裏
□愛しているのは貴方だけ
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時の流れとは早いもの。
望美が弁慶に別れを告げてから、数週間の時間が経った。
もちろんそんなこと納得していない弁慶は何度も望美に話し合いを持ちかけた。
しかし、望美は頑なにそれを拒み、弁慶を避け続けた。
無理矢理、抱き締めて口付けを重ねてしまおうと思ったが、そんなことをすれば関係が悪化するだけ。
弁慶はまともに望美と顔を合わすこともできなく、正直いって苛立った。
時間が流れている間、望美の身体の傷はもうほとんだ癒えた。
深手を負っているヒノエも歩き回れるぐらい回復して、傷が完全に癒えるのは時間の問題だろう。
二人の傷が癒えたら望美と京の五条に戻ろうと思っていた弁慶だが、今の状態ではとても戻れない。
****
日の光もとっくに落ちた、満月が空に浮かぶ夜。
弁慶はそっと廊下を渡り歩き、望美が休んでいる寝所へと向かった。
一方的に別れを告げた、愛しい妻に会うために。
「……望美さん、話が…」
静かに障子を開き、望美の返事を待たずに部屋の中へと入る。
返事を待っていては、きっと彼女は中へと入れてくれないから。
褥の上にちょこんと座っている望美に弁慶はそっと近づくと、腰を下ろした。
そして少し屈むように顔を覗きこむ。
すると…
「弁慶さんと話すことはありません。いい加減、五条に帰ったらどうですか?」
そんな冷たい返事が返ってくる。
苛立つ心を抑えて、弁慶は溜息を零す。
一体、何回こんな会話をしただろう。
「君を置いて五条に帰ることなんてできません。…君は僕の妻です」
『妻』という言葉に望美がピクッと反応したのがわかった。
でも、すぐに元の冷たい顔に戻る。
「っ…何度も言わせないで下さい!私はもう…弁慶さんの妻じゃない…別れて下さいって言いました!」
「君の気持ちがわかっていて納得できるわけないでしょう!?」
君がヒノエのことで責任を感じていて、僕と別れると言い出したことはわかる。
それをわかっていて…いや、わかっていなくても僕が君を手放せるわけない。
「私のことわかっているって…自惚れないでください!!」
「望美さんっ!!」
「弁慶さんなんか私の気持ち何もわかっていない!!」
…ううん、違う…本当は…私の心なんて全部弁慶さんに読まれてしまっている…。
「私は貴方と生きていくことに疲れました!これからはヒノエ君と一緒に歩みたいんです!!」
…嘘…、弁慶さんといることを疲れたなんて思ったことない…。
ずっと…ずっと、ずっと、弁慶さんと共に歩んで生きたい…。
「迷惑なんです!これ以上…私に付き纏わないで…!!」
「っ…!望美…さ…ん…」
「もう貴方んことは愛していません!…嫌い…大嫌い!」
弁慶を見ないように、振り返らないように、望美は寝所を飛び出て行った。
わざと、弁慶が傷つくような言い方をしたのは彼に自分を嫌いにさせるため。
自分のことなんて忘れて、他の人と幸せになってもらうため。
弁慶が自分をどれほど愛してくれているのか、望美には痛いほどわかっていた。
だから、自分に執着させないため、嫌われようと思った。
「…っ……ぅ!」
だけど、愛している人に大嫌いということは死ぬほど辛かった。
止まらない涙はどうすることもできない。
きっと、まだ弁慶は自分のことを諦めてくれていない。
彼の瞳が自分を愛していると訴えていたから。
「…もう…決めたんだから…戻れないよ」
覚悟はもう決めていたこと。
こうすることは他の誰でもなく自分のため。
弁慶と別れることも、ヒノエに寄り添うときめたことも、全部自分の決めたこと。
これが、望美の償いだった。
「…さようなら…弁慶さん。……ごめんなさい」
望美は自身の寝所とは別の方向へと歩き出した。
覚悟を秘めた瞳をして…――。
****
僅かに灯る明かりをかざして、ヒノエは寝所で書物に目を通していた。
いくら怪我を負っているといっても、彼は熊野別当。
しなければならない仕事はいくらでもあるのだ。
いつまでもオチオチ休んでいられない。
片目を失ったことにより、視力は若干下がったように感じた。
無事であった右目を擦り、あくびをしながら書物を捲ろうと手を伸ばす。
すると、障子が音を立てずに開かれた。
「…望美…?」
こんな時間に別当である自分に許可も無く部屋に入ってくるなんて誰かと思ったら、そこには愛しい少女がいた。
「望美…?どうしたんだ…こんな時間に…」
黙って俯きながら部屋に入って来た望美にヒノエは首を傾げた。
望美は何も言わずヒノエに近づくと、正面に向かい合うようにして座った。
「望美?」
「……い……て…」
「え?」
あまりに小さすぎるぐらいの声に、ヒノエは耳を立て聞き返した。
そして返って来た言葉に耳を疑った。
「…抱いて」
「……………え……?」
望美が何を言ってるのか一瞬理解できなかった。
「弁慶さんとは別れたの…だから…ヒノエ君の奥さんにして…」
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