長編

□抱き締めて、囁いて
12ページ/32ページ

どうしよう、どうしよう、どうしよう…。


「デートって…何を着ていけばいいの…?」


朝から鏡の前で格闘すること一時間。

本当は昨日の晩のうちに今日のデートで着ていく服を決めたかったところだったが、悩みすぎて決まらず今にいたる。

弁慶には付き合う以前に私服なんていくらでも見られているのだから、今更といえば今更。

だが、やっぱり女としては好きな人とのデートでは精一杯オシャレしたい。

少しでも、可愛くしたいものだ。


「…うん、これにしよう」


望美が選んだのは、シンプルな白いワンピース。

まだ買ってから一度も着ていないもので真新しく、デザインは少し大人っぽく感じる。

年が離れていることを気にしている望美にとっては、少しでも彼に似合う大人の女性に近づきたい。

しかし、鏡の前でワンピースを着た自分を見つめるがどう見ても子供が大人ぶってるようにしか見えなかった。


…このワンピース…私が着ても全然大人っぽく見えないよ。

こんなんじゃ全然、弁慶さんに釣りあわない…。

もう少し胸があったらなぁ…こんあ幼児体型、弁慶さんもガッカリするだろうな…。


はぁ…っと望美は大きな溜息を吐いた。

悩んでいても刻々と弁慶が迎えに来る時間は迫っている。


…もう、これでいいかな。


結局その白いワンピースを着ていくことに決め、他の準備をしようとしたその時、机の上に置かれた携帯が鳴った。

着信の音から、弁慶さんからだ…!と慌てて携帯を取り電話に出た。


「…もしもし、望美さん?」

「はい。おはようございます、弁慶さん…?」


弁慶の声がいつもより少し声かれて低く感じ、望美は首を捻った。


「おはようございます…あの、本当にすみませんが…ごほっ!」

「弁慶さん?どうしたんですか!?」


見えない電話の向こう側で、弁慶は何度も咳を繰り返した。


「ごほっ、ごほっ…すみません…、実は、今朝起きたら頭がぼうっとして…熱があるんです…」

「えっ!大丈夫ですか!?」

「ええ…ただの風邪だと思うんですけど、ちょっと熱が高くて…今日は行けそうにないんです…」


すみません…と申し訳なさそうに謝る弁慶の声に、望美は胸が痛くなった。

望美にとって、デートよりも弁慶の身体の方がずっと大事だ。

さっきまで服装に悩んでいた事なんて忘れてしまい、今すぐ彼の元に飛んで行きたい思いだった。


「弁慶さん、私そっちに行ってもいいですか?」

「え…別に構いませんが、風邪が移ってしまいますよ…」

「弁慶さんは一人暮らしでしょう?心配なんです…」

「…君が看病してくれるんですか?」

「はい!させてください!」

「ふふ…それは嬉しいですね。では、待ってます…」

「すぐに行きます…!」


ピッっと電話を切ると、慌てて服を着替えた。

こんなワンピースなんかじゃ走れない!そう思ったらいつもの普段着の格好になってしまったがそれどころじゃない。

愛しい恋人が自分を待ってくれているのだから。









●○●○●○







弁慶は就職してすぐに一人暮らしをしている。

望美と九郎が住む家から電車で二駅ほど離れた所にあるマンションに住んでいるのだが、望美は今まで一度も行ったことはない。

まだ仕事に出る前で家にいた九郎に手書きで地図を書いてもらい、それを頼りで弁慶のマンションへと向かった。

だが、もともと望美は方向音痴なのと、土地勘がないこともあってなかなか辿り着く事ができなかった。

それでも迷った末どうにかマンションへと辿り着き、郵便ポストで彼の部屋を確認してエレベーターへ乗った。

このマンションは二十階立てという高級マンションで、弁慶の部屋はというと最上階だ。

ただのしがない保健医がこんな所に住むことができるのかと思ったが、今はそんなことより弁慶が心配だった。


「…ここだ」


望美は弁慶の部屋の前に辿り着き、インターホンを鳴らした。

すると、ふらりとした足取りの弁慶がドアを開けた。


「望美さん…」

「弁慶さん…!大丈夫ですか!?」


あまりに顔色が良くない顔をしている弁慶に、望美は駆け寄ると額に手を当て熱を測る。

望美は医者ではないが、明らかに高い熱を持っているとわかるぐらいの熱さだった。


「弁慶さん!病院…!」

「大丈夫です…市販の薬がありますから…」

「でも、ちゃんと診てもらったほうがいいです!」

「望美さん…僕はこれでも保健医ですよ…?」


とは言うものの、こうして風邪を引いているのだから『医者の不養生』としか言えない。

とりあえず、ふらつく弁慶をベットに寝かせようと望美は部屋の中へ入った。


初めて入った弁慶の部屋。

元々広い部屋が、あまり置かれていない家具のお陰でさらに広く感じた。

必要最低限のものがあるといった感じで、生活感も感じられなかった。

望美は有無を言わさず、弁慶をベットに寝かせると体温計で熱を測らせた。


「…38度、結構高いですね。辛くないですか…?」

「こほっ…僕は平熱が低いほうなので…少し辛いですね…」

「お水か何か飲みますか…?」

「…少し、お腹が空きました」

「あ、そうですね。何か少しでも食べて薬を飲んだ方がいいですね」


スッと腰掛けていたベットから立ち上がろうとした。

…しかし、腕を弁慶に掴まれてそれは敵わなかった。


「…弁慶さん?」

「お腹は空いているんですが…それは後でいいです」

「あ、もしかして私の料理の腕を心配してます?私こう見えても料理は得意なんですよ」

「そうじゃないです、今はここにいてほしいんです…」


