短編

□君が笑っていてくれるなら
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君が笑っていてくれるなら










豊葦原…中つ国…、正直そんなものどうだっていい。


この世界に来て五年…。


中つ国が常世の国に滅ぼされて、逃げるようにこの世界にやってきた。


記憶を失った千尋はすぐにこの世界に馴染み、風早もどうやってかは知らないけど教師になった。


そして…僕は…僕だけはいつも、どこか周りと馴染めなかった。


豊葦原とは違う、科学が発達して物が溢れ、豊かな世界。


中つ国に戻る気なんて全く無かった。


だけど、この世界に溶け込むことも無理だろうと思った。


それでも…千尋が笑っていてくれるなら構わないと思う。









雨の日は憂鬱だ。

髪はストレートだからマシの方かも知れないけど、上手く纏まらないから。

何より、晴れた日差しの中の木陰での昼寝が最高だ。


「…那岐、…那岐」

「ん…、…」

「もう、那岐ってば起きてよ」


ああ…今日もお節介な同居人が起こしにきた。

雨の日ぐらいずっと家で寝ていたいのに。

この同居人…周りにはイトコと言っているけど、本当はそんなんじゃない。

全くの赤の他人だ。

そして…故郷である豊葦原の中つ国の二ノ姫。

名は千尋。


「いい加減起きないと、学校遅刻しちゃうよ!」

「別にいいよ……学校なんて面倒くさいだけだし」

「もー、そんなこと言ったら風早に怒られちゃうよ?」


風早とはもう一人の同居人。

千尋が言うには、優しくて穏やかで兄のようだという。

…僕にとってはただの胡散臭い教師でしかないけど。


「じゃあ、風早に今日は学校休むって言っといて」

「何言ってるの!もう、本当にいい加減にしないと…」


私も怒るよ…と、続けようとした千尋の言葉が止まった。

ベットの上で布団に潜っている那岐の顔を覗きこんだ。

そして、はぁ…と溜息を零す。


「那岐…顔赤いよ。熱があるでしょう?」

「…別に、ただ眠たいから学校休みたいだけだよ」

「嘘!那岐はいつも自分が辛いこと隠すんだから…もっと私や風早を頼ってよ、家族なんだから…」

「…家族、ね」


僕は元々捨て子だった。

拾って育ててくれた狗奴の師匠がいたけど、すでにこの世にいない。

そして千尋も…中つ国の女王だった母親と姉である一ノ姫を失っている。

もっとも、千尋は豊葦原のことすら覚えてないけど。


「待ってて!何か消化にいいもの…お粥でも作ってくるから!」


ぱたぱたぱた…と遠ざかっていく足音。


「…お節介」


熱のせいだろうか頭がくらくらする。

耳に聞こえてくるのはシトシトと降り注ぐ雨の音。

瞳を閉じると浮かぶのは、豊葦原の豊かな自然。

まだたったの五年前まで過ごしていた故郷の地。

忘れたいとまで思ってはいないけど、忘れてしまえれば楽だとは思う。

全てを忘れて、こちらの世界の人間として穏やかに暮らせればどんなにいいだろう。


「…僕は…千尋が笑っていてくれればそれでいい」


たとえ、それがこの世界でも、豊葦原でも構わない。

国がどうとか、僕には関係ない。

考えるだけ面倒くさい。

でも、千尋の笑顔を守るためなら…そのためなら。








* * * *








「那岐ー、お粥作ってきたよ」


ガチャリと軽く二度ノックをして部屋に入る、するとその部屋の主は小さな寝息を零して眠っていた。


「那岐?…寝ちゃったの?」


そっとベットに近づき顔を覗きこむと、熱のために赤くなっている顔は少し汗が滲んでいた。

額に張り付いている前髪を横に払ってやる。


「…今日は私がずっとついてるからゆっくり休んでね」


そう千尋が呟くと、眠っている那岐が微笑んだ気がした。







END

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