裏
□天女の涙
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薬草を彼女と集めて五条の庵へと帰って来た。
大きな籠を背負う僕と、小さな籠を腕に抱える望美さん。
帰路の道をなんでもない世間話をしながら、それでも退屈だなんて感じなくてどちらかと言えば心地良い。
殆ど望美が一方的に喋っているが、弁慶はそれを微笑みながら耳を傾けている。
望美が楽しそうに話しているのを聞いていると、興味の無い話でも不思議と煩わしく感じなかった。
「望美さん、お茶飲みますか?」
「あ、はい。お願いします」
種類ごとに薬草を分けて、すぐに仕えるものは乾すことも湯掻くこともせず磨り潰した。
薬草摘みから一気に作業を続けたので望美も疲れているだろうと、弁慶は休憩を促した。
熱い茶を湯のみに注ぐと、望美に手渡した。
ありがとうございます、と礼を述べて望美は茶を啜った。
ごくんと動く喉元が、瞬きで伏せられる目の長い睫毛が色っぽい。
――そんなこと…望美さんに言ったらきっと真っ赤になってしまうんでしょうけど、ね。
僕と同じように後ろで一つに纏められて望美さんの髪…。
髪の色は違うはずなのに、長い髪が彼女を呼び起こす。
歳だって僕よりも年上だった彼女を、年下の望美さんと重ねるなんてどうかしている。
彼女はもういないのだ、僕が守ってあげれなかったから…僕と関わったから…彼女はもういない。
「…弁慶さん?どうかしたんですか…」
物思いに耽っていた弁慶に、望美が顔を覗きこんできた。
真近にある翡翠の瞳は美しく、何もかもを見透かされているように感じた。
「いえ…すみません。ちょっと昔のことを思い出していました」
昔のこと?と首を傾げる望美は興味深そうにこっちを見詰めてくる。
聞きたい!と顔に書いてあるようで、弁慶は苦笑を零した。
別に言っては駄目な話ではないが、正直楽しい話ではないし、望美は自分のことを好きだといってるのだから複雑な心境になるだろう。
弁慶が考えるように押し黙っていると、聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと望美は申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんんさい…聞いちゃ駄目なことでしたか…?」
「いえ、別に構いませんよ。望美さんを見ていたら、懐かしい人を思い出したんです」
「懐かしい、人…」
自分を見て思い出したというのだから、きっと女性だろうと望美は頭で思った。
弁慶の過去の女性との話は聞きたいようで、聞くのが怖い。
これ以上聞くのは止めようと、望美は少しわざとらしく話を逸らした。
「あっ、あの弁慶さん!今日もここに泊まっていいですか?」
「…構いませんが、三日も連続して泊まったりしたら朔殿が気にするのではありませんか」
そう。ここの所、二日間に渡り望美は弁慶の庵に泊まっている。
京で流行り病が流行していることもあり、たくさんの患者が弁慶の元にやって来るのだ。
さすがの弁慶でも大人数の診療は一人じゃなかなか思うように進まないために、望美も泊りがけで出来る範囲のことを手伝っていた。
しかし昨夜で患者も一段落着いたので、望美は今日朔や景時がいる京邸に帰る予定だったのだ。
「朔には暫く弁慶さんの所に泊まるといってあるので大丈夫です」
「しかし…もう手伝ってもらえることは全部してもらいましたから…」
「…いるだけじゃ…迷惑、ですか?」
まさに確信を突いてきて、弁慶は一瞬驚きを顔に出してしまいそうになった。
ただいるだけが迷惑かといわれれば、そんなことはない。
望美と一緒にいることは全然苦痛とは感じないし、寝所さえ別々にしていれば泊まることは構わない。
しかし弁慶だって男なのだ。
男とはどうしようもない生き物だ、ふとした瞬間に無性に女がほしくなる。
弁慶は望美を性的対象としては見ていないが、もし、…望美に誘われたとしたらその時どうなっているかなんてわからない。
「迷惑ではありませんよ。…君がここにいたいなら泊まっていってください」
「本当ですか!?」
嬉しそうに笑う望美に、つられる様に弁慶も微笑んだ。
人の心からの嬉しそうな笑顔はこっちも同じように穏やかな気持ちにさせてくれる。
普段、弁慶も人と接する時は極力笑顔を振り撒いてるがこれは心から笑っているものではないのだ。
人付き合いを上手くしていくために自然と見に付いた、言わば戦略に利用していたのだった。
だから、付き合いが長い甥には「胡散臭い顔は止めろ」とよく言われたものだ。
「望美さん、もうじき冬が来ます。夜はしっかりと着込んで眠って下さいね」
「はい。私が風邪を引いて、弁慶さんに迷惑かけちゃ意味ないですもんね」
