□天女の涙
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盗み見なんてするつもりなかった。

敢えて言うなら、その場から足を動かせなくなってしまっただけ。

目に映った光景を何も見なかったかの様に逸らすことができなかった。

なんて滑稽な有様だろう。

愛しい人が自分の甥っ子と口付けを交わし、抱き締められていた…それだけで僕は胸が抉られて引き裂かれる様な痛みを感じた。

もちろん無理矢理や嫌がる様子を彼女が見せれば二人を引き離し、甥に拳の一つや二つをくらわせていた。

でもそんな様子はなく、僕はひっそりと二人を見ているしかなかった。

姿ははっきりと見えるのに声は聞き取ることができず、何を話しているのかわからない。

僕にだけ微笑みかけてほしい、僕以外にの男となんて話さないでくれという理不尽な思いが頭を支配する。

その一方でこのままヒノエと結ばれれば彼女は幸せになれるのではないかと思ってしまう。

今まで散々彼女を傷つけて泣かせてしまい、罪を背負う僕よりもヒノエの方がいいに決まっている。



「…っ…それでも…僕は…」


好きだ、愛してるなんて、陳腐な言葉では言い表せないこの胸の奥底から溢れてくる気持ち。

愛しすぎてしまった、たった一人の少女を。

そう、それはきっと、過去のあの守れなくて失ってしまった彼女よりももっとずっと…。

どうしてもっと早くこの気持ちに気付くことができなかった。

自分のことをずっと一途に好きだと言ってくれた目の前の少女を抱き締めてやることができなかった。

失ったかの人を想う気持ちはもちろん今もなおある。

でも、死者は甦りはしないのだ。

怨霊と言う形でなら、可能なのかもしれないが、それは悲しい存在にすぎない。

生きていて、こうしてすぐに近くにいる愛しい少女をこの腕に抱き締めてやれないのが悔しい。


「…っ…」


血が滲むほどグッと拳を握り締めると、真っ赤な血が伝った。

けれど痛いのは拳ではなくて、胸の痛みだった。







* * * *







望美が弁慶に連れられて熊野にやってきて三晩が経とうとしていた。

望美の様子がおかしいと弁慶は感じたいた。

具体的にどうおかしいのかというと、避けられているのだ、弁慶が望美に。

初めは気のせいかと弁慶も思ったいたが、目が合い話しかけようとした時にあからさまに視線を逸らされて確信に変わった。

なぜ?熊野に共に来た時は普通だった。

あえて言うなら、弁慶があの望美とヒノエの口付けと抱擁を盗み見してしまってからだ。

でもそのことは望美もヒノエを気付いていないはず、だったらなぜ避けられる?

弁慶は熊野にそんなに長居はできない。このまま望美に避けられたまま京に帰るなんて嫌だった。

だから無礼だとは思いつつも、静まり返った今宵に望美が別当邸で使っている寝所へと忍び込んだのだ。


「…望美さん」


返事は返ってこない。

それもそのはず、望美はすでにぐっすりと眠っているから。

長い望美の髪がまるで波を描くように褥に模様を作り、それがあまりにも美しくドクンを胸が跳ねた。

これではまるで夜這いに来ているようだと、弁慶は苦笑した。


「…ん…」


年相応の可愛らしい寝顔に弁慶も思わず笑みを零し、起こしてしまうのがかわいそうになってくる。

望美が寝返りをうったことで着物が少し着崩れ、白い肌が弁慶の視界へと入ってくる。

そんなつもりで今ここにいるわけではないのに、愛しい人だというだけでドクンと再び胸が跳ねる。

自然と手が伸びてさらっとした前髪に触れる。それでも望美が起きる気配はない。


「…好きです…君が…愛しています…」


直接言うことはできないから、今、こうして眠っている望美にそっと語りかける。

弁慶が自分の気持ちを望美に伝えるのは、記憶が戻ってから、そう決めたから。

しかし、記憶を取り戻した望美に自分の気持ちを伝えれば、それは望美をこの世界に引き止めることになってしまうかもしれない。

愛する望美に自分の傍にずっといてほしいと思う気持ち、けど元の平和な安全なあるべき世界に戻ってほしいという気持ち、自分でh本当に望美を幸せにすることができるのか、またはこの世界で自分以外の…例えばヒノエと結ばれて幸せになってくれれば自分のモノにならなくても見守っていけるという気持ち。

