裏
□天女の涙
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気付かないのは傍に居過ぎているから、いつも近くにある大切なものは離れてようやく、その大切さに気付く。
自分の近くにはいつも見守ってくれている人がいて、でも見ようとしないのは、過去の柵(しがらみ)のせいではなく大きすぎる無縁だと思っていた愛しさを認められないから。
もっと早く気付けばよかったと…後悔しても時間はもどることはない。
戻ることはできないから…やり直すことはできないから、その時、その時を精一杯生きなくてはいけない。
短い限りある人の生を、悔いのないように…。
「それじゃあ…お世話になりました」
「いえ、僕の方こそ助かりました」
望美が高熱を出し酷い頭痛に襲われてから数日が経ち、ようやく体調も整い体力も回復したので今日、京邸に戻ることとなった。
本当はここに、弁慶の傍にいたいというのが望美の本音だが、これ以上迷惑はかけられない。
あの時聞こえた不思議な声も、余計な心配はかけたくないと弁慶には黙ったままだった。
「あの…またお手伝いに来てもいいですか…?」
恐る恐る聞いてくる望美に弁慶は苦笑した。
元の世界に戻ることが望美のためには一番いいと思っているが、無理やり帰すなんてことはしたくない。
自分の意思で帰りたいと思わせないと、元の世界に戻っても望美は悩み苦しむだろう。
だから今の弁慶にできることは、この微妙な距離を保ちつつ、これ以上自分に近づけないようにすることだけだ。
「ええ、構いませんよ。君が来てくれると患者さん達も喜びますし、僕も助かります」
「そう言ってもらえて嬉しいです」
本当に嬉しそうに笑う望美を見ていると、自分が悩んでいることなんて馬鹿らしく思ってしまう。
望美の泣き顔を見ることは酷く胸が痛み辛いが、微笑む顔はとてもいとおしい。
ずっと傍で見ていたい…そんなことを思ってしまうぐらい心が癒される。
それは弁慶だけではなく、他の八葉達や、弁慶の元にやって来る患者達もだ。
望美には人を惹きつける何かがある。
弁慶も龍神の神子とはそういうものなのかと思ったが、きっと違う。
望美だから人々は惹かれていくのだろう、神子ではなく春日望美という一人の人間が持つ力なのだ。
「京邸までお送りしますよ」
「あ、大丈夫です!ここからなら距離もそんなにないし、弁慶さんはお仕事に行ってください」
「しかし…」
源氏と平家の和議が成り平和が訪れたと思ったが、反発するものたちの間では衝突も少なくなく、まだ京も安全とは言い切れない。
男ならまだしも、女性である望美を一人で出歩かすことは心配だ。
「大丈夫です!迷子になったりもしませんし、もし何かあったら返り討ちにしてやります!」
「…本当に、大丈夫ですか?」
「はいっ、そんなに心配しないで下さい」
普段なら必ず弁慶が送り迎えをしていたのだが、今日は朝早くから急患が入りすぐにでも支度をして出掛けなくてはならない。
不安はあったが、そこまで言うなら…と弁慶は望美を一人で京邸まで帰らせることにした。
そういえば、話そうと思っていた過去の話も結局話しそびれてしまった。
まぁ、それは次に望美が来た時にでも話せばいいかと思った。
望美の後姿が見えなくなるまで見送って、弁慶は自分の呼ばれた患者の元へと急いだ。
幸い患者の容態はそんなに悪くはなく、弁慶が持って行った薬を煎じて飲ませると次第によくなった。
これなら、望美を京邸まで送ってやればよかったなと思っても、もう、遅い…―。
* * * *
五条の弁慶の庵から真っ直ぐ京邸に帰っていた望美だったが、途中で見知らぬ男に呼び止められた。
『道に迷っちまったみたいなんです、よければ六波羅まで案内してくれませんか?』と。
特に急いでいるわけでもなかったので、望美は『はい、いいですよ』と応えた。
男は少し柄が悪そうだったが、物腰は低くて、六波羅まで送っている間もありがとうございますと何度も感謝を述べてきた。
望美は何の警戒心も持つことなく、男を六波羅まで送り届けた。
