裏
□天女の涙
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女性の扱いなんて手馴れたものだと思っていた。
穏やかな笑みを浮かべて近づき、後は優しい言葉を巧みにかけてやる。
そうすれば、大抵の女性は心を、身体を許した。
自分の容姿を自信に思ったことはないが、どうやら女性受けはするらしい。
戦の最中、敵の策略を探ったり情報を得るために女性と寝たことは多々ある。
出会って間もない僕に、簡単に身体を開く女性達。
騙されて僕と関係を持った女性もいたが、僕が源氏の者だと分かっていながら身体を開く女性にはさすがに苦笑した。
所詮この世は醜いもの。
応龍を滅ぼした僕がよくそんなことを言うものだけど。
愛情というものが無くても、身体を交わらせる。
人間の本能…欲というものだろうか。
人々の心は砂漠の様に枯れていて、戦が起こる。
恨み、憎しみ、悲しみ、止まることのない不の連鎖。
僕にだって信じる者、仲間はいる。
だけど、人の心の行く末なんて誰にもわからない。
結局人とは、孤独な生き物なんだと思う。
誰かに心を許すなんて、好きだ、愛するなんて感情は一時の迷いに過ぎない。
それは彼女も例外ではない。
『好きです…弁慶さんが好き…傍にいたい、です…』
そう想いを告げられた。
少し声を震わせ、頬を赤く染める彼女を可愛いと思った。
でも…それだけだ。
好きだとか、ましてや愛なんて感情を僕は彼女に持ち合わせていない。
気持ちは嬉しいが、僕にとって彼女は特別な女性ではない。
神子という意味では特別な人だけど、それを除けばただの女性だ。
きっと、とても勇気をだして想いをぶつけてくれたんであろう彼女を僕は受け入れてあげれなかった。
彼女はそれでもこの世界に留まりたいと言った、僕の傍にいたいと。
そんな彼女に僕は…優しい言葉の一つもかけてやれなかった。
僕みたいな男を好きになってしまった彼女を哀れんだ。
早く僕なんて嫌いになって忘れて、元の世界に帰るべきだ。
この世界は彼女の本来いるべき所じゃない、僕の傍にいたって…傷つくだけだ。
「…どうして…どうして僕なんかを好きだなんて言うんですか…望美さん…」
今宵は満月。
天女が元の世界に帰るには相応しい夜であろう。
今は九郎の所で厄介になっている弁慶は、一人縁側で酒を飲んでいた。
酒はそんなに好きではないが、決して弱い方でもない。
ただ無性に飲みたくなる時があった。
特に、こんな夜は。
「弁慶」
長い廊下の向こう側から近づく影に、弁慶は目をやる。
「九郎…」
「何してる、こんな所で」
「…見て分かりませんか、酒を飲んでいるんですよ」
弁慶は九郎に移した視線を戻し、再び月を見上げた。
「それぐらいは分かっている。何、こんな所で一人酒を飲んでいるのかと聞いているんだ」
「…別に。ただ、月が綺麗だと思いまして見ていただけですよ」
「ん?ああ、確かに綺麗だな」
九郎は弁慶の隣に腰を下ろすと、どこからか猪口(ちょこ)を取り出した。
そして弁慶が飲んでいた酒を注いだ。
「お前は一人が好きなのか」
「…まあ、どちらかと言えばそうですね。誰にも気を使わないですみますし」
「そうか、だが酒は一人で飲むものじゃないだろう。俺も付き合う」
一人酒という言葉もあるのだけれど、と思いながら弁慶は苦笑した。
全くお節介だと、しかし相反してありがたいと思った。
一人で酒を飲んでいる、無性に物悲しさが込み上げてくるから。
「…弁慶」
「はい」
「お前は…望美のことどう思っている?」
やはりその話かと思いながら、弁慶は顔色を変えずに答えた。
「望美さんのことですか。そうですね…元の世界に帰るべきだと思います」
「…あいつが未だにこの世界に留まっているのは、お前のことが…」
「九郎」
それ以上は言うなと意味を込めて、弁慶は名を呼んだ。
わざわざ言われなくても、分かりきっている。
望美が元の世界に戻らずにこちらに留まっている原因が自分だということは。
「僕は彼女の気持ちには応えられません」
「……」
「彼女が僕を好いてくれているように、僕は彼女を想っていない…」
「望美が…嫌いか?」
目を伏せながら、弁慶は首を振った。
好きとか、嫌いとか、そういうのではないのだと。
「好きですよ。でも…望美さんが僕に感じてくれている好きとは違います」
「…それでも…少しぐらい望美を見てやったらどうだ」
「それでどうするんです。僕は彼女の気持ちに応えられないのに…優しくして、余計に傷つけてしまいます」
ぐいっと猪口に入っていた酒を一気に飲み干した。
そんな弁慶の様子に、九郎は思った。
弁慶は望美のことを好きではないと言った、確かにそうなのかもしれない。
でも、それでも気にかけているってことは少なからず望美に対して抱く気持ちがあるからだろう。
本当に何とも思っていない者だったら、優しさなんて持ち合わせる男じゃない。
「もう平家との戦は終わり、姉上を巣食っていた茶吉尼天も倒したんだ。お前も…もう落ち着いてもいいじゃないか」
「それは軍師を辞めろということですか」
「辞めろとは言っていない。だが、辞めて薬師として生きた方がお前にはいいと思う」
「…そうかも、しれませんね」
僕は罪深い。
応龍を滅ぼし、京を荒廃させた張本人だ。
仕方がないと…多くの人達を犠牲にしてきた。
許されるものではないし、忘れて無かったことになどできない。
僕は罪を償わなければいけない、たくさんの人達を傷つけた代償として、それ以上の人々を救うことが僕の償い。
「僕がいなくても…君は大丈夫ですか?」
「平気だ、俺だってお前にばかり頼ってられん」
ただ…、と九郎は弁慶の猪口に酒を漱ぎながら言った。
「軍師を辞めても、たまには俺の酒の相手をしてくれ」
微笑みながら、弁慶は頷いた。
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