main 〜Roman〜

□C'est‐a‐dire
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そう言われて初めて、痛みのあった左腕を確認してみた。昨夜仕事の際にちょっとした手違いで負ってしまった傷があるのだが。
「……これは」
左腕の傷の辺りに、包帯が巻かれていた。そう言えば、と思って見ると、傷を負った腹の辺りも、包帯で覆われている。ばっ、と顔を上げて彼を見ると、彼は少し困った様に微笑んだ。
「私は医者ではないが、出来る事はしたつもりだよ」
「!ッ…すまない。礼を言う」
「礼には及ばないさ。この丘の麓で倒れていたんだ。私以外には誰もいないし、手当てが出来なかっただろう」
「…誰も、とは?」
「此処は私の工房にして居城だ。誰も畏れて立ち入らないんだよ」
そう言われ、改めて彼を見遣るが、私のように罪を負った者という雰囲気は見受けられない。少し痩せた身体。指先には傷を負ったのか、無数のテーピングがなされている。あの細い腕で私を持ち上げ、運んだというのか。驚かされる。
「心から礼を言う。…有難う」
改めて言うと、オーギュストは照れくさそうに、口の端に微笑を浮かべた。
瞬間、私の中に衝動が疾った。自分でもどうしてそうしたのか分からない。私は、身を乗り出して彼の背中に手を回した。
「!あ、アビスさんっ」
唐突に引き寄せられ困惑した表情の彼の主張を遮るかのように、私は、彼の唇を奪っていた。彼が解けない腕の中から脱出を図ろうと胸を拳でどんどんと押すが、その程度の力では押しのけられない。私は彼の薄く開いた唇から舌を忍ばせ、深く口付けた。
「ぅん…っ…!や…!!」
突然の静寂。彼からぴんと突き出た両腕。私の身体は引き離されていた。オーギュストが俯いて、肩で荒い呼吸を整えているのが分かる。その姿にさえも、どこか愛しいと思う私がいた。
「…まだ完全には治りきってないみたいだね。もう暫く寝ていなさい」
早口で言うだけ言うと、オーギュストはすたすたと奥の部屋へと歩いていってしまう。其処が彼の言う「工房」だろう。
しかし、それより問題なのは…。


いつまでも治まらない胸の痛みと鼓動に、ひとり頭を抱えるアビスであった。



―――― C'est‐a‐dire
  (それは所謂、「一目惚れ」というやつだ)
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