□何度でも
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「…で?私を食べるつもり?悪いけど、あげないよ。約束したから。」




「お前、鬼と普通に会話するなんざ、変なやつだな。」




「よく言われる。」




「…言い残したことは無いかぁ?」











「………………………」








名無しさんは、実弥のことが頭に浮かんだ。










前だったら、もうどうでもよかった。




前だったら、どうなろうとなんだってよかった。














ーーーー死にたくない…っー









初めて、そう思った。














名無しさんは、目にも止まらぬ速さで駆け出した。




沙栄子さんには負けるけれど。



…街の方へ。…明るい方へ。早く、速く…!!










「痛っ…!」




しかし、案外早く捕まった。鬼は、異界の者だ。人間の脚の速さなんてたいしたことない。




名無しさんの腕を掴む鬼の長い爪が、肉に食い込む。ポタ…ポタ…と、血が落ち始めた。










名無しさんは、下から鬼の目をギロッと睨みつけた。




「痛いんですけれど。離してくれない?もう、逃げないから。」




「それで離すやつが居ると思うかぁ?ケッケッケッ…!」




鬼は、声高らかに笑う。










名無しさんは、左手のポケットに手を突っ込み、中にある物をギュッと握った。












ーーーー実弥、ありがとう。ー
















「おまっ………!それは…!やめろ!やめろー!!!」




鬼は、名無しさんから手を離した。










名無しさんがポケットから取り出したのは、護身用だ、と、実弥が持たせた藤の花の香りが強く香る、御守りだった。








「ねぇ、この香り、鬼は嫌いらしいけれど?合ってる?」




「はぁ、はぁ、…早くそんな物捨てろっ!!!」



鬼は険しい顔をして息が苦しそうに、一歩後ろに引く。





「捨てるわけないじゃない。だって?あなたみたいな鬼から?身を護るためにって、大好きな人がくれたんだからっ!!!」




名無しさんはそう叫ぶと、御守りを真っ直ぐに鬼の方に突き出して、じわりじわりと距離を縮めて行く。









こんなに鬼に近付いて行く女なんて、前代未聞だろう。









「てめぇ…!とっとと喰っていればよかった…!身の程知らずめ!!!」











鬼は、身体は引いたものの腕を自在に長く伸ばせたため、殴り潰そうと、名無しさんに向かってその両手を振り下ろした。















ーーーーあぁ、幸せだった。ありがとう。ありがとう。愛してるよ、実弥…。ー



名無しさんは、御守りを突き出していた腕を胸元に引っ込めて大切そうに両手で抱き締めた。



そして、目蓋を閉じた…………。





























「ふざけんじゃねぇッ!!!!!」













ーーーーあぁ、もう死んだんだ、私。幻聴まで聞こえる…。ー











うぐっ…!















サーッ…













「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、…」











すぐ近くで誰かが息切れしているのが分かる。



ーーーーあれ…?死ん……、ー

















「ふざけんじゃねぇぞ。名無しさん、何勝手に居なくなってんだ。」







ギュッ







名無しさんは、身体を包み込む温かさと力強さに、自分はまだ生きているのかもしれないと、目を開いた。









ーーーー実弥。あなたは、私が何処に居ても、見つけてくれるんだね。ー








視界に写ったのは、その綺麗な銀色の髪の毛先と、首元まである黒い隊服の襟。



そして、鼻腔を擽る、大好きな実弥の匂いだった……。
















「ぁ………、……」




名無しさんは、声が詰まって出なかった。



その代わり、この、大好きな大好きな温もりを与えてくれている人が、喋った。










「ふざけんじゃねぇぞ。」










ーーーー何度目だっけ、この台詞。何回でも、あなたは助けてくれる…、いつも抱き締めてくれる…。あぁ、生きているんだ、私。ー







名無しさんは、気が付かないうちに大粒の涙を流していた。声が、震えた。でも、ちゃんと呼んだ。









「さねみ……っ…!」











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