□愛しているのは貴方だけ
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「どういうことですか!?兄さん!!」


いつもは冷静な弁慶が、大きく声を荒げた。

それも、そのはず。

前熊野別当である兄にあくる朝呼び出されたら、耳を疑うようなことを言われた。

『お前…本当に望美ちゃんと別れたのか?』…と。

分けがわからずどういうことかを聞くと、ヒノエが望美を自分の奥方にすると伝えてきたというのだ。

そして、ついらしくもなく声を荒げたのだ。


「…どういうことかって…俺が聞きたいんだが」

「っ…!ヒノエは…ヒノエはどこにいるんですか!?」


兄と話していても埒があかないと、弁慶は湛快に詰め寄ってヒノエの居場所を聞き出す。


「あいつはさっき朝餉を食って、今は寝所に戻ってるが…」

「ヒノエの寝所ですね!?わかりました!」

「待て、弁慶」


今にも駆け出していきそうな弁慶を、湛快は肩を掴み止めた。


「なんですか」


早く話してくれと言わんばかりに、弁慶の顔に焦りが見える。


「…望美ちゃん付きの女房からの報告だが…今朝、望美ちゃんに朝餉を持っていくと寝所にいなかったそうだ」

「……え?」


昨夜は弁慶が望美の寝所に話し合いに訪ねると揉めてしまって、部屋を飛び出してしまった。

その後、弁慶も望美の寝所から出て、自身の寝所へと戻ったのだ。

自分が出て行った後、望美は戻ってると思っていた。

この別当邸にいる間、望美には専属の女房が付いている。

その女房は、望美の着替えを手伝ったり、食事を運んだりしていた。

しかし、今朝いつものように女房が望美の寝所に朝餉を運ぶとその姿は無かったのだという。


「…望美ちゃんは昨夜、お前の部屋にはいなかったんだろう?」


兄の言葉に、嫌な汗が背中を伝う。

望美は昨夜、自身の寝所にも、弁慶の寝所にもいなかった。

他に思い当たるのは…――。


「っ…!!!」

「ま、待て!弁慶っ!!!」


僕は兄さんの制止をを振り払って走り出した。

まさかと思った…信じたくなかった…。

望美さんが僕を裏切るはずないと…そう思いたかった…。





****





「…望美、望美」

「ん…」


耳元で自分の名を呼ぶ声に、望美は目を覚ました。

頭がはっきりとしなくて、ぼーっとした虚ろな目つきで自分を見下ろす青年を見つめる。


「…ヒノエ…くん…」

「おはよ…望美」


…そっか…私、昨夜ヒノエ君と…。


「…おはよう、ヒノエ君」


望美は褥から起き上がろうとすると、下腹部にズキッと痛みがはしった。

思わず、顔を歪める望美をヒノエは支えてやる。

そういえば、望美は何一つ身体に纏っていない状態で、頬を染める。


「…っ…ひ、ヒノエ君…私の服…」

「ん?あぁ、ごめん、ごめん。はい」


褥の周りに散らばった着物をヒノエが拾い、望美に渡す。


「ありがとう…後ろ向いていてね?」


ヒノエはくすっと笑って、望美に背を向ける。

着物を通そうとした望美の目に、自身の身体中の赤い跡が映った。

それは、ヒノエに愛された証。

そして…弁慶を裏切った証でもある。


「……」


望美は着物をぎゅっと握りしめた。


バタバタバタ…


床に響く音がした。

望美は初め、それに気にしていなかったが、その足音がどんどん近づいてくるのを感じた。

そして、ハッと気が付いた。

この足音が誰のものなのか…望美には直感的に悟った。

そして、それは当たってしまった。


「望美さんっ!!」


障子を開ける確認もなしに、勢い良く寝所へと入って来た者の姿を見て望美は固まった。


「…べ…けい…さ…ん」


そして固まってしまったのは望美だけではなく、寝所へと入って来た弁慶もだった。


「っ…望美…さん…」


目の前の愛しい人は、身体に何も纏っていなく白い肌に赤い跡を浮かび上がらせている。

誰が見てもこの状況は理解できた。

望美はヒノエと身体を重ねたのだと。

弁慶の頭にどうしようもないぐらいにカッと血が上る。


「っ…ヒノエっ!!!」


その押さえ切れない怒りは望美のすぐ隣にいるヒノエへと向けられる。

彼に歩み寄ると拳を作り、殴りかかろうとした。

しかし…


「やめてっ!!!やめてください、弁慶さん!!」


望美が弁慶の腕にしがみつき、それを遮る。


「望美さん…どうして邪魔するんですか!?」

「ヒノエ君は悪くない!私が…私が頼んだんです!抱いてって…ヒノエ君の奥さんにしてって…!」


ヒノエ君は何も悪くない…。

全部、私が自分で決めたこと…。

弁慶さんを裏切ったことも…全部、全部…私が悪い…。


「望美さん…」

「殴るなら私を殴ってください…!」


泣いて懇願してくる望美に、弁慶は気がどうにかなりそうだった。

望美からヒノエに抱かれることを望んだ?

泣いているのは望美だが、弁慶も心は泣き叫んでいた。


「…弁慶」


今まで黙っていたヒノエが口を開いた。

弁慶はヒノエに睨みつけるような、恨みが篭っているような視線を向けた。


「望美は俺を選んでくれた…。俺は望美を愛しているし、守る覚悟だってある」

「……それで?」

「望美は俺の妻にする、熊野別当の奥方としてだけじゃなくて、俺の妻として大切にする…」


だから…と言うと、ヒノエは弁慶に頭を下げた。

それには望美はもちろんさすがの弁慶も驚いた。


「俺に望美を譲ってくれ…」


上に立つべき熊野別当がこんな風に人に頭を下げるなど普通は考えられないだろう。

しかし、今のヒノエに恥も何も無かった。

ただ、真っ直ぐと弁慶に自分の思いを口にした。


「……」


弁慶は何も答えずにその場を去って行った。

その後姿は今まで見たどの彼よりも儚く望美の目には映った…。



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