長編

□抱き締めて、囁いて
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ずっと小さい頃…まだお父さんとお母さんが生きていた頃。


夢があったの、子供心で描いていた大事な夢が…。


『私、将来お父さんのお嫁さんになるんだ!』


そう私がいうと、お母さんは苦笑して、お父さんは優しい笑顔で頭を撫でてくれた。


『それでね、それでね!世界一、幸せなお嫁さんになるんだよ!』


望美が幸せになってくれることがお父さん達の願いだよ…と、抱き締めてくれた二人の温もり。


その二人の温もり以外に心を満たしてくれる人がいるんだって私は知った。


一番初めに知ったのは九郎さん、そして…その次が弁慶さん…私が大好きな人。


弁慶さんは惜しみなく私に愛を囁いてくれる。


抱き締められると、とても心が満たされるのを感じる。


この先の未来も、弁慶さん以外の人なんて考えられない。


弁慶さんが好き…だから、私の全部は貴方にあげたい…。











朝のリビングに漂う香りは、毎日九郎が愛飲しているコーヒーの香り。

テーブルにはこんがりと焼かれたトーストが並んでいる。

朝の弱い九郎は少し寝ぼけながら、新聞よ読み、朝食のトーストを口にする。

朝が弱いのは望美も一緒なのだが、この日はパッチリと目を覚ましていた。


「…私、決めた」


ポツリと望美がそう呟いたが、寝ぼけていたため九郎は少し反応が遅れてしまった。

10秒ぐらい間を空けて、望美に尋ね返した。


「…何がだ?」

「九郎さん。私、就職する」


瞬きを数回繰り返した後ようやく頭が回ったらしい九郎が、はぁ!?っと大きな声を出した。


「就職って…お前、大学は!?」

「行かない、私高校を卒業したら就職する」

「俺に遠慮するなとあれほど言っただろ!」


眉を潜めて納得いかないといった顔をしている九郎に落ち着くように促すと、望美はポツリ、ポツリと話し出した。


「あのね、九郎さんに遠慮してるとかそういうんじゃないの」

「じゃあ、どうしてだ…」

「ずっと考えてた…私、大学へ行くとして何がしたいんだろうって…」


朔やヒノエ君、敦盛さんはちゃんと自分の未来を見据えている。

でも、私は何も決まらないままだった…。


「今は私、自分が何をしたいのかわからない…。だから、一度就職して社会を見てみようと思うの」

「…社会に出るってことは大変なことだ、学生とは全然違うんだぞ」

「わかってる。私が今、言えることは立派な大人になりたい、お父さん、お母さんに胸を張れるぐらい…」


望美の真っ直ぐな瞳が、真剣で本気だということを九郎に伝えてきた。


「…本当にそれでいいのか?」

「うん、もう決めたの。それに、将来もし大学に行きたくなったら自分でお金を貯めて行くよ」


社会に一度出た人間が再び、教育の場に戻ることはそんなに珍しくない。

もし、将来大学に行こうと思えば行くことは可能なことなのだから。


「そうか…、望美が自分でそう決めたなら俺は何も言わない」

「ありがとう、九郎さん…」

「弁慶には話したのか?」

「ううん、まだ。今日、学校で話そうと思ってる」

「そうか、弁慶もお前の進路のこと気にしてたからちゃんと教えてやれ」

「うんっ」


すうっと息を吐き、九郎はそっと目を閉じ飲みかけのコーヒーを口にする。


「あ、そうそう。夏休みに弁慶さんと旅行に行って来るね」


ゴホッ!!っと九郎が盛大に蒸せたことは言うまでもない。






****







「ふぅ…」


弁慶は保健室で自分の専用の椅子に座りながら一人溜息を零した。

その原因は言うまでもなく、望美のことだ。

旅行の話を持ち出しからというもの望美はどこかぎこちない。

昨日だって…いつもなら朝は必ず保健室に会いに来てくれるのに来てくれなかった。

会いにいけないというメールは届いたが、それには理由は書いてなかった。

その後の返信でその理由をわざわざ望美に聞かなかったのは弁慶なりの気遣いだ。

放課後は会いに来てくれたが、その時の会話も弾まない。

