□空いた
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外門まで見送りに来た胡蝶に御礼を言って、帰時に着く実弥と名無しさん。蝶屋敷を出てからも、暫く犬が実弥の脚にまとわりついていた。今度は名無しさんが笑いを堪えていた。

















風柱邸に着いて直ぐ、実弥は名無しさんと向かい合った。



「名無しさん、俺は今日、任務がある。いつ帰れるか分からねェ。今から風呂入ったら、出るからなァ。」



「あ………。うん、分かった。」











お風呂沸かしてくる!と、名無しさんは逃げるように風呂場の方へ走った。








早く、去りたかったから。















風呂を沸かしながら、名無しさんはそこを一歩も動かなかった。実弥と顔を合わせたくなかったから。








しかし、風呂が沸いたので実弥の部屋に行き、襖の前から声を掛けた。



「実弥、お風呂沸いたよ?」



「あぁ、ありがとなァ。行く。」



それだけの会話だった。名無しさんはすぐさま、隣の自分の部屋に入り込んだ。いつもきちんと閉めている襖が開いたままだった。



ーーーーそっか…、私、昨日…ー



自分が置き手紙をして出て行ったことを、まるで遠い日の記憶のように感じた名無しさん。色々な事が、一度にあり過ぎていた。














襖が開く音、閉まる音、実弥が風呂へ向かう音、帰って来た音、衣が擦れる着替えの音、刀を触っている金属の音。




「名無しさん。」



部屋でボーッとして実弥が出す音をただひたすら耳に入れていた名無しさんの名を、襖の外から実弥が呼んだ。



名無しさんは、立ち上がって襖を開いた。そこには、何ら変わりはない"いつもの"実弥が立っていた。



「…………………」



「…………………」



何故か、二人共黙って見つめ合う。



「…………もう、居なくなるんじゃねェぞ。それじゃ、行ってくる。」



短くそれだけ発した実弥は、そのまま背中を向けて名無しさんの前から消えた。



いつもなら、たぶん、笑いながら頭や頬を撫でてくれているだろう。口付けもくれたかもしれない。



でも、何一つ無かった。



名無しさんは、もう、返事なんて最初から決まっていたのに、出会った瞬間から何も変わらないのに、実弥を傷付けた事を酷く後悔して、…一粒の涙を流した。






















名無しさんが動かないで立ったままでいた所に、沙栄子がヒョコっと現れた。



「お〜い!お〜〜い!名無しさんちゃ〜〜〜ん!」



名無しさんはあまりにも考え込んでいたらしい。目の前に沙栄子の顔が入ってくるまで、その存在に気がつかなかった。



「ッわぁっ!!」



びっくりして反射的に二歩後ろに下がった。



「あ、沙栄子さん…、すみません!考え事してて…、」



「全く動かないからびっくりしちゃった!人形かと思ったもの。」



片目を瞑って茶目っ気たっぷりに笑う沙栄子を見て、名無しさんは少し安心して短く息を吐いた。



「すみません…。」



「いいのよー!それより!お夕飯を作りに来たのだけれど、何がいい?」



「えっ…でも、実弥は…」



「名無しさんちゃんが早くよくなりますようにって元気付け!」



どこから聞きつけたのか、キラキラと眩しいくらいの笑顔を向けてくる沙栄子に、名無しさんは言葉が返せなくて頭の中を一生懸命回転させた。



「えっと…」



「ん?何が食べたい?」
















「申し訳ありませんっ!!!」



「えっ!?」



いきなりガバッと頭を下げて謝罪の言葉を大きく叫んだ名無しさんに、沙栄子は目をまん丸に見開いて困惑した。



「ちょっ、名無しさんちゃん!とりあえず、頭を上げて?ね?」



オロオロして右手を名無しさんの左肩に置き、顔を覗き込もうと屈む沙栄子。



ゆっくりと体勢を戻した名無しさんは、俯いていた。



「すみません、沙栄子さん…。沙栄子さんのお料理がとっても美味しいのは知っているんですけれど、…私、今日、食欲無くて……」



さっきとは打って変わって小さく喋る名無しさん。そんな名無しさんに、沙栄子はニッと笑顔を見せた。



「そんな日もあるわよね、分かった!じゃあ、また今度!二人で食べましょ!ね?」



「ありがとうございます…」



顔を上げた名無しさんの目には、花が咲いた様な沙栄子の優しい顔があった。





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