長編
□永遠の誓い
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望美は時折、九郎の夢を見て、発作的に目を覚ますことがあった。
身体の不調も関係していたが、精神的なことが一番大きかった。
それは京邸にいた時からだが、その悪夢を見ることも徐々に減ってきた。
望美が悪夢で目を覚ますと、隣の部屋で眠っている弁慶は必ず気が付き、望美が落ち着くまでそばにいてやった。
そんな日々が少しずつ望美に安らぎをもたらしていた。
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この日、弁慶はいつも通り家である診療所で多くの患者の診察や治療にあたっていた。
いつもなら傍らに助手として望美がいるのだが、この日は姿がなかった。
薬草が不足していて、弁慶が朝早く起きて取りに行こうとしていたところ、望美が自分が行くと言い出したのだった。
弁慶は、望美を一人で行かせるなんて…と反対したが押し切られてしまった。
つくづく思った。
惚れた弱みか、自分は望美には弱いと。
そんなことを考えていた弁慶にふと、よく知っている声が掛けられた。
「弁慶」
少し開いた戸から顔を覗かせている声の主を確認すると、そこにはよく知っている顔があった。
「景時」
「やぁ…」
どこかよそよそしい景時の様子に違和感を覚えつつ、弁慶は景時を診療所の中に入るように促す。
「どうしました、君がここに来るなんて珍しいですね」
戦いが終わったあと、弁慶は軍師を辞めた。
軍師としてでなく、薬師としての自分を必要としてる人々の為に生きたいと思ったから。
しかし、軍師を辞めたあとも元軍師として弁慶を必要としている者は多かった。
それは景時もであった。
九郎が亡くなったあと、九郎の仕事が景時の元に回って来るようになり景時は時々弁慶を邸に呼び意見を求めた。
景時が自分を邸に呼ぶことはあっても、自分から訪ねてくることは珍しかった。
「今日は弁慶に頼みがあって来たんだ」
「頼み、ですか…」
どんな頼みか大体想像は付く。
弁慶は軽く溜息をつき、景時に問う。
「どんな頼みですか?」
眉を潜め、申し訳なさそうに景時は話し始めた。
「鎌倉から頼朝様の使者が来ているんだ…」
弁慶は無言で聞いている。
「君にも使者と会ってほしい」
弁慶は目を伏せたまま、口を開いた。
「…景時、僕はもう軍師ではありません」
「あぁ…分かっているよ。…弁慶には悪いけど、頼むよ…」
「…」
おそらく鎌倉殿から、僕を軍師に戻すようにとでも言われたのだろう。
景時は僕が軍師に戻る気などないこと分かっている。
きっと、断ったが断りきれなかったのだろう。
「…どのくらいかかるんですか?」
「弁慶…!」
「言っておきますけど、これがが最後ですよ」
「あぁ…!ありがとう」
これを期に、一度ちゃんと伝えておこう。
自分が軍師に戻ることはないことを。
「多分2、3日ぐらいだと思う…」
「…その間、望美さんには京邸の朔殿の所にいてもらいます」
「あぁ、朔にも伝えとくよ」
「それと、わかっていると思いますけど、僕は軍師に戻るつもりはありませんから」
「わかってる、君は…望美ちゃんの側にいてあげたいんだよね」
弁慶は何も答えなかった、それは肯定を表していた。
++++
景時が帰ってから、しばらくすると望美が帰って来た。
籠にはたくさんの薬草が今にも零れ落ちそうなぐらい溢れていた。
「見てください弁慶さん!!たくさん取ってきましたよ」
自身満々で嬉しそうに話す望美に弁慶も自然に笑みが零れた。
「ありがとうございます、助かりました」
「いえ、また薬草が不足したら言ってください!」
「えぇ、でもやっぱり君一人で行かせるのは心配だから次は僕も一緒に行きます」
「え、でも…」
弁慶さん忙しいのに…と言おうとした望美の言葉を遮り、弁慶は少し困ったように笑った。
「僕が一緒では、嫌ですか?」
望美は慌てて首を振る。
「嫌だなんてまさか!!」
「それに、二人の方が早く取り終わりますし。ねっ?」
望美は、まただと思った。
弁慶にはいつもこのパターンで言いくるめられてしまう。
でもとても弁慶に言葉で勝てそうにはない。
「弁慶さん…あんまり無理しないでくださいね」
「僕はいつも元気ですよ」
形はどうあれ君がこうして側にいてくれている。
それだけで、僕はこんなにも…。
「あぁ、そうだ望美さん」
「はい?」
「話があります、少しいいですか?」
話があるという言葉に、望美はドキッとした。
以前、弁慶に話があると言われたときは自分がこれからどうするかの話だった。
弁慶はそんな望美の様子に気付いたのか、「大丈夫です、前とは違う話しですよ」と囁いた。
「実は鎌倉から使者が来ているんです」
「それって…頼朝さんの…?」
「えぇ…景時に頼まれて、僕も会うことになったんです」
「え?弁慶さん、軍師を…」
「軍師は辞めていますよ、ただ…少し、やぶ用で」
弁慶は眉を寄せ、難しそうな顔をしている。
その顔を見て、望美は詮索しないことにした。
…難しい話なんだよね…。
「わかりました、留守番は任せてください!」
「いえ、君は僕が帰ってくるまで京邸で朔殿と待っていてください」
「え?」
「2,3日はかかりそうなんです。君を連れて行くわけにはいきませんし、一人ここに残すのも…」
だから、ね?と笑顔で言われてしまっては何も言えなかった。
その夜、弁慶は望美を京邸に送り、景時と使者と会うために出掛けていったのだった。
それから3日が過ぎたが、弁慶と景時は帰って来なく、かわりに文が届いた。
使者との話が難航していて、もうしばらく帰れないという内容だった。
思えば、九郎が亡くなってからこんなに弁慶と長い時間離れたのは初めてだった。
望美は京邸の庭先で夜空を見つめながら呟いた。
「…弁慶さん…早く帰ってきて…」
望美は自分の弁慶に対する気持ちは良くわからなかった。
今まで自分を支えてくれた恩人?それとも…。
ただ一つわかることは、弁慶と会えない今、この時が寂しいということ。
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