのよ!あぁ、勘違いさせてしまったのね…ごめんなさい!私は恋人なんかじゃないから!決して違うわ!」




立ち止まってくれた名無しさんの手首を離して、今度は沙栄子が頭を下げた。




「あ!沙栄子さん!頭を上げてください!そんな、そんな、謝るのは私の方ですからっ!」




名無しさんは慌てふためいて沙栄子の右肩を触った。




それに反射して顔を上げた沙栄子。二人して見つめ合う。





「あぁ……あのね、私、隠なの。」




沙栄子は苦笑いしながら少しだけ首を傾けて名無しさんの瞳を見た。




「隠…?」




初めて聞く、その単語。名無しさんもまた、首を傾けた。




「んー…分かりやすく言うと、忍者、みたいな?」





へへっ、と相変わらず苦し紛れの笑みを浮かべている沙栄子。





「忍者っ!?」




沙栄子の正体にびっくりして目を見開いた名無しさん。今は大正時代だ。忍者がまだ残っていたなんて、なんて大変な人物と出会ってしまったのかと、名無しさんは後ずさりした。





「あ、隠って言っても、私は、風柱様の身の回りのお世話をするくらい。隠は他にもいっぱい居るんだけれど…此処に来て、変な人に出会ったこと、ない?」




「あっ!何か、黒装束の男の人に出会いました!その人も、実弥のこと、風柱様って……、」




「うん、その人も、風柱様についている専属の隠。私の仲間みたいな感じね!」




「せ、専属…………」





沙栄子から次々と発せられる信じられない言葉の数々に、名無しさんは立ち尽くすことしか出来なかった。




「あ!私、もう行かないと!それじゃ、また会いましょう、名無しさんちゃん!」




何かを思い出したような沙栄子が、半分行きかけながら笑顔で名無しさんに手を振ってきた。




「あ、はい!また!」













「え………?」




名無しさんが手を振り返そうとして右手を上げた瞬間には、もう、沙栄子は消えていた。




「え?」





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