長編
□抱き締めて、囁いて
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リビングに置かれた縦長のテーブルと四つの椅子。
此処には普段、望美と九郎が向かい合い座り二つの椅子が空いている。
しかし今は違った。
本来二つ空いているはずの椅子が一つしか開いていない。
そして、九郎の向かいに座っているのは望美ではなく弁慶で、その彼の横に望美が座っている。
硬い顔をしている九郎と、何を考えているかわからない笑みを浮かべる弁慶と、そんな二人を見てハラハラしている望美。
『九郎にですけど今度僕がお宅に伺いますので、その時にちゃんと伝えましょう』
確かに以前、弁慶は望美にそう言った。
だから、こうして九郎に二人が付き合っていることを伝えに来ている。
だが、ものには順序と言うものがある。
今日は土曜日、明日には弁慶との初デートを控えている。
その前に九郎には伝えようとなって今日になったわけだが…。
九郎が仕事で少し帰りが遅くなるというので望美と弁慶は二人で家で夕飯を取って九郎の帰りを待っていた。
その後、リビングのソファに腰掛けて二人でテレビを見ていたのだが…。
二人は恋人同士で、今家にいるのは二人だけとなると何もないほうがおかしい。
ソファに置かれていた弁慶の手がいつの間にか望美の肩に置かれ、いつしか抱き締め合っていた。
お互いしか目が入らず、テレビの音も、ドアが開く音も二人には届かなかった。
『おっ…お前たち何しているんだ!!?』
帰宅した九郎の声にようやく我に戻り、急いで離れようとした望美だったが弁慶がそれを許さなかった。
恥ずかしさからか必死に弁慶の腕から逃れようとしている望美をよそに、「九郎、僕たち付き合うことになったんです」とあっさりと言ってのけた。
ポカーンっと空いた口が塞がらない九郎と顔を真っ赤に染める望美に対し、弁慶は一人余裕の笑みを浮かべていた。
それが、かれこれ三十分前に遡る。
●○●
「…付き合っているって、お前たちいつから…その、そんな風にお互い思っていたんだ?」
長い沈黙の中、やっと口を開いたのは九郎だった。
「そうですね…僕は出遭って一年ぐらい経った頃でしょうか、望美さんを愛しく想うようになったのは」
「「いっ…愛しく!?」」
今、声をハモらせたのは望美と九郎。
二人は顔を真っ赤にして弁慶を凝視する。
まるで親子のような同じ反応をする望美と九郎に思わず弁慶は笑ってしまった。
「いけませんか?恋人を愛しく想うのは当然でしょう。それとも…望美さんは違うんですか?」
「えっ!?」
突然そんな同意を求められても、人前でなんて恥ずかしくて言えないよ…!と望美は弁慶に弱った顔を向ける。
しかし、間違いなくそれにわかっていながら弁慶は再度、望美に尋ねてきた。
「違うんですか、望美さん?」
自分も見つめてくる熱い瞳に、もう降参だと望美は溜息を零した。
「…間違ってないです」
ようやくそれを言うのが精一杯だった。
「ふふ…ということですよ九郎」
「……」
「九郎さん…?もしかして…反対?…私と弁慶さんが付き合うの…」
「あ…悪い、そうじゃない。ただ驚いたのと…」
「驚いたのと…何?九郎さん」
「いや…何でもない」
…驚いたのと、望美がいつの間にかこんなに成長したんだと気付いたから。
どこか遠くへ行ってしまったような、物悲しさを感じてしまった。
出会ったころはあんなに小さかったのにな…。
いつの間にか、もう俺がいなくても大丈夫なほどに変わったんだな…。
九郎は少し寂しそうな、嬉しいそうな笑みを浮かべた。
「九郎さん…?本当にどうしたの…」
「何でもない、気にするな…望美」
「…そう?」
「望美さん、僕は少し九郎と二人で話をしたいのですがいいですか?」