ざまざまな気持ちが、想いが渦巻く。


「…望美さん…」


触れるだけの口付けを頬に落とそうとした、その時、さっきまでしっかりと閉じられていた望美の瞳が開いた。

驚き弁慶はばっと身体を望美から離した。

むくりと望美は上半身だけ起き上がり、目の前の弁慶をじっと見つめた。


「べん…け…さん…?」


どうして今ここに弁慶がいるのかと、明らかに困惑した表情を浮かべている。

状況が揉みこめないのだろう、望美は女性らしくいそいそと寝癖を直している。

なぜ今弁慶がここにいるか。それは簡単だ、避けられている理由が聞きたい、それだけ。


「…望美さん…僕を避けていますよね…?どうしてですか」


寝癖を直していた望美の手がピタリと止まって、視線が真剣な弁慶の瞳と交わる。

逸らすことは許さないという強い視線に、望美は思わず身体を引いていた。

なぜ弁慶を避けていたのか、それは…―。


「…別に…避けてなんていません…」

「そんな嘘は通りませんよ。僕がそれで納得すると思っているんですか?」

「っ…」


避けるつもりなんてなかった。

ただ気付いてしまったから自分の気持ちに、弁慶のことが好きなんだと、記憶を失う前も失った後もずっと…。

好きだと気付いたのに、すでにその想いは振られていて叶わないもの。

それが切なくて悲しくて、自然と彼を避けてしまったのだ。

自分のことを好きだと言ってくれたヒノエのことも考えたかった、だからだ。


「…避けていたんじゃないです…ちょっと考え事をしていて…」


これは半分本当で半分嘘だ。


「考えごととは…ヒノエのことですか?」

「っ!?」

「…すみません。偶然、君とヒノエが抱き合っているのを見てしまったものですから」


あの光景を見られていた?望美はかぁっと頬を赤く染めた。

幸い部屋の明かりは落とされているので弁慶に頬が染まっているのはわからないだろうが、熱が篭る。

弁慶の様子から会話は聞かれていないみたいだが、見られていたということは口付けされたのもみられていたのだろう。

誤解されるのは嫌だと、何かを口にしなければと思うものの言葉が出ない。

なんと言えばいいのだろうか、自分が好きなのはヒノエではなく弁慶だと?

そんなこと、言えたら初めから苦労はしていない。


「…望美さん…ヒノエならきっと君を幸せにしてくれますよ」

「え…」

「彼はまだ若いですが、熊野別当だけあってしっかりしていますし君もきっと大事に…」


大事にしてくれます…という弁慶の言葉は最後まで紡ぐことはかなわなかった。

目の前の愛しい人がその瞳から大粒の涙を零しだしたから。

ぽろり、ぽろりと零れる涙はまるで真珠のようで、涙を流すその人は天女のようだった。


「望美さ…」

「っ…私が好きなのはっ…ヒノエ君じゃない。…貴方です…っ…弁慶さん…」

「え……っん!?」


掠めるように奪われた唇に、弁慶はこれは夢かと一瞬疑った。

しかし、しっかりと残る唇の感触がこれは現実なのだと教えてくれる。

我を忘れるように、弁慶は目の前のその人を押し倒していた。







更新遅くてすみません…!
言い訳にしかなりませんが、急用で家に帰れなくて更新どころじゃなくなりました。
クリスマスに更新するつもりだったのに、遅れました…。
そろそろ話をサクサク進めていきたいです!
この話は裏部屋に置いてるので、痛い展開になることもありますので、苦手な方はお気を付けください。
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