長編
□永遠の誓い
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朝餉を食べ終え、望美が台所で後片付けをしていると弁慶が顔を覗かせた。
「望美さん」
「はい?」
「今日は一緒に市に行きませんか?」
弁慶の言葉に望美は一瞬キョトンとして目を丸くさせた。
「え、弁慶さんお仕事は…?」
…まさかサボり…なんてあるわけない。
弁慶さんはとても患者さんを大事にしていて、仕事を投げ出すような人じゃない。
弁慶の優しさは一緒に暮らすようになって望美もよくわかっていた。
「薬を調合するのに必要な物もありまして、君も一緒にどうですか?」
「私がついて行って邪魔になりませんか?」
…僕が君を邪魔に思うなんてありえませんよ、…僕はいつだって君と共にいたいのだから。
「邪魔だなんてとんでもないです、一緒に行きましょう」
「はい!」
++++
市を並んで歩いていると、道行く人々が声を掛けてきた。
それぐらいこの辺りでは弁慶は有名で、その妻と思われている望美は目立った。
なかにはひやかしてくる者もいたが、弁慶はさらりと流していた。
『彼女は僕の助手ですよ』と。
しかし誰もがそれは冗談で、二人を夫婦だと思って疑っていなかった。
「あ、弁慶先生!」
まだ年幅もいかない幼い子供たち二、三人が弁慶と望美に近づいてきた。
「ねぇ、お姉ちゃんって弁慶先生の奥さん?」
「…えっと」
言葉に詰まってる望美の代わりに弁慶が答えた。
「彼女は僕の仕事のお手伝いをしてくれている助手さんですよ」
「え〜、みんな奥さんだって言ってるよ〜」
「ふふ、こんな可愛い奥さん僕にはもったいないですよ」
「!弁慶さん!」
望美は顔を真っ赤に染めた。
その後も子供たちは望美を気に入ったのか弁慶達について歩いてきた。
「ねー、お姉ちゃん遊んでよ〜」
「遊んで〜」
子供たちは望美の手を引き遊んでほしいと強請る。
「あ…私は」
どうすればいいものかと弁慶に助けを求めるが、それを微笑ましく見ていた弁慶は…
「望美さん、君はこの子達と遊んであげてください」
「え!?」
「僕は買い物に行ってきますから、君はここにいてください」
「え、でも…」
「君は子供たちとゆっくりしていてください、今日君を誘ったのはすこし息抜きになればと思ったんです」
君は子供が好きでしょう?と、にっこりと言われ、望美は反論できなかった。
「この辺りにいてくださいね、買い物が終わればすぐに迎えに来ますから」
「…わかりました」
「それじゃあ、また後で…」
そう言い残すと弁慶は市の人ごみに消えていった。
弁慶の姿が見えなくなると望美は何して遊ぼうか?と子供達に振り返った。
「僕は格闘ごっこがいい」
「えー私はお花摘みがいい!」
「鞠つきがいいよ〜」
…と子供たちの意見はバラバラで望美は頭を抱えた。
「う〜ん…どうしようか」
「お姉ちゃん!ここじゃ遊べないから向こうに行こう」
「向こう?」
「うん!空き地があるんだよ」
…あんまり遠くに行くと弁慶さんが…すぐに戻れば大丈夫…かな?
どっちにしてもここじゃ人が多すぎて遊べないもんね。
「ね?お姉ちゃん行こ、行こ!」
望美は子供達に腕を引かれながらその場を離れた。
少し歩き、子供達に連れて来られた場所は小さな空き地であった。
「ここ?」
「うん!」
市のちょうど裏手にあたり、あまり人が近づかそうな所であった。
そこには四、五人のいかにもガラが悪い男達がこっちを見てニヤニヤと笑っていた。
…何、あの人達…。
嫌な予感がして望美が子供達に他の場所に行こうと促していると…
「おい、お嬢ちゃん達どこ行く気だ?」
「俺たちと一緒に遊ぼうぜ」
男達が近づいてきて、望美は子供たちを庇うように腕を広げた。
「…何ですか貴方たち…」
「そんな怖い顔するなよ、一緒に遊ぼうぜ」
ジリジリと近づいてくる男達に望美の後ろにいる子供たちは涙を滲ませ振るえている。
物取りか何かだろうか。
何にしろ望美の今まで戦い抜いてきた勘が危険を知らせていた。
…どうしよう…子供たちを庇いながら逃げるなんて無理だ。
どうすれば…
カツン…
何かが足にあたり地面に目を向ける。
そこには木の枝が落ちていた。
真っ直ぐで、程よく太く、まるで竹刀のような。
…あれしかない。
望美は子供たちにひそりと呟いた。
「いい…?走ってって言ったら急いで逃げてね」
「え…お姉ちゃんは…」
「私は大丈夫だから」
子供たちを不安がらせないようにニッコリと笑顔を作り言った。
ジリジリ…
男達が徐々に近づいてくる…望美はタイミングを見計らって叫んだ。
「今だよ!走って!!」
望美のその言葉に子供たちはいっせいに走り出した。
「!!この女ぁ!!」
望美はすかさず地面に落ちている枝を拾い男達の前に立ちはだかった。
「へっ!女がそんなもんで俺達の相手をするつもりか!」
「…私を甘く見ないでもらいたいわ」
「そんな口聞いていられるのも今のうちだぞ!!」
男達に囲まれた望美に気が付き子供たちは必死に望美を呼んだ。
「お姉ちゃん!!」
「何してるの!早く逃げて!!」
「でも…」
「早くっ!!」
「…っ」
バタバタ…
…これで子供たちは大丈夫…。
でもまだ安心できる状態ではなかった。
これが戦場なら絶体絶命のピンチだ。
幸い戦場じゃないといっても望美は戦いが終わってからもうずっと剣を握っていない。
それに相手は複数いる。
「…っ」
背に嫌な汗がはしる。
でも逃げることも、助けてくれる人もいない。
ゴクリと息を飲み込み、望美は構え男達に向かっていった。
「やあっ!!」
買い物を終えた弁慶は望美と別れた場所まで戻って来たが、そこに望美の姿はない。
人ごみに目を凝らしながら探すが、見つからない。
この辺りにいてくださいと言ったから、そう遠くには行っていないはず。
弁慶は当てもなく探していると
「弁慶先生!!」
弁慶が声に振り返ると、そこには望美と一緒にいるはずの子供たちが瞳に大粒の涙を溜めていた。
「先生っ…うっ…」
「どうしたんですか?…望美さんは?」
「お姉ちゃんがっ…」
子供たちから事情を聞いた弁慶は我も忘れたかのように走り出した。
人ごみにぶつかりながら、ただ、とにかく走った。
ただ、ただ、たった一人の愛しい人の無事を祈って。
…望美さん!望美さん!望美さん!!
