長編
□抱き締めて、囁いて
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望美と弁慶が付き合いだして四ヶ月が経とうする、十月の半ば。
暑い夏は通りすぎ、少し肌寒い秋の季節。
恋人となった二人は、キスを交わし、身体を重ねて愛し合い、順風満帆のように思えた。
しかし…
「…ふぅ…」
保健室で一人、コーヒーを飲みながら溜息を零したのは弁慶だ。
溜息の原因といえば…決まっている、望美のことだ。
最近、望美の様子がおかしい。
いつからだっただろう、確か初めて身体を重ねて、次に会った時から。
初めは照れているのかと思ったが、どうやら違うみたいだ。
何か自分に言おうとして、結局口を閉ざしてしまっている。
悩みや心配事があるなら聞いてやりたい、一人で悩ませたりしたくない。
けれど、無理に聞き出してはいけない。
望美は自分に話そうとしてくれているのだから、話してくれるまで待とうと思う。
そう思って、今まで待っていた。
しかし、一向に望美は話してくれない、いつも寸前で口を閉ざす。
「…僕に言えないことなら、九郎に相談できないのでしょうか…」
いや、九郎に言えないことだから自分に相談に来ているのか。
それとも、相談ではなくて自分に何か言わなければならないことがあって言いづらいのか。
答えは後者だが、まだ弁慶は何も知らない…――。
****
「…はぁ…」
昼休みの高校の屋上で一人、溜息を零したのは望美だ。
お弁当は朔とヒノエと敦盛で教室で食べたが、落ち着かなく一人屋上へ来たのだった。
屋上には他の生徒たちが楽しそうにお弁当を食べている。
しかし、今の望美にそんな光景は目に入らない。
九郎とアメリカへ着いていくのか、それとも残るのか…いくら考えても決まらない。
弁慶に話さないといけないと思っているのに、いざ話そうと思うと口を閉ざしてしまう。
「…嫌だよ…二人とも離れたくない…」
どちらに転んでも、決して今生の別れになるわけではない。
でも、それでも、とても大切で大好きな人と離れることは悲しいことだ。
屋上から見える町並みは、望美が九郎と暮らし始めたこの町を見渡せた。
望美はここから町を見渡すことが好きだった、それは九郎との生活がどれほど愛しいものかを物語っている。
両親を失った自分を救ってくれたのは九郎だ。
新しい家族となってくれて、今でも自分を妹か娘のように愛してくれている。
出遭った順番は関係ないと言いたいが、一番初めに自分を変えてくれた人紛れも無く九郎なのだ。
だから九郎とアメリカへ……、とは簡単に決められない。
他人である自分を心から愛してくれた人、弁慶がいるから。
「望美ちゃん?」
ふと後ろからかけられた声に振り返ると、そこには景時がいた。
景時は親友である朔の兄で、この高校の教師である。
そして、弁慶とは同僚で九郎とも友人あり、望美とも親しい。
望美と弁慶が付き合っているということは、弁慶が教えて知っている。
「景時さ……あっ!学校では梶原先生、ですね」
景時はくすっと笑って、どっちでも構わないよと微笑んだ。
スッと望美の横に立つと、景時は「ん〜、いい天気だね」っと腕を伸ばした。
「あの、景時さん…」
「ん?」
「景時さんは…知ってますか?」
弁慶、九郎とも友人である景時になら、相談できるかも知れないと望美はおそるおそる尋ねた。
一瞬何のことかと目を丸くした景時だったが、すぐに「あぁ!」と納得したようだった。
「九郎がアメリカへ行くっていう話かな?」
「はい…」
「九郎からは話は聞いてるよ、弁慶には望美ちゃんが話すまで口止めだってこともね」
「…あの…私、悩んでいるんです…」
どうしたらいいのか、わかならい……。
どっちの方が大切とか、そんなこと…比べられるわけない。
「離れたくないんです…弁慶さんとも…九郎さんとも…二人とも大切なんですっ…」
「望美ちゃん…」
「…っ…もう…どうしたいいのか…わか…ら…な……」
「わっ!?の、望美ちゃん、泣かないで…!」
溜めていたものがあふれ出す様に、涙が零れ落ちた。
景時は慌てながら、望美の頭を優しく撫でてやった。
きっと屋上にいる他の生徒からしたら、景時が望美を泣かせているように見えていることだろう。
「景時さ…、私…どうしたら…いい…です…か?」
「…俺は、望美ちゃんが選んだんならどっちでもいい思うよ…?」
「…景時…さん…」
「ごめんね…何かいいアドバイスを言ってあげたいけど、やっぱり望美ちゃんが決めないといけないことだから」
申し訳なさそうに頭を下げる景時に、望美は首を振る。
「私こそ…ごめんなさい…泣いたりして…」
「泣きたい時はいくらでも泣いてもいいんだよ、無理に我慢したか疲れちゃうからね?」
弁慶と九郎とはまた違った気質であるが、景時は優しい。
望美は改めて自分がどれほど周りの人達に恵まれているか実感した。
「弁慶も九郎も望美ちゃんをとても大切に想ってるよ、だから望美ちゃんは笑っていてほしい」
「景時さん…」
「それに望美ちゃんが元気ないと、朔も心配するしさ」
「ふふ…景時さんて本当に妹思いですね」
そうかな?と照れたように笑う景時に、望美も自然と笑みが零れた。
「ありがとうございます、景時さん…。私、弁慶さんにちゃんと話してきます」
「うん…。それがいいと思うよ」
誰かに答えを求めたとしても出るわけ無いんだ、答えは自分の中にしかないのだから。
望美は走り出した。
真っ直ぐと、怯むことなく、弁慶がいる保健室へと。
「…頑張れ、望美ちゃん」
駆けてく望美の姿を見送りながら、景時は小さくエールを送った。
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