「あ、はい。…じゃあ、私二階の自分の部屋に行ってますね」
リビングを出て行こうとした望美は一度振り返って、「…喧嘩とかしないでくださいね」と二人に念を押した。
トン、トン、トン…と望美が階段を上がる音を確認して弁慶が話し出した。
「九郎、僕に言いたいことがあるんじゃないですか」
「…当たり前だ、お前今まで一度も俺に望美をそんな風に思ってるなんて言わなかっただろう」
「もし告白して振られたらかっこ悪いじゃないですか」
「まさか、本当にそんな理由で俺に言わなかったのか?」
「ふふ、冗談です」
お前なぁ…と九郎は深い溜息を吐き、首を振った。
「じゃあ、何故だ?」
「君に嫉妬していたんですよ」
「…は?」
「九郎は望美さんのこと、どう思っていますか?」
「どうって…妹のようにと言うのか、家族だと思っているが」
弁慶の言いたいことがよくわからず、九郎は不可解な顔を向けた。
「ええ、僕も君は望美さんのことをそういう風に思っていると頭ではわかっていたんです。けど…」
「けど?」
「…やっぱり、好きな人が他の男と二人で一緒に住んでると思うとなんだかとても悔しくて…」
それを聞いた九郎は呆れた顔を弁慶に向けた。
「馬鹿か、お前は。俺が望美を異性として見ているわけないだろ」
「だから頭ではわかっていたんですよ。僕は誰よりも望美さんを愛してますし、誰よりも彼女を幸せにする自信もあります」
聞いているこっちが恥ずかしくなるような台詞に、九郎はぜひ望美本人に聞かせてやりたいものだと思った。
きっとここまで愛してるだの、幸せにする自信があるだの言い切る者も珍しいだろう。
「でも、もし望美さんが九郎が好きだと言ったら、それだけはどうしようもないんですよ」
「弁慶…お前が何が言いたいのか俺にはよくわからん」
回りくどい言い方は止めてくれと言うと、弁慶は困ったように笑った。
「では単刀直入に…君にだけは敵わないと思っているんですよ、…君は誰より望美さんに近い存在だから…」
きっと…今でも、これからも望美さんにとって一番大きな存在は九郎だろう…。
彼女から九郎の名を聞かない日はない。
それぐらい望美さんは九郎を想っている。
僕に向けてくれる気持ちとは違う家族のような感情だろうけど、それでもとても大きな気持ちだ。
…それがどうしようもなく悔しく感じてしまう。
自分がこんなに小さい男だなんて知らなかった。
弁慶は思わず苦笑してしまった。
「…弁慶、それは違うだろ」
「え?」
「お前は知らないだろうが…望美は毎日俺にお前の話をするんだぞ、三年前からずっとだ」
「望美さんが、僕の話を…?」
…三年前…出遭った頃からずっと…?
「お前は自分がどれほど望美にとって大きい存在かわかったないだろ」
「…知りませんでした」
「望美が好きだと言うなら、あいつを信じてやれ」
「…はい」
まさか九郎に教えられるなんて思っていませんでしたよ…と弁慶は顔を綻ばせた。
「あのな、弁慶…」
コホンっと改まって九郎が口を開いた。
「望美はまだ十八歳で、高校生なんだ…清い付き合いをしろよ」
「…九郎、僕は望美さんを呼んできますね」
「ちょっ…待て弁慶!返事は!?」
「九郎…無茶言わないでくださいよ。僕も望美さんも年頃なのに…」
そう言って退けたままリビングを出て行こうとした弁慶は、振り返ってさらにこう言い放った。
「ふふ…言い忘れていましたが明日、望美さんと出掛けるので…」
「なっ…!待て!!弁慶―――――っ!!!」
カチャっと音を立ててリビングのドアは閉じられて、弁慶が九郎を再び振り返ることはなかった。
一人リビングに残された九郎はガクッと頭を抱えた。
まるで、花嫁を送り出す父親のような気分で。
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