++++
「望美さんっ!!!」
「あ…弁慶さん」
弁慶はそこに広がった光景に驚いた。
四、五人の男達がみごとに気絶させられていた。
たしかに以前は神子として剣を振るっていたが、すでにそれも何ヶ月も前のことだ。
それから望美が訓練や修行はしていないはずなのに、一人で多数の男達に立ち向かうなんて…。
「弁慶さん?」
無言で立ちすくむ弁慶に望美は首を傾げた。
「弁慶さん?」
再度、無言の彼に名を呼ぶ。
すると…
「馬鹿!!」
ビクッ!
突然、怒声をあげた弁慶に望美は驚き困惑する。
普段、あんなに温和な弁慶がこんな風に怒鳴るなんて。
こんな弁慶は見たことがなかった。
「一人でこんな男達を相手にするなんて…何かあったらどうするんですか!!」
「だって…」
子供たちを逃がす為に…っと言おうとした言葉は弁慶に遮られた。
「だってじゃありません!!」
弁慶の声に望美は肩をビクリと揺らす。
「君はもう神子でもないんですよ!?自分を買いかぶりすぎです!」
「…!買いかぶってなんていません!ただ子供たちを守りたかっただけです!」
「それが無茶だと言っているんです!君一人で…」
「だって私がいなくても誰も困らないじゃないですか!!」
「…!?…望美さん…?」
「っ…私がいなければ弁慶さんにだって迷惑かけないし、神子じゃない私なんて…誰も必要じゃない…!!」
…神子じゃないありのままの私を必要としてくれた九郎さんはもういない…。
この世界にいれば私は誰かを頼らなくては生きていけない、誰かの負担になってしまう。
私がいなくても誰も困ったりしない…!
「…私の居場所なんてどこにもない…!」
「望美さん…」
「弁慶さんだって私がいないほうが…っ」
言葉は閉ざされた。
弁慶が望美の唇に指をあて、首を振ったから。
それ以上は言わなくていい、と言うように。
「…すみません、怒鳴ってしまって…」
弁慶は望美の髪を梳かすように撫でた。
「僕は…怖かったんです…」
「え?」
「もし…君にまで何かあったら僕は…」
…君の無事を確認するまで生きた心地がしなかった。
「…弁慶さん…?」
俯いていてその表情は伺うことはできないが、肩を震わせ、拳を握り締めている。
…弁慶さん震えてる?
顔を覗き込むように望美は弁慶の頬にそっと手を伸ばした。
「…ごめんなさい…私…」
「…」
弁慶は無言だった。
「…ごめんなさい…心配かけて…」
おもむろに顔を上げた弁慶が今度は望美の頬に手を寄せた。
まるでそこにある存在をたしかにあるのだと確かめるように。
「…こんな無茶もうしないでください」
「…はい、ごめんなさ…」
ごめんなさい…っと最後まで言う前に、弁慶に腕を引かれその胸の中に抱き締められた。
「弁慶さ…」
「少しだけ…こうさせてください…」
弁慶の表情は望美には見えなかったけど、痛いぐらい心配していたんだと伝わってきた。
震えている身体を安心させるように望美は弁慶の背に腕を回した。
「…君が無事でよかった…」
++++
どれぐらいこうしていただろう。
自分よりもずっと年上の男の人を安心させようと背に腕を回していたのは。
しばらくすると、すみません…っと彼が私を解放した。
彼の顔はどこか愁い帯びた瞳をしていた。
「…帰りましょうか」
「はい…」
帰り道、弁慶はずっと望美の手を握り締め放さなかった。
そんな弁慶に戸惑いつつ、望美は繋がれた手を握りかえした。
…私また弁慶さんに迷惑かけちゃったな…。
「望美さん」
家に入る一歩手前で弁慶が手を離し、歩みを止めた。
「弁慶さん…?」
どうしたんですか?っと望美が尋ねると、弁慶は真剣な顔をしてポツリと呟いた。
「君は…自分の居場所がないと言っていたけど…」
「ぁ…」
何か言い訳を考えたが思い浮かばなかった。
居場所がないと言ったその気持ちは本音そのものだったから。
「君の居場所ならここにあります」
君の居場所は僕が与える…。
それが今、僕にできることだから。
好きだと言えなくても、愛してると言えなくても、この気持ちが報われないとわかっていても、僕の気持ちは変わらない。
「弁…慶…さ…」
カツ…カツ…
弁慶は数歩進み、戸を開け中に入ると望美に振り返った。
「お帰りなさい」
差し出すように伸ばされた弁慶の手はすべてを包み込んでくれるような、そんな気がした。
「…ただいま」
少し涙ぐみながらはにかむように笑い、望美伸ばされた手をしっかりとった。
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