□愛しているのは貴方だけ
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部屋にいるのは二人の男。

一人は神妙な面持ちをした弁慶と、もう一人は彼の甥であるヒノエである。

ヒノエは弁慶に身体を支えられるように、褥から上半身だけ起こしている。

身体中に巻かれた包帯が傷の酷さを物語っている。


「そうか…やっぱり駄目、か」


ぽつりと、まるでわかっていたかのようにヒノエが呟いた。


「…ヒノエ」

「おい、そんな同情するような顔するな。俺は後悔してない、望美を守れて良かった…」


ヒノエはそっと手を自分の左目にそっと触れる。

眼帯に覆われていて直に触れることは適わない。

あの時、望美を庇った時に目を貫かれた痛みは今でも生々しく思い出せる。

しかし、この左目が治ることはないと、そう弁慶に告げられても心は穏やかだった。


望美を…守れて良かった。


頭にはそれしか残らなかった。

たとえ左目が視力を失ってしまっても、望美を守れたことを誇りに思うのだ。


「弁慶、望美は今どうしているんだ?」

「一度目を覚まされましたが、今は眠っています。…傷も君と比べればずっと少ないですよ」


そうか安心した、とヒノエは笑みを浮かべた。

弁慶は複雑な心境だった。

本当なら自分が、夫である自分が彼女を守るべきであった。

兄に酒を付き合わされていたから仕方ないなど言えるはずない。

別当邸なら安全だと、そう思い込んでいたことに問題があった。

幸い、望美もヒノエも命を落とすようなことにはならなかったが、深い傷を負ってしまった。

特にヒノエは左目を失ったことでこの先、生きていくことに少なからず支障が生じてくるだろう。


「…ヒノエ、望美さんを守ってくれてありがとう」


弁慶にはそれしか言えなかった。


「別に俺が自分でしたことだし、あんたに礼を言われることじゃないよ」


片目を失ったというのにこの甥は落ち込むどころか、どこか誇らしげに映った。

それが弁慶の気持ちをさらに複雑にした。

ヒノエが望美に想いを寄せているということは知っている、だからだ。


「弁慶、望美には俺の目のこと話したか?」

「いいえ…望美さんにはまだ伝えていません」

「…そうか、望美が目を覚ましたら俺が自分で話すよ」

「…わかりました」


そう言うと、弁慶は立ち上がり部屋を後にした。

そして、愛しい妻が眠っている部屋に向かった。

眠っている間、傍にいてと言われたがヒノエが目を覚ましたと聞き一旦離れたのだった。

望美が目を覚ました時に自分が傍にいなかったら悲しませてしまうと、弁慶は足を急いだ。






++++







弁慶が望美の元に着くと、まだ眠っているようだった。

ホッと胸を撫で下ろし、弁慶は望美の隣に腰を下ろした。

その寝顔を覗き込むように見詰める。


「…望美さん」


小さく呟くように妻の名を呼ぶが、望美が起きる気配はなかった。

弁慶は後悔の念でいっぱいだった。

自分が熊野に新婚旅行に行こうと言い出したせいでこんなことになってしまった。

大切で愛しい妻に傷を負わせてしまい、熊野別当である甥が自分の妻を庇い深手を負ってしまった。

すべて、自分が熊野に行こうと言い出さなければ…。


「…本当に僕は…罪を重ねてしまう…」

「どうして…?」

「えっ?」


突然かかった声に弁慶は呆気を取られてしまった。

視線を巡らすと、さっきまで眠っていた望美がこちらを見詰めていた。


「いつから…起きてたんですか?」

「弁慶さんが私を置いて、部屋を出て行った時です」


そんな前から起きていたのか…と弁慶の心を痛ませた。

傍にいてくれと言われたのに離れてしまった罪悪感が心を締め付ける。


「すみません…」

「謝らないでください、ちゃんと分かってます、ヒノエ君が目を覚ましたのでしょう?」

「ええ、思ったよりも元気そうでしたよ」


身体を起き上がらそうとする望美を弁慶は支えてやった。

すると、望美は傷の痛みに耐えながら立ち上がろうとした。


「望美さん!何を…」


弁慶の制止を無視するように望美は立ち上がったが、くらりと足元がおぼつかない。

ふらふらな望美を弁慶は抱き締めるように崩れ落ちるのを防いだ。


「私…ヒノエ君に謝らなくちゃ…ヒノエ君に会えますか?」

「……」

「弁慶さん?」

「…はい、会えますよ」


…ヒノエの左目のことを望美さんが知れば、きっと優しく責任感が強い彼女は酷く傷つくのだろう。

できれば、彼女を傷つけたくないが、ずっと黙っているわけにはいかない。


「…案内します、ヒノエのところへ」


どこか弁慶の顔が曇ったことに望美も気付いた。

しかし、それを尋ねることを躊躇わせるほど弁慶が顔をしかめていたため望美は黙っていた。

いつも優しい笑みを浮かべる彼とは違う顔が望美を嫌な予感へと駆り立てた。


…何があったの?弁慶さん…。









弁慶に身体を支えられながらヒノエの元に着くと、そこには全身包帯だらけの彼がいた。

あまりの痛々しさに眉を潜めるが、当の本人は思っていたよりずっと元気そうだった。

望美は良かった…と胸を撫で下ろした。


そして…


望美に辛い現実が突きつけられた。


「望美…先に言っておくけど、お前が責任を感じる必要はないから」

「え…?」

「…俺の左目…矢が貫かれて、もう駄目なんだ」


身体が強張り、背筋に嫌な汗を感じた。




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