□降り注ぐ
1ページ/1ページ




沙栄子は、抱き着くように名無しさんをムギュっと腕の中に包み込んで、笑顔で手を振って一瞬で消えた。



「……………」



久しぶりに感じた、誰かに抱き締められる感覚。温かさ。安心感。



名無しさんは、また人形のようにそこに立ったままになった。

















どれくらい時間が立っただろうか。落ち着いた頃には、陽が傾き始めていた。



名無しさんは、部屋に戻って浴衣と手拭いを手に取ると、風呂場へ向かった。



ぬるくなっていると思っていたが、熱いのが苦手な名無しさんには、ちょうどよかった。脱衣して、左腕にかからないように気をつけながら、身体にお湯をかけた。



「……………」



何となく、実弥の匂いがした気がした。名無しさんは、涙が頬を滑り落ちていくのを、何度も何度も頭からお湯をかぶって気付かないふりをした。






風呂からあがった名無しさんは、自分の部屋には戻らず、実弥の部屋の前の廊下に、腰を降ろして座った。まだ、髪が濡れている。



そして、そこから夕焼け空を見上げた。右端には、この屋敷の立派な松の木が視界に入っている。名無しさんは、壁に背中を預けて、ずっと空を見ていた。







ずっと、泣いていた。





















何時間経っただろう。目が腫れて重たくて仕方ない。こんなに泣いたのは、いつぶりだろうか。小さい頃は、よく泣いていたけれど。



「寒っ…」



名無しさんは全く考えていなかった気温の差を急に身に感じて、身震いした。まだ痛む左腕は使えず、使える右手で自分の肩を抱き寄せて背中を丸めた。



「違うっ…ちが、う、……!」



あぁ、どうして涙は枯れないんだろう。自分で自分を抱き締めたら、こうじゃない、と、余計に悲しくなって自分を否定していく名無しさん。



「実…弥っ…、…」























ふわっ
















ーーーーあぁ、どうしてだろう。あなたはいつも、私を助けに来てくれるんだね。ー










「泣いていいのは俺の腕の中だけって言ったろォ。」



「実弥っ…!」



勢いよく顔を上げれば、そこには実弥の銀色の髪があった。実弥は、キツく抱き締めながら擦り寄るように頬を寄せていた。



「実弥っ、顔、見えないっ!」



「あ?」



身体を離して少し空間をとった実弥と、至近距離で目が合う。



「実弥ッ…おかえりなさい!」



「ただいま。」



ポロポロと涙を零す名無しさんに、目を細めて優しい笑顔を向けた実弥。名無しさんは、涙もそのままに、早く伝えなければと全然纏まっていないが、言葉を紡ぎだした。実弥の新しい羽織りの胸元を、ギュッと強く握った。泣き過ぎてうまく息が吸えない。



「あのねっ、あの、ね、ッ」



「落ち着けェ。全部聞くからァ。」









「あのねっ、私、実弥が好き!大好きなのっ!もう離れたくないよぉ…いつも一緒がいいの…ッ!寂しかった…実弥が触れてくれないと、涙が出るの…悲しくて、悲しくてっ…ダメなのっ…」



過呼吸になりかけていた名無しさんの頬を、優しい手つきで包み込む実弥。抱き締めている手は、名無しさんの背中を摩っていた。まるで、子どもをあやす親のようだ。



「ね、実弥?もう一度、愛してくれるっ…?」



涙と嗚咽でぐしゃぐしゃな顔は、本当なら見せたくない。どうしようもなく必死な名無しさんには、もうそれを気にする余裕は無かった。



実弥は、名無しさんの心からの想いをやっと聞けて、胸がいっぱいになって顔を近付けた。額と額が、コツンと当たる。二人共、見つめ合ったまま。



「俺は、最初から名無しさんを愛してんだろうがァ。名無しさんも、俺のこと、愛してんだろォ?手紙にそう書いてあった。」



「あ……、」



ニヒヒッと笑いを含んだ笑みを浮かべる実弥と、思い出した名無しさん。恥ずかしくて言葉に詰まった。あの時は、もう二度と合わないつもりだったから、素直に書けた。でも、口に出したことはまだ無い。



「……実弥、」



「ん?」



「愛してる。」



目を閉じて顎を前へと突き出した名無しさんは、そのまま実弥の唇と自分の唇を合わせた。生まれて初めて、自分から欲しがった瞬間だった。











「……………………」



唇を離した名無しさんの眼前には、目を泳がせて、顔をほんのり赤くした実弥がいた。



「やべェな……」





.
次の章へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