今はここにいてほしい…と言われても、すぐ近くにある台所に行くだけだ。

別にどこか外へ出掛けるわけではない。

弱々しい弁慶に、望美の負けてしまいそうになったが、彼の為だと思い腕を振り切って台所へ向かう。


「望美さ…」

「お粥でいいですよね?すぐに作りますから、待っててください」


離れていった望美が名残惜しく、弁慶は望美を視線で追った。

弁慶の寝ているベットから台所は丁度、正面に見える。

冷蔵庫開けますねー?っと確認の声が聞こえてきて、頷いた。

自分のために料理を作ってくれる望美を見ていると、弁慶は自然に口が緩んでしまいそうだった。


…愛しい。


そう感じたのと同時に、重い身体をベットから起き上がらせて、音も立てずに望美の背後へと近づいた。

そして…


「きゃあ!!」


ガバッと背後から望美を抱き締めた。


「ちょっと…!弁慶さん何してるんですか、寝ててください!」

「ふふ…つい嬉しくなってしまって」

「え?」

「君が台所に立っている姿を見ると…まるで僕の奥さんみたいだな…って」

「おっ…奥さんって…」


望美は口をパクパクさせて、顔を真っ赤に染めた。

思った通りの反応を返してくれる望美に、弁慶はフッと顔を綻ばせた。


…本当に望美さんは可愛いな。

熱がなかったら、このまま押し倒してしまいそうだ…。


抱き締める腕を解くことなく、望美の身体の向きを自分の正面になるように変えた。

視線を合わすと、望美は恥ずかしさのあまり俯いてしまった。


「…弁慶さん、離してください。お粥、作れません…」

「お粥は後でいいです…今は僕の傍にいてください」


でも…と反論しそうな望美の口に人差し指をあて、耳元で囁いた。


「今日は本当ならデートするはずだったでしょう?…そのお詫びにこうして抱き締めていたいんです」

「別にそんなこと気にしないでいいです…」

「では、僕がこうしていたいからじゃ理由になりませんか?」


そうまで熱烈に傍にいてくれと言われてしまえば、望美に勝ち目はない。

もう一度弁慶を寝かせると、ベットに腰掛けて彼を見下ろした。

熱のせいか潤んだ瞳で見つめてくる弁慶は、普段にも増して色っぽかった。


どれぐらそうやったお互いを見詰め合っていただろう、弁慶がふとベットから身体を起こした。

どうしたんだろうと思う望美をよそに、弁慶は視線を逸らしてポツリと呟いた。


「…望美さん」

「はい?」

「…そろそろ帰ってください」

「え…」


突然に弁慶の言葉に望美は固まってしまった。


「…どうしてですか?」

「……」

「私がここに来たのは…迷惑でしたか…?」

「違います、そうじゃない」


視線を逸らしたまま弁慶は首を振る。


「…君にこれ以上いられたら、風邪を移すようなことをしてしまいそうです」



………え?



望美はすぐに弁慶の言っていることを理解できなかった。

そして、理解したと同時にボッと火がついたように顔を染めた。

よく見ると、視線を逸らしている弁慶も心なしか頬が赤い気がする。

おそらく熱のせいではなくて…。


「………いいですよ」

「…え…?」


一瞬、自分の耳を疑った。

今…彼女は何て言った…?


「私、弁慶さんになら風邪…移されてもいいです」


視線を望美に戻すと、顔を真っ赤に染めながらも真っ直ぐ自分を見つめている望美が目に入った。


…全く…君という人は本当に僕を翻弄する。


「…そんな可愛いことを言われたら、我慢なんてできませんね」

「弁慶さん…」

「目を瞑ってください」


…少し戸惑いながら、グッと目を瞑る彼女が可愛らしい。

キスも初めてだと言っていた初心な彼女は肩が震えていた。

落ち着かせるように、怖がらせないように、初めは耳元に口付けを落とした。

それだけでも、反応を返してくれる彼女に自分が抑えられなくなるのを感じた。


望美を顎に手を添えそっと上を向かせる、そして…


「んっ…」


唇を重ねると、甘い味がした。


望美はそっと目を開けると弁慶と視線が合ってしまい、恥ずかしくなって慌てて目を閉じる。

長い長い口付けは優しくて、弁慶の熱のせいかとても温かい。

しばらくして、名残惜しげに唇が離されて望美はやっと息をつけた。


「…望美さん」


熱の篭った瞳で見つめられ、望美は胸がこれ以上にないぐらいに高鳴った。


「…はい」

「君の唇は甘いですね…」


望美は赤く染めた頬を膨らませてプイっと横を向くと、「馬鹿…」っと呟いた。

そんな望美を弁慶は愛しげに見つめた。


「…望美」

「え…」


急な呼び捨てに驚き、再び弁慶に顔を向けると…


ちゅっ


不意打ちのキス。


「っ…!?弁慶さん…!!」

「君が僕を見てくれないからですよ」


少し拗ねた様に言う弁慶はまるで幼い少年のようで、普段の大人の彼とは違った一面が見えた。

それが嬉しくて、望美はそっと弁慶に寄り添った。

望美の方から積極的に何かをしてくれるなんて事なかったので、弁慶は驚いたがすぐに寄り添う望美を抱き締めた。


「…今度の休みこそは一緒に出掛けましょうね」

「はい!それまでに風邪はちゃんと治してくださいね?」

「ええ、でも…君がこうして看病してくれるなら風邪を引くのも悪くないかな…」

「もう…弁慶さんったら…」



その後も甘いキスを何度も交わし合い、家に帰った望美が熱を出したのは言うまでもない。






次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