「そうではないですよ。風邪といっても拗らせたりしたら命にだって関わるんです、ここは君の世界ほど医療が進んでいないですから」
「あ、そうですね。油断は禁物ですよね」
茶吉尼天を倒すために望美の世界に弁慶を初めとする八葉や朔、白龍は赴いた。
そしてすべてが終わり、ゆっくりと時間を過ごすこともなくこの世界に帰って来た。
弁慶が望美の世界で感じたことは、随分と科学が発達した世界のようだった。
車と呼ばれる乗り物、空に届くのではないかと思えるほど高く聳える建物。
医療だって、科学だって、あらゆることは発展しているのだろう。
そんな世界で育った望美が、自分のためなんかにこの不自由であろう世界に、両親や友人達と離れてまで留まっているのだ。
それが、望美の想いに応えてやれない弁慶に重く圧し掛かる。
「望美さん。僕は今から薬の調合をしなくてはいけないですから、君に夕餉の支度をお願いしてもいいですか?」
「はい!任せてください、弁慶さんの疲れが吹っ飛んじゃうぐらい美味しいものを作りますね!」
京邸でも朔の手伝いで料理をしているため、慣れないこの世界でもそれなりの料理は作れるようになった。
好きな人に作る手料理だ、女としては美味しい言ってもらいたい。
「ええ、期待していますね」
そう言うと、弁慶は薬草を収めている隣部屋に調合しに行った。
残された望美は袖を捲り上げて、「よし!」っと気合をいれて夕餉の調理を始めた。
* * * *
薬の調合をしている弁慶の耳に、トン、トン、と包丁で何かを刻んでいる音が聞こえてくる。
一人でいると、つい料理をすることが煩わしくて食事を抜けしてしまうことも度々ある。
しかし、こうして望美が泊まりに来ている日はしっかりとした温かい料理を食べることができる。
弁慶もそれなりに料理はできるが、自分の食べる分だけとなると手抜きになってしまう。
「…悪くないですね…こういう生活も…」
―…僕は生涯、妻を娶る気はない。
源氏の軍師をしていた時も、九郎の腹心ということでたくさんの縁談も誘われたがすべて断った。
熊野に帰ると今度は兄から縁談を薦めれて…いい加減にしてくれと言いたくなる。
傍に女性を置いておきたくない、とそう思っていたけど…悪くないかもしれない。
望美さんなら…一緒にいてもまるでそれが自然であるかのように過ごせる。
…望美さん…なら……彼女の代わりに…なるかもしれない…。
『ねえ、約束よ。全部終わったら…その時は必ず生きて帰って来ること…約束よ、弁慶』
……約束は守ったのに…彼女はいない。
彼女の代わりになんて……望美さんに対する侮辱だろう。
そんな代わりになんて知ったら、望美さんをどれほど傷つけることか………だから駄目なんだ…。
僕が好きなのは…愛しているのは……今も…。
「弁慶さーん、ご飯できましたよ」
ひょこっと顔を覗かせた望美は、料理が上手く作れたのか嬉しそうな強気な顔をしていた。
弁慶は当たりに散らかっている粉薬や薬草をそのままにして、腰を上げて望美の元に向かった。
並べられていた料理はどれもこの世界の平凡的なもので、お世辞にも豪華とは言えない。
でも、食べるものがあって、寝る所があって、こうして一緒に食事をしてくれる人がいる、それだけで十分なのだ。
「うん。君が作ってくれた料理はみんな美味しいですよ」
「えへ、良かった…。弁慶さんの口に合わなかったらどうしようかと思いました」
弁慶はとくに食べ物の好き嫌いはないし、苦い薬を調合するせいもあって下手物でも割合平気だ。
それ以前にそんな心配をする事も無く、望美の料理の腕はなかなかのものだと感じた。
「ふふ、君がもし僕の奥さんだったら自慢できますね」
「え…」
いつも口振りで言ってしまったことの弁慶は思わず口を押さえた。
望美を拒絶し続けているのは自分の方なのに、この言葉はあまりに軽率なものだ。
「すみません…軽率なことを言いました。…君の気持ちも考えずに…」
「………」
望美の返事は無い。
俯いていて表情は窺えず、怒っているのか、それとも泣いているのかさえわからない。
不味いことを言ってしまったと後から悔やんでも遅い、一度口に出した言葉は取り消せない。
「望美さん…本当にすみません…」
「……」
「…望美さん…」
しばらくして俯いていた望美さんがふと顔を上げた。
その顔は怒っているわけでも、泣いているのでもなかった、ただ…とても悲しそうで…。
真っ直ぐと見詰めてくる彼女の視線が僕に酷い罪悪感を与えてきた。
そして、ポツリ…と彼女は消え入るような声で何か言葉を紡いだ。
「…謝るぐらいなら……本当に弁慶さんの奥さんにしてほしいです……してください…」
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