長編

□永遠の誓い
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弁慶が京邸に居座ってすでに一ヶ月は過ぎようとしている。


望美は次第に元気を取り戻している、誰もがそう思っていたが弁慶だけは違った。


無理をして強がっている…、そう映った。


時折、弁慶が「大丈夫ですか?」と、声を掛けると「はい」と、望美は微笑んだ。


その笑顔が弁慶の胸を締め付けた。


最近弁慶の眠る時間は以前よりさらに遅くなった。


弁慶はいつも望美が眠ってから眠るようにしているから。


望美の部屋の明かりが消えるのは早い時間だが、望美は眠っていない。


毎晩、毎晩、声を押し殺した望美の声が聞こえるから。












++++












そして今夜も弁慶は望美が眠るのを待っていた。


「っ…ひくっ……」


毎晩聞いている彼女の泣き声であっても、弁慶は慣れることはなかった。

次第に泣き声が小さくなっていき、弁慶は望美が眠ったのだろうと思い自分の部屋に戻ろうとした。

その時…


「…九郎さん…っ…助けてっ…」


その言葉を聞き、もう限界だと弁慶は思った。

時間が経てば彼女は自分で傷を癒していけるかと思っていたが、すでに一ヶ月。

彼女は毎晩、九郎を想い涙を流している。

これ以上は望美の心が壊れてしまうと。





バンッ





「ぇ…弁慶さ…」


突然、弁慶が入ってきたことに驚いた望美は涙を隠すことができなかった。

弁慶は望美の目尻の涙をそっと払った。


「…泣いていますね」

「あ…!」


望美は慌てて涙を拭った。


「ち…違います!ちょっと、目にゴミが…」


首を振り、無理に笑顔を作る彼女が痛々しく、辛かった。


「望美さん…僕は君が毎晩、声を押し殺して泣いているのを知っています」

「…!」


驚き顔を上げた望美は、真っ直ぐ弁慶の瞳を見つめた。


「一人で抱え込まないでください、泣きたい時は思いっきり泣けばいいんですよ」

「私っ…平気です!」

「何をそんなに意地を張っているんです?自分に素直になりなさい」

「…っ弁慶さんに、私の何がわかるんですか!?」


言ってはいけない、そう思っていたのに思わず出てしまった言葉に望美は後悔した。

こんなに自分を心配してくれている人になんてことを言ってしまったんだろう。

弁慶は望美の言葉に気にする様子もなく続けた。


「望美さん…本当は泣きたいのでしょう?」

「…!!」





本当は泣きたい。


それはずっと望美が押し込めていた感情。


でも、周りのみんな心配を掛けてしまうから、辛いのは自分だけではないから、泣けなかった。


みんなの前ではもう大丈夫だと気丈に振る舞い、夜になると一人で泣いていた。


でも…本当はずっと辛くて、苦しくて、誰かに助けてほしかった。


誰かに、この涙を受け止めてほしかった。






押し黙って、俯いた望美に弁慶は優しく声を掛けた。


「望美さん…」

「…」

「君は頑張りすぎですよ…」

「…そんなこと…」

「もう…我慢しなくていい…強くあろうとしなくてもいいんですよ…」



パリン



何かが壊れる音がした。

これはきっと自分の心の固いガラスが壊れる音。

望美がそう自覚した時、再び涙が溢れ零れていく。


「望美さん…」

「…っ…ふ…」

「言ってください…君の気持ちを…」


弁慶が優しく促すと望美は少し戸惑った後、口を開いた。


「頭では…頭ではちゃんと…わかっているんです…九郎さんはもうどこにもいないって…でも…でもっ…」


心がついていかない。

多分彼女はそう言いたかったのだろう。

彼女の言葉は嗚咽で途切れてしまった。


「ひくっ…っ…ふ…九郎…さんっ…」


見ていられなかった…。

毎晩、声を殺して泣き続ける彼女を。

彼女をどうにかして慰めてやりたかった。

それが、たとえ九郎の身代わりだとわかっていても…。


「望美さん…」

「…っ…ひくっ…」

「望美さん」


少し声のトーンを低く囁けば、彼女はこちらを向いた。


「…弁慶…さ」


言葉は弁慶の唇により遮られた。


「ん…」


望美は一瞬何が起こったのかわからず抵抗する暇も無かった。


「弁…慶…さん…?」

「…今は…僕を九郎だと思ってください」

「え…?…んっ」


再び唇を重ねる。


「やっ…だめ…弁慶さん…!」

「僕を九郎と思えばいい」

「弁慶さん…!」

「…望美」


びくっ!


『望美』…そう呼ばれた瞬間、望美の身体は大きくはねた。

目の前にいる人は九朗ではないのに…聞こえてきたのは誰よりも愛しい九郎の声。


「望美…」

「…ぁ」


再び近づいてくる唇を拒むことができなかった。


「んっ…ぁ…」


何度も啄ばむような口付けをされる。


「望美…望美…」

「…っ」


この人は九郎さんじゃない…、弁慶さんだ。

…わかっているはずなのに…!

これは言ってはいけない言葉。

言ってはいけないとわかっているのに…言わずには、呼ばずにはいられなかった。



「九郎さんっ…九郎さん…」



望美が弁慶を『九郎さん』と呼んだ瞬間、弁慶の顔がどこか歪んだのを望美は気が付かなかった。


「望美…」


心が痛かった、自分が彼女に九郎だと思えばいいと言ったはずなのに…。

彼女が九郎を重ねて、自分を求めることがこんなに苦しいなんて…。












彼女を抱くのは、彼女を慰める為。




それだけだと、弁慶は自分に言い聞かせた。




そう思わないと、自分が惨めでしかたなかったから。




自分に九郎を重ねる彼女を酷く抱いてしまいそうだったから。











染み一つない白い肌。

剣を振るっていたとは思えないほどの華奢な身体。

綺麗だ…と弁慶は素直に思った。


「ぁ…」


彼女は正気に戻ったかのように瞳を見開いた。


「待って…弁慶さん…!」


さすがに、一線を越えることだけは躊躇った彼女。

けど…

僕は彼女の言葉を口付けで塞いだ。

そして…

彼女と身体を繋げた。

彼女の瞳からは涙が溢れた。

いつしか、彼女は泣き疲れ意識を手放した。










++++












その夜、僕は一晩中彼女の寝顔を眺めていた。


「望美さん…」

「…ん…」


彼女は時折、寝言を呟いた。


「九郎さん…」っと…。



僕は胸が締め付けられているような気がした。



辛かったのは、彼女が九郎の名を呼ぶことと、僕自身の親友を亡くしたこと。



彼女に触れたいと思ったことはあるが、それでも彼女が笑っていてくれることが大前提でって、涙を見たかったわけじゃない。



そして、彼女に一番の笑顔を与えられるのは九郎で、本当に二人の祝福を願っていた。



「九郎…、望美さんに必要なのは君なんですよ…っ…なのにっ…」



弁慶の瞳から一筋の涙が流れた。




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