短編

□とわに続く道
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妹を見守る兄の様に思っていた気持ちが、恋に変わったのは些細な一言だった。


『人は変わって成長していけるんです!』


自分よりもずっと年下の少女に言われた一言に僕の心は今まで感じたことのないような衝撃を受けた。

今まで僕にこんな風に真っ直ぐと目を見据えてこんな言葉を言ってくれた人がいただろうか。

本当に些細な言葉だったけど僕はその時から君に囚われてしまった。

恋は次第に愛へと形を変えて溢れる愛しさが僕の心を覆い尽くしていった。

その気持ちを素直に受け入れることができたのは、君への愛しさを自覚せざる得ないほど大きいものだったから。

愛していますよ、僕の大切な女(ひと)…――。









とわに続く道









「弁慶さん、弁慶さん」

「はい。何ですか、僕の望美さん」

「前か聞きたかったんですけど私のこと、その…いつから好きになってくれたんですか?」


すでに結婚して夫婦となった二人の間に隔てるものはなく、弁慶の『僕の望美さん』という言葉にも特に突っ込みは入れない。

二人が出遭ったのは望美の高校受験の家庭教師として九郎の友人である弁慶が呼ばれたことが始まりだ。

当時人見知りが激しかった望美は弁慶にも例外なく気を張り詰めさせていた。

しかし真面目で優しく時に厳しい弁慶の人柄に次第に絶大の信頼を寄せるようになった。

そして信頼と同時に淡い恋心が芽生え始めたのだ。

それから二人が結ばれたのは三年もの月日が流れてからのことだが。


「僕がいつから望美さんのことを好きになったか、ですか。それは君と僕が出遭って間もないころですよ」

「嘘。だって出遭って間もない頃って…私はまだ中学生で…全然子供で…」

「君は大人びていましたし、しっかりしていましたから中学生っぽくはなかったですね」


確かに弁慶が出遭ったばかりの頃の望美はどこか他人と一線を引く子供だった。

子供と言えどそう認知される年なだけで、無邪気に笑ったりといったそういう仕草は少なかった。

望美が変わったのは九郎と暮らすようになって、弁慶と出会い、高校に進学してたくさんの信頼できる友人ができたからだ。


「…私、昔は無愛想だったでしょう?」

「十分愛らしかったですよ、昔も今も君は可愛いままです」


弁慶がこういうどこか女性を翻弄するような言動と取るのも昔のままだと、望美は思った。

付き合い始めたばかりの頃は彼の一言一言に頬を真っ赤に染めていたのも懐かしい。

夫婦となったのだから余裕を見せたい望美だったけど、やっぱり彼は自分を喜ばすことが上手い。

頬を染めるまでいかなくても自然を嬉しさに口元が緩んでしまった。


「…弁慶さんも、昔も今もすごくかっこいいですよ。すごく、すっごく」

「何だか、棘を感じるんですけど…僕の気のせいかな」


望美は弁慶の容姿にだけ惚れたわけではない。外見も性格もどちらもひっくるめて好きになったのだ。

容姿は整っていて性格は優しくしっかり者。そんな弁慶は保健医をしていた時、女子生徒達の憧れの的だった。

二人が恋人同士であることは周りには当然内緒で、望美は休み時間に彼の元にやってくる女子生徒達を見てはやきもちを妬いたものだ。


「ずるいな…私ばっかりやきもち妬いて…」

「おや。僕も相当嫉妬深いですからね、君のことに関しては特に…。望美さんだってもてていたじゃないですか」

「私はもてたことなんてありません!弁慶さんじゃあるまいし…」


無自覚とは怖いものだと弁慶は苦笑した。

弁慶が保健医の時はあくまでも生徒であり立場的に人前で馴れ馴れしくすることはできなかった。

男子生徒の視線がすれ違う望美を追っているのを何度も見かけたし、現に告白されたと言う話も風の噂で聞いた。

他にも弁慶の甥であるヒノエだって本気で望美のことを想っていたのだから、気が気じゃなかった。

ようはお互い様ということだ。


「まあ昔のことはいいじゃないですか、僕達はもう夫婦なんですし。ね?」


ちゅっと触れるだけのキスを落とされて、望美は受け入れるように瞳を閉じた。

