長編
□抱き締めて、囁いて
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夏休みといえば学生にとっては一年で最も長い休み。
海に行ったり、山にいったりとどこかへ遠出し遊びに行く人が多いだろう。
けれど、それはすべての学生に当てはまるものではない。
そう、特に中三や高三といった受験生にとったら、すでに進学や就職が決まっていない限り当てはまらないだろう。
そして、それは望美にとっても例外ではない。
望美は現在、高三。
自分には関係ない話だと言ってられるはずもない。
進学するにしても、就職するにしても、自分で未来を決めて進んでいかなければならない。
4章 望む未来、進む道
「…進路、か」
放課後の教室に一人、望美は自分の席に座り、机の上に肘をつき、手に顎を乗せ、先程担任の教師に配られた紙を見ていた。
白い紙には三つの記入欄があった。
タイトルには進路最終調査と書かれ、『第一希望』、『第二希望』、『第三希望』と空白の欄がある。
望美はシャーペンを握っているものの、その手は動く気配がなかった。
少し前までなら望美の気持ちは固く決まっていた、『就職』だと。
今、こうして高校に通っていられるのは九郎とその家族のお陰。
これ以上負担を掛けたくなかったから、望美は高校に入学した当初から卒業したら就職だと思っていた。
しかし先程、担任の教師に呼び出された。
何かと思えば、望美の成績なら大学の推薦を取れるだろうから、進学したらどうだというものだった。
推薦によっては学費を全額とまでいかなくても少なからず免除してもらえるものもあるし、奨学金を借りることだってできる。
そして、九郎も望美が進学がしたいなら、自分には気にせずに進学したらどうかと言ったのだった。
ずっと就職するつもりであった望美は今まさに悩んでいた。
「はぁ…どうしよう」
朔はずっと憧れていた教師になるために教育大学への推薦が決まっている。
敦盛は弁護士を目指す為、国立大学への進学を考えていると言っている。
しかし望美は進学といっても、特にやりたいことがあるわけではない。
やりたいことを探す為に大学へ行くという人も大勢いるだろうが、望美にはなかなか決心が着かなかった。
「望美?さっきから何、眉しかめてるんだ?」
紙と睨めっこしていた望美に、ヒノエが首を傾げながら近づいてきた。
「ヒノエ君、まだ帰ってなかったの?」
望美は担任の教師に呼び出されて残っていたが、本来なら部活をやっている生徒以外は皆、帰っている時間だ。
「…補習受けてた」
「また?ヒノエ君は頭いいのに、テストさぼるからだよ」
「今、遊んでおかないと嫌でも働かなきゃいけないからさ」
「もう…」
「ところで望美は何してるんだ?」
「うん…、これ」
望美は紙をヒラリとヒノエに見せた。
するとヒノエは「あぁ」と納得した。
「望美は進学?就職?」
「ん〜…それを悩んでいるの」
「とりあえず進学したらいいんじゃないか、それから仕事を考えればいいよ」
「…考えてみる。あ、ヒノエ君は進学だよね?」
ん、俺?っとキョトンとした顔をしてヒノエは苦笑した。
「俺も望美と同じ、悩み中」
「え、ヒノエ君も就職を考えているの?どうして?」
望美はそんなにヒノエの家庭の事には詳しくないが、彼は大きな某会社の社長の息子だということは有名な話だ。
彼が今遊んでいるのも、行く行くは親の後を継ぎ社長になるからだと言われている。
「いや、大学に入って学ぶのいいけど、親父に俺の下で働かないかって言われてるんだよ」
「つまり…大学で経営学を学ぶより、実践が早いってこと?」
「そうそう、…ま、俺の親父らしいよ」
「ヒノエ君のお父さんか…弁慶さんのお兄さんだよね」
「ああ、容姿は似てないけど、腹黒い所はあの二人はそっくりだぜ」
望美は密かに、ヒノエ君と弁慶さんも似てるけどね…っと思ったが口には出さない事にした。
かつては、望美はヒノエに告白され気まずくなったこともあったが、それももう一ヶ月以上前のこと。
今では以前のように彼とは友達としての関係にちゃんと戻れている。
「…望美、あのこと弁慶から聞いてるか?」
「あのこと?あのことって…何?」
「いや…聞いてないならいい」
「…?」
不信そうな目をする望美にヒノエは慌てて首を振り笑顔を作った。
「そんな顔したら美人が台無しだよ」
「ヒノエ君…何かはぐらかしてない?」
「ふふ、望美は本当に勘が鋭いな。けど…そのうち弁慶から聞かされるだろうから」
「弁慶さんから?」
何を?と聞こうと思ったが、おそらく何も答えてくれないだろうと口を閉じた。
こういうところがヒノエと弁慶が血が繋がっているのだと強く感じるのだった。
●○●○
生徒と先生で、恋人という内緒の関係でもお互いにしっかりと想いを交わしていれば辛くなんてならない。
そうして、毎日重ねる放課後の保健室での逢瀬もいつしかとても待ち遠しく思う。
コン、コン…
望美は保健室にはノックをしないで入ってもいいと弁慶に言われているが、やっぱりそこは生徒としてちゃんとしようとノックは毎回必ずする。
