□絶望
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「おいしい〜!!」




「だろォ?俺の気に入りの店なんだ。あ、……」









しまった、と思った時にはもう遅かった。実弥がこの甘味処に通っているのが名無しさんにバレてしまった。




だが、そんな実弥を名無しさんは柔らかく見つめた。







「実弥、おいしいね!」




「…!」







名無しさんがこんなに笑ったのを、実弥は初めて見た。




その笑顔を自分が引き出したことに、幸せを覚えた。つられるようにして、実弥も笑った。





「うまいな。」






二人してモグモグと口を動かし、時折会話しては笑い、同じ刻を過ごした。




実弥は十五個、名無しさんは五個をたいらげ、出されたお茶を飲み干して一息ついてから、実弥は立ち上がった。それに続いて立ち上がる名無しさん。しかし、実弥は名無しさんを置いて行った。




何故置いて行ったのかというと、名無しさんに突っ込まれる前にさっさと勘定を済ませるためだった。




お金を取りに行く暇も無かった名無しさんには、先程とは違う売り子の女の子とやり取りをしている実弥の背中を、見つめることしか出来なかった。










「待たせたな。」




「実弥、ごめんね。ご馳走様。帰ったら払うから!ね?私、五個も食べちゃった!」



お願いだと、払わせてくれと、頼み引き下がらない名無しさんを長い時間をかけて実弥は牽制し、折れた名無しさんは、シュンと項垂れた。




「あ!じゃあ、今度来た時!私に出させて!!」




項垂れていたはずなのにすぐにバッと顔を上げて、もの凄い眼力で言ってくる名無しさんに、実弥は笑いが止まらなくなりそうだった。





「ふはっ!名無しさん、いいから聞けよ。こういう時は、男が出すもんだ。……俺と一緒に食べてくれてありがとなァ。」




優しい笑顔をして自分と視線を合わせている実弥に、名無しさんは…












名無しさんは、いつも温かさをくれるこの人への自分の気持ちに、やっと気付いた。


















名無しさんは、気付いてしまった自分の気持ちと、自分のことを好いていてくれている隣を歩く実弥とに追い込まれて、うまく会話できているのかさっぱり分からなかった。
















「お父様ったら〜!もー、この間も似たような着物を買ったでしょう?」




「いいじゃないか!紅葉が欲しがるものは、父さんも母さんも、何だって買ってあげるぞ!」




「父さんも母さんも、紅葉に甘いなぁ〜、もう。」




「お前にはこの馬を買ってやっただろう!ん?また何か欲しいものでもあるのか?言ってみろ。」




「あうあう!ぶー!」




「まぁ、かたってるわ!この子も男前だから、さぞや美人なお嫁さんを連れてくるんでしょうねぇ。楽しみだわぁ。」




「嫁姑は仲良くな!」




「あはははは!」
























「っ、………!!!」




名無しさんは、左から聞こえてきた、仲睦まじい家族の会話に、息を飲んで固まった。




脚がガタガタと震える。息がうまく吸えない、呼吸が出来ない。頭の中を黒い記憶がぐるぐると渦巻く。







「名無しさん?」




急に立ち止まって様子がおかしい名無しさんに、心配そうに振り向いて名前を呼ぶ実弥。















馬が、近付いてくる。




「お、おい!何処行くんだ!」



急に右方向へ歩き出した馬を不思議に思い、先程の家族が名無しさんの方に向かってきた。
















「あら。」




「お前、まだこの町に居たのか。さっさと消えろとあれほど言っただろ!」




「あーあ、俺の人生こいつのせいで汚くなったんだよなー、あーあ。」




「………………お姉ちゃん、生きてたの?死んだと思って家族皆で喜んでたのに。」




「あー!うーうー」
















脚だけじゃなくなった。全身がガタガタ震えている。血の気が引いて顔が真っ青になった。





涙すら、出なかった。




















父、母、兄、妹、産まれたばかりの弟。











「ちょっと美人だからってもらってきてあげたのに、色街に売るって行ったら抵抗しやがってね、あんたは醜いよ。生きてる価値なんてこれっぽちも無いんだから。」




「早くこの世から消えてくれない?お、ね、え、ちゃ、ん?」





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