長編

□永遠の誓い
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「…ん…」


望美が目を覚ますと、目に映ったのはそこは京邸の天井。

横にはすでに弁慶の姿は無かった。


「…そっか…弁慶さん帰っちゃったんだ…」


夜、男性が女性の下に通った時は、男性は早朝の内に帰ってしまう。

そして、また今夜女性の下に通ってくる。


「温かい…」


望美は自分の身体がそっと抱き締めた。

まだ昨夜の弁慶の抱き締めてくれた温もりが残っている気がした。


コン、コン…



障子を叩く音が聞こえたると、朔が声をかけてきた。


「望美、もう起きてるかしら?」

「あ、うん」


望美は乱れた髪を整え、着替えると、障子を開き、部屋を出た。


「おはよう、朔」

「おはよう望美。はい、これ」


朔は手に持っていた物を望美に差し出した。


「…何これ?」


望美は朔に渡された文のようなものを受け取った。


「後朝の文よ」

「きぬ…ぎぬ…?」


望美が何それ?と朔に尋ねると丁寧に説明してくれた。

後朝とは夜、男性が女性の元に通い、早朝に帰った後に女性に出す文らしい。

もちろん望美の元の世界にはそんな習慣はない。


「え…と、これどうすればいいの?」

「読んで、率直な気持ちを返事で返せばいいのよ」


カサッ


望美は文を広げた。……しかし


「…読めない」


うっ…っと望美は顔をしかめた。


「あら、私が読んであげてもいいのだけど…恋文だからねぇ…」

「こ、恋文って…」


朔の『恋文』という言葉に望美はポッと頬を赤く染めた。


「今夜、弁慶殿に直接読んでもらえばいいんじゃないかしら」

「でも、返事…」

「それなら、私から弁慶殿に伝えておくわ」

「うん、それじゃあ朔、お願いするね」



…弁慶さんは律儀だね。

ううん、違うかな、優しいんだ…すごく優しい。

弁慶さんは優しい、初めて会った時から思っていたけど、一緒に住み始めて特にそう思う。

細くて華奢な男の人だと思っていたけど、昨夜の抱き締めてくれた腕は力強く感じた。

やっぱり男の人なんだなって改めて思った。

私たちは…子供のためにいわば仮初の夫婦となる。

それなのに、抱き締めてくれて、後朝の文までくれる。

どうしてそこまでしてくれるんだろう…、わからない…。

そして、何よりも自分がわからない…、私は…違う…こんな気持ち…違う。

私は…私にはずっと心に決めた人が、九郎さんがいるのだから。

だから…この気持ちは違う…、何かの間違いだよ…。




++++





今日も日が落ち、月が夜空に浮かび上がる。


「はぁ…」


今夜ももうじき弁慶が望美の下にやってくる。


「…何だか、恥ずかしい…」


別に昨夜だって、特に弁慶と何かあったわけじゃない。

ただ、抱き締めてもらっただけ。

だけど、無性に弁慶と会うことが恥ずかしく感じる。



「私…変…」


違う、違う、違う。

首を振り否定する。

私は弁慶さんのこと……。



カタ…


昨夜と同じように障子が開かれ、そっと弁慶が音も立てずに入ってくる。


「こんばんは、望美さん」

「こ、こんばんは…弁慶さん」


俯いている望美に弁慶はクスクス笑って望美の顔を覗きこんだ。


「どうかしましたか?」

「い、いえ、何でもないです!」


慌てて望美は首を振る。


「あ、あの…これ」


望美は後朝の文を弁慶に差し出した。


「ごめんなさい、返事出せなくて…」

「あぁ、朔殿から聞いていますよ」

「あの…何て書いてあるんですか?」

「…知りたいですか?」


弁慶はどこか艶めいた瞳をして、望美に視線を向けた。


「…はい」


そんな弁慶の様子を感じ取り、望美は恐る恐る頷いた。

弁慶は瞬きもせずじっと望美の瞳を見つめた。


「…秘密です」

「え!?」


えぇ―、と抗議の目を弁慶に向けると、望美の耳元で「いつか直接僕の口から言います…」と囁いた。


「…ねえ、弁慶さん」

「はい」

「…あの…私と、その…結婚しようって言ってくれたのは、子供のため…ですよね?」


弁慶から視線を逸らし、望美は膝の上にある自分の手に視線を逸らした。

手にはグッと力が入り、汗が滲んできそうだった。


「…そうですね」


やっぱり…そうだよね…、と望美は目を閉じた。


「…でも」


え…、っと望美が顔を上げると弁慶は困ったように笑っていた。

そして、望美の手を取り、甲に口付けを落とした。

顔を真っ赤に染める望美をよそに、弁慶は淡々と話し出した。


「でも、それだけじゃないですよ」

「え?」

「子供の事も、もちろんあります。けど…何より、僕は君が大切だから…」

「…え…」

「ずっと、君の傍にいたい…一緒にいたいということです」


トクン…

あ…何だろう、この気持ち…、私…

とても…温かい…


「…弁慶さん」


触れたい…


「はい?」


二人の距離が縮まる。

え…?と、弁慶が首を傾げる。

望美の顔が目の前にあるかと思うと、そっと頬に温かいものが触れた。


「……」


弁慶は言葉が出なかった。

瞬きすることも忘れて、望美を凝視してしまった。

頬に触れた温かいものは、望美の唇だ。