そして、弁慶からの「どうぞ」と言う声を聞いて入る。
それが、望美の日課といってもいいだろう。
…しかし、今日はいつものどうぞという返事が帰って来ない。
コン、コン
再びノックをするが返事はない。
そっとドアに触れるが、鍵は掛かってないようだ。
首を傾げながら、「失礼します」と望美は足を踏み入れた。
きょろきょろと辺りを見渡すとすぐに愛しい人が目に入った。
「…寝てる」
保健室のベットでまるで倒れこむように眠っている弁慶がいた。
思えば、望美が弁慶の寝顔を見ることは初めて、珍しくなって覗き込んでいた。
かっこいい落ち着いた大人の彼だが、こうして見ると童顔で可愛い少年のように思えた。
そっと手を伸ばし、彼の髪に触れた。
「…ふわふわ」
見た目からして硬そうな髪質には見えなかったが、こうして改めて触れるととてもふわふわした。
弁慶はあまり髪を触られるのが好きじゃないのか、なかなか触らせてくれない。
今のうちにいっぱい触ってやろうと思い、彼の髪を流れるように梳いているとピッと指に髪が絡まり引っ張ってしまった。
まずい…!と望美が思うのと同時に、望美の腰に腕が回りグイっと引き寄せられた。
「きゃっ!」
突然引っ張られたことにより、弁慶の胸の上に覆いかぶさるような体勢になってしまった。
「っ…弁慶さん!」
「はい?」
「はい?じゃありません!離してください!」
「どうして?」
「どうしってって…手が…」
そう、腰に回されていた弁慶の手がいつの間にか下に伸び、お尻の辺りまで下がってきていた。
「…いいじゃないですか、そんなに照れなくても」
「照れてません!弁慶さんセクハラですよ!」
セクハラ…そうまで言われてさすがの弁慶の少し凹んだ。
自分たちは恋人で、今はキスまでしかしていないが、いずれそういう関係におそらくなるのだから軽いボディタッチぐらい許してほしいものだ。
しかし、弁慶のそんな気持ちなど望美には全く伝わっていないだろう。
弁慶はふぅっと溜息を零すと、自分と望美の身体をべットから起き上げた。
「あ。そうだ、望美さん」
「はい」
「夏休み、旅行に行きませんか?」
「わぁ!行きたいです!」
嬉しそうに答える望美に弁慶は苦笑した。
…この様子だと、僕の意図はわかっていませんね。
年若い恋人である、男女が二人きりで旅行。
そういうことがあっても不思議じゃない。
しかし、この純粋な少女は全く彼の気持ちになんて気付いてないようだった。
この無垢な彼女にはハッキリ言わないとわからないのだろうと、弁慶は口を開いた。
「望美さん、僕は君が好きです」
「えっ!?な、何ですか突然…?」
「愛しい君と二人で旅行へ行って、抑えられる自信もありません」
何が?と、こういうことに疎い望美でもさすがにわかった。
カッと顔を染めて、うろたえる姿を可哀想に思うが、旅行先で心構えもなしで抱いてしまうほうが可哀想だ。
もし、抱かれることが嫌だというなら旅行の話は中止だ。
こういう言い方は卑怯かもしれないけど、愛している女性に触れたいと思うのは男の性だろう。
「…はっきり言っておきます。君が旅行へ行くなら僕はその時に君を抱きます」
「っ……!」
「だから…それを踏まえた上で返事をくれますか?」
望美だって弁慶のことは好きだが、こう急に求められては戸惑ってしまう。
二人が付き合い始めてまだ一ヶ月がすぎたばかり。
旅行が夏休みに行くとしても、付き合って二ヶ月も経っていない頃だろう。
気持ちがあれば、こういうことに早いも遅いないのかもしれない。
しかし、望美は弁慶が初めての彼氏で、そういう行為は未知なものだ。
不安だと思う、怖いと思う…でも好きだから、彼になら構わないとも思う…。
「…行きたいです」
やっと出た言葉はそれだった。
「本当にいいんですか?当日に…待ってといわれても、待たないですよ?」
どうして自分はこういう風に彼女を追い詰める言い方したできないのだろうと眉を潜めてしまう。
でも…もし彼女が断れば、ちゃんと彼女の気持ちが整うまで待つつもりで無理強いなんてするつもりはない。
「私も…弁慶さんのこと好きです。だから…大丈夫です…」
恥ずかしさのため俯き顔を隠す彼女に愛しさが募った。
…そして意地悪な心も。
つい、その顔を見たくて、彼女の顎を捉えて上に向かせると唇を奪った。
いつもの優しいキスではなくて、少し大人のキスを教えてやるために。
「んんっ…」
僅かに開いた唇から舌を滑りこませると、彼女の舌と絡め合わせる。
しばらくキスを繰り返し、苦しそうに息の仕方も忘れてしまった彼女を開放してやった。
はぁ、はぁ…と息を付く彼女を抱き締めると、自分の心の底から湧き出そうな欲求を理性で押さえつけた。
足りない…足りないんだ、キスだけじゃ。
彼女のすべてが欲しい…。
望美さんが好きだから…愛してるから…だから。
彼女をこの腕に抱きたいと…そう願ってしまう。
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