夜、一緒に自分の部屋で食事でもどうかと誘ってみたが、それも『考えたいことがあるんで…』と断られてしまった。


「…少し、急ぎすぎたかもしれませんね…」


何もかもが初心の少女に、『抱きたい』と求めてしまったことは少し性急すぎたかもしれない。

でも、求めずにはいられなかった。

それほど、自分は望美に溺れているから。

人間とは強欲な生き物だ。

心が手に入ったら、身体もほしくなる。

そのすべてを自分のものにしたいと願ってしまう。


「…」


弁慶はチラッと腕にした腕時計を見た。

もうすぐ、いつも望美が保健室にやって来る時間になる。

昨日の朝は来てくれなかったが、今日は来てくれるだろうか…。

期待と不安が弁慶の頭を渦巻いた。




コン、コン



ガタッと音を立てて弁慶は椅子から立ち上がる。

ドアの向こうから愛しい望美の声が聞こえてきた。


「…弁慶さん、入っていいですか?」


その言葉に返事をすることなく弁慶は保健室のドアを開けた。

すると、驚いた顔をした望美がそこに立っていた。

弁慶は、望美の腕を引き保健室の中に入らせドアを閉めると力一杯抱き締めた。


「べっ弁慶さん!?」


突然のことに驚き、望美は頬を染めた。

ぎゅっと決して離すまいという気持ちが伝わってくるぐらいの抱擁だった。


「…来てくれないと思っていました」


微かに聞き取れるぐらいの声で弁慶がそう呟いた。


「…昨日の朝は来なくて、ごめんなさい…」

「いいんです…今日、今こうして来てくれましたから」

「弁慶さん、私…ちゃんと弁慶さんのこと好きですから」

「…僕もですよ、望美さんが大好きです」


抱き締めていた身体をそっと少し離すと、触れるだけのキスを落とした。


「…んっ…はっ…」


繰り返されるキスは次第に深いものに変わっていった。

望美は熱いキスに瞳も潤んできた。

唇の間から弁慶の舌が進入してきて、望美はびくっと身体を震わせた。

それでも弁慶がキスを止めることはなく、時間も忘れてしまうぐらい熱いキスが続いた。


「…ふぁ…」


やっと唇を離された望美は息を小さく何度も吸い込んだ。


「…望美さん」

「はい…」

「愛してます…」


再び弁慶の顔が近づいてきて、望美は待ったをかけた。

当然、弁慶はなぜ?というように不満そうな顔をした。


「弁慶さん!私、話したいことがあるんです」

「…何ですか?」


とりあえず座ってくださいと望美に促され、弁慶は渋々椅子へ着いた。

弁慶が座ったのを確認して望美は話し出した。


「私、就職することにしました」

「えぇ!?」


九郎と同じような反応に思わず望美は笑ってしまった。


「望美さん!何笑っているんですか!」

「あ、すみません。つい」


ぺろっと舌を出して謝る望美に弁慶も冷静さを取り戻した。


「僕はてっきり君は大学へ進学するとばかり思っていました」

「私もすごく悩みました。でも、ちゃんと考えて決めました」

「…君は抜けているところもあるけどしっかりしていますからね、君が決めたなら応援しますよ」

「ありがとうございます」


抜けているところもあるという言葉は気になったが、弁慶が納得してくれたことに望美は笑顔を返した。


「実は僕も君に伝えなくてはいけないことがあるんです」

「何ですか?」

「…まだ内緒です。でも近いうちに言いますから…」


そういえば前にヒノエ君が…

『弁慶からあのこと聞いているか?』って言ってたよね。

それかな?


「いい話ですか?」

「そうですね…将来のことを考えると悪い話ではないですね」

「??」


どういう意味だかわからないと、望美は首を傾げる。


「そんなことより…もうすぐ夏休みですね」


ドキッと望美の胸が熱くなる。


「…僕はすごく楽しみです、君は?」

「私も…すごくすごく楽しみです。…早く行きたい」


弁慶は微笑むと望美を抱き寄せ、再び熱いキスを望美に落とした。






夏休みはもう目の前――…。





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