時間が止まったように二人はお互いを見つめ合った。


「…望美さん…どうして…?」

「あ…あれ、私っ…」


望美は自分の行動にハッと驚いた。

自分でもどうしてこんなことしたのか分からない。

唇に手をあて、呆然とした。


「…望美さん」

「え…」


望美が顔を上げると目の前に弁慶の顔があり、そして…


「弁慶さ…」


言葉は続かなかった。

いや、続けられなかった。


「んっ…」


弁慶が望美の唇を封じたから。

腰に腕を回し、抱き寄せ、頭に手を回し、息ができないぐらい深く口付けた。

望美は一瞬抵抗したが、すぐに抵抗を止めた。

どこか激しく、優しい口付け。

まるで、慈しむような優しい口付けが何度も何度も繰り返された。


「…っ…ん…」


弁慶はゆっくり唇を放した。


「…弁…慶…さん…」


望美は頭がボーっとして、歪んだ瞳で弁慶を見つめた。


「…」


もう、だめだ…と弁慶は限界を感じた。

できると思った、思っていた。

自分の気持ちを隠し、彼女の側に居続けることを。

けど、思っていたより辛いことだった。

九朗を想い涙する彼女を支え、彼女に異性として触れることは叶わない。

こんなに近くにいるのに…

こんなに愛しているのに…。

想いを伝えて拒絶されることが怖かった。

伝える勇気すらなかった。

けど、何より勝るのは心から溢れ押さえ込むことができないほどの気持ち。


「僕は…君が好きです…」

「…弁慶さん」


今までずっと固く封じていた言葉を口にする、決して言うまいと誓っていた言葉を。


「神子と八葉であった時からずっと愛していました」


弁慶は真っ直ぐ望美を見つめた。


「そしてこれからも…僕は君を愛し続けます」


弁慶の瞳があまりに真摯に望美を見つめ、視線をを逸らすことはできなかった。


「私…」

「いいんです、わかっています…君の気持ちは…」


目を伏せ、困ったように笑った弁慶は望美に背を向けた。


「…君が九郎を愛していることはちゃんとわかっていますから…」

「弁慶さ…」


望美の言葉を弁慶は遮った。


「忘れてください…、僕の言ったことは…」


元より伝えないと決めたはずの想い。

それを受け入れてもらえなくても、伝えられただけで十分だ。

これ以上は…彼女を困らせてしまう。


「いい父親になれるように頑張ります」


あくまでも子供の父親、望美の夫としてではない。


「すみません…今夜は帰ります。大丈夫…ちゃんと明日、三日目の夜には来ますから」

「弁慶さん…!」


待って…!私…!私は…!!

……私は弁慶さんを呼び止めて何を言う気なの…?


「…っ」

「おやすみなさい…、身体を冷やさないように眠って下さいね」


遠ざかって行く、弁慶さんの足音。

私はそれを…止める事ができなかった。

止めて、どうするの?何を言うの?私は…。


「…気付いていたんだよ…本当は…」


本当は弁慶さんの気持ちにはずっと気付いていた…。

ずっと、ずっと前から…、みんなと旅をしていた時から…。

でも…弁慶さんは八葉の仲間で、私には九朗さんがいたから無意識に気付いていないふりをしていた。




トントン…



障子を叩く音が聞こえると、障子が僅かに開いた。

そこから顔を覗かせたのは景時だった。


「景時さん…」

「さっき弁慶が出て行ったけど…何かあったのかい?」

「……」

「…入っていいかな?」


望美は一瞬考えた後、はい…っと頷き景時を部屋へ招き入れた。


「…望美ちゃん、泣いてる」

「えっ?」


気が付かないうちに頬には涙が伝い流れていた。


「あれっ…おかしいな…どうして、どうして涙なんか…っ」

「望美ちゃん…」

「…っ…うっ…」


望美は何度も何度も涙を拭った。

でも、溢れる涙は止まることはなかった。

景時は黙ってそんな望美を見守っていた。


「っ…景時さんっ…」

「ん…?」

「景時さん、…私…私は…九朗さんがっ…」

「…うん」

「九朗さんが好きなはずなのに…!っ…どうして…こんなに胸が痛いの!?」


涙が止まらない、胸が…心が痛くてしかたない。


「望美ちゃん…本当はわかっているんじゃないのかな?」

「…」

「自分の今の気持ちを…」


弁慶さんと祝言をあげたのは、お腹の子のため。

ただ、それだけ。

だって、私が愛してるのは九朗さんだもの。

…なのに…、なのに…どうしてこんなに胸が苦しいの?

あの人に…抱き締められたいと願ってしまったの?

あの時の口付けは…嫌じゃなかったの?

もう…これ以上自分の気持ちを偽るなんてできない…。

いつからだろう…

あの人との生活が心地いいものになったのは。

いつからだろう…

あの人を…弁慶さんを…こんなに愛しく想ってしまったのは…。


「…自分の気持ちがわかったかな?」

「…はい、私っ…」

「その続きは、弁慶に言ってやって」

「はい…!」






そっか、認めてしまえばこんなに簡単だったんだ。


どうして今まで抑えてこれたんだろう。


こんなに熱くて、大きい想いを…。


私は弁慶さんが…穏やかで優しいあの人が…好き。


大好きなんだ。



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