人を疑うことを知らずに、誰にでも分け隔てなく親切なのは望美の長所だが、それが災いとなるのだった。
「…あの…どこまで行くんですか?」
とっくに六波羅には着いているが、少し先にある家まで送ってほしいと言われて付いてきたが随分奥の方まで来てしまった。
人気もなく、とても誰かが住んでいるようには見えない。
さすがにおかしいことに気付いた望美は引き返そうとしたが、男に腕を掴まれてとっさに押し倒された。
「きゃっ…」
「馬鹿な女だな、こんな所までのこのこ付いて来るなんて」
さっきまでの優しい顔つきとはうって変わって、男は顔を歪め口の端を上げた。
手首を掴まれて地面に押さえつけられて望美は抵抗できない、男の顔が近づいてきたと思うと唇を塞がれた。
「っ…!?んんっ!!」
突然の口付けに驚き、バタつくように抵抗したが男の力には敵わない。
それに体調が戻って体力も回復したといっても、病み上がりであることは変わらなくいつもの様に力が入らない。
嫌だと顔を逸らそうとすると、片手で両腕を頭の上で押さえつけられ、空いたもう片方の手で顎を掴まれた。
まるで貪るように口付けられて、身体中に嫌悪がはしる。
「やっ…止めてください!!」
「騙された方が悪い、恨むなら…源氏を…武蔵坊弁慶を恨むんだな」
「えっ…」
弁慶の名に望美の言葉が止まった。
「俺はな、元は平家の兵だった……源氏の戦で何もかも失っちまった…家も、財産も…家族も…」
「…そ、それは…戦…だから…」
仕方ない…と続けようとした言葉は続けられなかった。
戦の世の中、何が起こるかなんてわからない。
失うものがあることは覚悟の上なのかもしれないが、それを仕方ないと割り切れるものではない。
「敵である源氏と和議なんて…認められねぇ…」
「っ…どうして?和議でもう戦は終わったのに…平和が来たのに…」
「源氏なんて…頼朝なんて信じられるかよ!…和議には源九郎義経や武蔵坊弁慶が深く関わったと聞いた……あんた、武蔵坊弁慶の女なんだろ?」
「ち、違っ…私はそんなのじゃ…!」
弁慶の女なんてそれは明らかに間違いだ、望美は彼のことが好きだがそれは片思いなのだから。
「嘘をつくな!あんたが武蔵坊弁慶の庵に度々足を運んでいることは知ってるんだ、誤魔化せるなんて思うなよ!」
「違うっ…本当に私は…!」
「自分の女が他の男に犯されたと知ったら、あのいつも澄ました顔してる軍師様はどんな顔するんだろうなぁ?」
再び唇を塞がれて、口内に男の舌が侵入してくる。
舌を絡め取るように舐められて、ぞわりと身体が震えた。
気持ち悪さに耐え切れなく、自分口内で動き回る舌に思いっきり噛み付いた。
すると男は望美から唇を離し、滲んでいた血を舌で舐め取った。
「…随分と反抗的だな…自分の立場がわかってないようだ」
男は懐からゴソゴソと何かを取り出した。
鋭く光るナイフのような短い刀、それを目にした途端望美は固まった。
無表情で望美の首元に刀を押し付けて、男は言った。
「殺されたくなかったら、大人しくしていろ」
あまりの恐怖で頷くこともできずにいる望美に、男は覆いかぶさり着物の襟元から手を差し込んできた。
素肌を見知らぬ男に撫で回され、望美は頬を染めた。
抵抗することもできなく、ただジッと耐えていたが男の手が胸に触れてきて身体をびくっと震わせた。
「やっ…!」
胸に触れていただけだった手が、いつしか弄ぶように胸を揉みしだいていく。
襟元を左右に大きく広げられて、隠すものが無くなり望美の白い肌と豊かな乳房が露になる。
腕で隠そうとしたが、それは男に阻まれた。
「…いい身体をしてるな…あの男にはもったいないぐらいに」
「いやっ…」
胸を揉んでいた男の手が離れたと思ったら、男は今度は口を寄せてきた。
嫌だと首を振り続ける望美に構うことなく、男は胸の尖った先端を口に含んだ。
舐められ、軽く噛み付くように歯を立てられて望美は顔を歪めた。
「やだっ!やぁ…」
男の手が帯を解こうと伸びてきた時、望美の瞳からは涙が溢れ出た。
――助けて…べん…け……さん…。
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