新婚の時は熱々でも何十年も一緒にいるとマンネリ化したり気持ちが離れてしまったりという話は嫌というほど耳に聞く。

けれど望美と弁慶はお互いにそんな日はやって来ないと思っている。

それは何か理屈があるわけでもないが、自信があるのだ。この愛が壊れないという確信が。


「…いいですか?」


何がいいのかなんて望美は弁慶に聞き返すまでもなくわかっている。

それは頬に添えられていた弁慶の手が徐々に下がってきて腰にまで回ってきたから。

薄っすらと艶めいたそんな瞳で見詰められたら嫌と言えるはずはない…が、今はまだ目覚めて間もない朝。

セットしている目覚まし時計が鳴るよりも早く目が覚めた二人がベットの中で向かい合いながら身を寄せ合っている状態だ。


「だ、駄目ですっ」

「どうして…?」

「どうしてって…弁慶さんはお仕事でしょう!」


学生の間は少し出来心で授業をサボったりということもあるかもしれないが、社会人になるとそうはいかない。

働いてお金を貰うのだから、それなりの義務と責任があるのだ。

今日は望美は仕事が休みなので寝ていても大丈夫だが、弁慶はいつも通り仕事だからいつまでもこうしているわけにはいかない。

睦み合っている時間なんてもってのほかないのだ。


「時間があったらよかったんですか?」

「っ…馬鹿!もう、早く起きて用意しないと遅刻しちゃいますよ!」


ボッと頬を染めた望美に弁慶はクスクスと小さく笑った。

弁慶はベットから身体を起き上がらせて、朝日を部屋の中に誘うようにカーテンを開けた。

差し込んできた朝日が弁慶の髪に反射して蜂蜜色の髪が神々しく見えた。

寝巻きから会社へ行くために白いシャツに着替えるその姿はまるで女性のように綺麗だった。

結婚して一月が経とうとしているが、未だにこんな素敵な人が自分の夫なのかと疑ってしまいそうになる。

じっと望美が視線を向けていると弁慶が意地悪そうな顔をして、耳元で囁いてきた。


「…そんなにじっと見なくても、君は僕のこと身体の隅々まで知っているでしょう…?」


朝っぱらからこの人はなんてことを言うんだと、望美が抗議の声を上げようとしたら唇を塞がれてしまった。

今度のキスはさっきのように優しいものではなかった。まるで獣が獲物を貪るようなそんなキスだった。

息苦しさから抵抗しようと弁慶の胸を押し返そうとしたが、両腕はベットに押さえつけられてしまってそれも適わない。

あまりの激しさに望美の思考は奪われるように頭がぼうっとして何も考えられなかった。

気が付いたら弁慶は着替えたはずの自分のシャツのボタンと一つ一つ外していた。

望美はやっと我に返って『な、何しているんですか!』と声を荒げると、対照的に弁慶は物静かに『何って、言わせたいんですか?』と飄々とした顔で返事を返してきた。


「だ、駄目ですってば!!」

「…いいじゃないですか。朝食を抜かせばまだ時間はありますし」

「そういう問題じゃないしちゃんとご飯は食べないと駄目ですっ」

「通勤の途中にコンビニにでも寄って何か買って食べますよ」


ああ言えばこう言われてしまう。口で彼に勝つことなんて無理なのだと望美もわかっている。

でも言い返してしまうのは望美の意地だ。


「望美さん…愛していますよ」

「弁慶さん……んっ…」


弁慶のキスはまるで魔法の様だと望美は思う。

頭のてっぺんから爪先まで熱で包み込まれてしまって何も考えられなくなるが、それが心地良い。

それも愛する人からの愛しさの篭ったキスだからこんなに満たしてくれるのだろう。

ベットに組み敷かれながら望美は覆いかぶさる彼にキスのお返しをすると、弁慶は一瞬驚いて嬉しそうに微笑んだ。

そこから先は二人だけの時間。

とわに続く幸せの夢を…――。







END




築翅様リクエスト。
長編の『抱き締めて囁いて』の番外編というリクエストでした。
抱き締めて囁いて、の話はもう書かないと思っていたのでこういう形で書けて楽しかったです。
甘くしようと思ったのですが、微妙になったような…甘いですかね?
気に入っていただければ幸いです。
リクエストありがとうございました。

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