長編

□抱き締めて、囁いて
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久しぶりに抱き締めた彼女の身体はずっと外にいたせいかとても冷たく、どこか小さく感じた。


「……望美さん」


流す涙が愛しくて、そっと目元に唇を寄せ涙を拭ってやった。

それでも涙は留まることなく溢れ、弁慶は赤子をあやすように望美の背をトン、トンと叩いてやった。

望美は自分を抱き締める弁慶を押し返そうとしたが、強く抱き締められてそれは適わなかった。


「っ…弁慶さん…離して…!」

「嫌です」


きっぱりと拒否した弁慶は、さらに望美を抱き締める腕に力を込めた。

望美がどこにも行かないように。

もう、離れないように。

弁慶はズボンのポケットから携帯を取り出すとどこかへ電話を掛けだした。


「…もしもし、九郎?ええ、見つかりました…ご両親のお墓の前に…はい」


電話の相手は九郎のようだ。

九郎はずっと家で望美の帰りを待っている。

まずは九郎に望美が見つかったことを知らせるのが先決と、弁慶は内容をまとめて伝える。


「…ええ、ここからは僕のマンションの方が近いので今夜は泊めます……はい…それでは」


弁慶の言葉に、望美は驚き視線を向けた。

弁慶のマンションに泊まる?

冗談ではない、どうして別れた未だに愛しい彼の家に泊まらなくてはならない。

確かにここからは九郎が待っている自宅まではかなりの距離があり、弁慶のマンションの方が近い。

だからといって、実際にここまで(電車も使ったが)歩いてきたのだから帰れないことはない。

それに望美には弁慶の傍にいることは辛すぎた。

それは今でも恋人だったころと変わらずに彼を愛している証拠。


「わ、私帰ります…!」

「もう年も変わってこんな時間ですよ。終電もありません、歩いて帰るつもりですか」

「っ…歩いてでも帰ります!」

「君の家まではかなりの距離があります、今夜は僕の家に泊まってください」

「大丈夫です、一人でも帰れます!」

「……こんな時間に君を一人で夜道を歩かせるわけにはいかないでしょう」


それでも家に帰ると、望美は俯き頑なに首を振った。

弁慶は隠しもせず溜息を零した。


「…あんまり僕を困らせないで下さい、朝になれば僕が車で家まで送ってあげますから」

「それなら、今送ってください!」

「君は…はっきり言わないとわからないんですか?話があるから泊まってくださいと言っているんです」

「…っ…」


どうにかして逃げたかった、しかし弁慶から逃げるなんて無理だ。

望美はようやく諦め、渋々と頷いた。

マンションへ向かう間、望美の手は固く弁慶に繋がれていた。

その手の繋ぎが、指を一本、一本絡める恋人繋ぎで望美は戸惑った。

どうして別れた今でもそんな風に弁慶が自分に接してくれるのかわからなかった。

お互いに言葉が出なく、会話がないままマンションへと向かった。

それでも、無意識のうちに望美は繋がれた手を握り返していた。






****






別れて以来なので、二ヶ月ぶりに来た弁慶の部屋は前とどこも変わっていなかった。

相変わらず必要最小限の家具しか置いていなくて、殺風景な部屋だ。

変わってしまったのは望美と弁慶の関係だ。

この部屋には、二人が恋人だった時の記憶が多すぎて望美の心を苦しくさせる。

別れた時、もう二度と来ることはないと思っていた。


「望美さん、そこに座って下さい」


望美は弁慶に促されるまま、ベットに腰掛けた。

はい、と弁慶に淹れたてのコーヒーを渡された。

弁慶の淹れてくれるコーヒーは他の人が淹れたものよりの数段おいしくて望美は好きだった。

冷えた身体を温めるようにと淹れてくれたコーヒーを飲むと、心が少し落ち着いたような気がした。

弁慶は自分にもコーヒーを淹れ一口飲むと、望美の横に腰かけた。


「…さて、何から話しましょうか…」


ぴくっと望美の肩が揺れた。

今更、自分に何か言うことがあるのだろうか。

すでに別れた身、これ以上何を言われるのだろうと心が軋んだ。


「……君がいないと九郎から聞いた時…とても後悔しました……」

「…え?」

「僕は…自分で思っていたよりずっと大きい気持ちに気付かされました、…君への想いに……」


弁慶が何を言っているのか望美には理解できなく、眉をしかめながら彼を見詰める。

自分に呆れて別れを切り出したのは弁慶だ。

今更…そんな淡い期待は持てない…。

弁慶がまだ自分のことを変わらずに愛してくれているなんて…。

そんなこと…ただの自惚れに決まっている。


「…僕と初めて身体を重ねた時のこと…覚えていますか?」

「はい…」


忘れられるわけがない。

初めて愛した人と身体を重ねた時のことを…。

あの時の彼の温もりと優しさと愛しさが、今でも鮮明に思い出せる。


「あの時…僕は君に言いました…」





…君のすべてはを僕は受け止めます。


…君の辛い過去も、僕が幸せな未来に導いてあげます…。





僕は確かに君にそう言った。

嘘、偽りなく、あの時本当にそう思ったから言葉に出した。

でも…今の僕はどうだ?

君のすべてを受け止める…?現に今、受け止め切れていないじゃないか。

アメリカへ行くと決めた望美さんを責めてしまっている。

九郎のことを大切に想う心は、彼女の一部でもあるのに…。


「…君は何も悪くないんです…僕が悪い」

「弁慶さん…」

「自分が器が大きい人間だなんて思ったことはありません…でも、ここまで小さいとも知りませんでした」


君が強い人だと知っていたけど、同時にとても脆くて弱い人だと知っていたのに…。

君が僕より九郎を選んで…頭に血が上り…君を傷つけた。

僕が君を愛しているように、君も僕を想ってくれていたことはわかっていたはずなのに…。

どうして君を一人にしてしまったのか……悔やんでも悔やみきれない。


「僕から別れようと告げておいて勝手なことだとはわかっています……けど」


もう、これ以上自分の気持ちを抑えきれない。

心が彼女を欲している。

君のすべてが愛しい…狂おしいまでに愛している。


「……愛しています、望美さん。僕には君が必要なんです…」

「べ…んけ…い…さん」

「君に乞います…僕ともう一度やり直してくれませんか?」



君がアメリカへ行くことは耐えられない…けど、


君と心まで離れてしまうことはもっと耐えられない。


結局、僕は…君への気持ちを断ち切ることなんて初めからできるわけなかったんだ。


君は僕の…唯一の最愛の人だから。





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