長編

□抱き締めて、囁いて
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他人は信用できない。

…ううん、血の繋がった親戚の人達でさえ、私は信じられないの。

唯一、私が信じられるのは九郎さんだけ。

それに、別に他の人と関わりたいとも思わないし、仲良くしたいとも思わない。

他の人に私を分かってほしいとも思わない。

けど、それでは駄目だって九郎さんは言う。

九郎さんの言うことはわかるよ?でも…私は怖いんだ…。

人を信じることが…大切な人が増えて、その人をいつか失うことが…。












望美の家庭教師にと紹介された、九郎の大学の友人だという青年はとても掴み所がない。

整った顔立ちに、男性にしては少し華奢に見える身体、淡い蜂蜜色のような髪。

常に穏やかな笑みを絶やさなく、とても九郎と気が合うとは思えなかった。


「初めまして、藤原弁慶です」

「…初めまして」


握手を求められ、恐る恐る手を差し出すと、弁慶は困ったように笑った。


「…警戒、されているのかな?」


その顔に望美は慌てて首を振り、弁慶の手を握った。


「ち、違います!春日望美です、初めましてっ」

「望美さんですね、可愛らしいお名前ですね」


素で言っているのか、それともお世辞なのか…。

どちらにしろ、男性にそんな事を言われたことがない望美は頬を真っ赤にして、握手していた手を引いた。

そんな望美の反応を見て、おや?と弁慶は首を傾げ、笑みを零した。


「ふふ…名前だけでなく、顔も反応も可愛いですね」

「っ…な、な…」


望美は頬だけでなく、顔全体を真っ赤にして口をパクパク動かした。

からかうように笑う弁慶に、呆れたように九郎は溜息を吐いた。


「弁慶…、望美をからかうのはよせ」

「からかっているつもりはありませんよ、全部本当に思ったことですから」


九郎はさらに深く、はぁ〜っと頭を抱えながら溜息を吐いた。

望美はといえば、顔を真っ赤にしたまま弁慶を睨むように、九郎の後ろに隠れている。


「望美。弁慶はこんなやつだが、頭はいいからしっかり教えてもらえよ」

「九郎…、人をこんなやつ呼ばわりしないで下さい」

「望美は俺の大切な家族なんだ、変なことを教えたりするな」


後ろにいた望美が、九郎の『大切な家族』という言葉に感動したのと同時に、『変なこと』という言葉にも反応して眉を潜めた。


「はい、わかっていますよ」

「…信用してるからな」

「もちろんです」


九郎は後ろを振り返り、腕を引き、望美を自分の前に立たせる。

望美は弁慶と目を合わせると、少し戸惑いながらも頭を下げた。


「…よろしくお願いします…藤原さん」

「よろしく、望美さん」


あぁ、僕のことは弁慶でいいですよ…と間も置かず言った弁慶に、望美が再び沸騰しそうなほど顔を染めたのは言うまでもない。








こうして、弁慶と望美の時間が始まった。









初めこそ掴み所のない弁慶を警戒していた望美だったが、時間を重ねるにつれ薄れていった。

普段、望美が戸惑うような言動を言ったりする弁慶だが、勉強を教える時になればまるで別人。

とても厳しいとまで言わないが、それなりに厳しくなり、望美が理解するまでしっかりと教えてくれる。

望美はそんなに頭がいい方ではなかったが、弁慶の教え方がいいのか、日々成績を上げていった。



相変わらず望美が混乱するような言動を時々、口にする弁慶だったが、望美もそれが嫌ではなくなっていった。

いつしか、望美は弁慶に絶大な信頼を置くようになっていた。

そんな望美を見ながら九郎は、望美がこの調子で、自分と弁慶以外の人達にも心を開いてくれればと思った。

少し、望美が自分を頼ってくれなくなったことを寂しくも思いながら。








●○●○●○






「こんにちは、望美さん」


いつものように家庭教師にやって来た弁慶を望美は玄関まで出迎えた。


「こんにちは、弁慶さん!…!!べ、弁慶さんどうしたんですか!?」


望美は弁慶の顔を見て、驚き目を見開いた。

弁慶は頬が赤く腫れ、痛そうに擦っていた。

望美は真っ赤に腫れた頬にそっと手を触れる。


「どうしたんですか…?頬が…」


弁慶は苦笑して、頬にある望美の手を取ると、握り締めた。


「実は彼女に思いっきり叩かれまして…」

「え…彼女…?」


…彼女…いたんだ。

そうだよね…この容姿で頭も良くていないほうがおかしいよね…。


望美は胸がズキッと痛んだ気がしたが、気のせいだと思った。


「どうして叩かれたんですか?」

「別れ話のもつれでしょうか…」


情けない話ですみません、と弁慶は苦笑した。


「弁慶さんが振ったんですか?」

「ふふ…逆です、僕が振られたんですよ」

「え!?」

「望美さん、玄関で話すのもなんですから」


そう言われて手を引かれ、二人は望美の部屋へと向かう。



話を聞くと、弁慶の彼女は大学の同級生で付き合いは半年ほど。

付き合うこととなったのは向こうから告白がキッカケで、弁慶は一度は断ったらしい。

しかし、その後も彼女に何度も告白されて、とりあえず付き合うことになった。

そして、もうじき大学卒業を控えた弁慶に、結婚の話を持ち出したらしい。

結婚するつもりなんて微塵もなかった弁慶はキッパリと、貴方と結婚するつもりはありませんと言ったそうだ。

それに怒った彼女と別れ話になって、別れ際に頬を叩かれたのだと…。



望美は男の人と付き合ったこともないので、こういう話はよくわからなかったが、すこし考えて言葉を選びながら言った。


「…それは、彼女とその気もないのに付き合った弁慶さんが悪いと思います」

「そうですね…、僕も反省しています」


でも…、と弁慶は言葉を続けた。


「僕は今まで女性を本当に好きになったことがないんです」

「え…」

「だから、付き合っていれば自然に好きになれるんじゃないかと思ったんですが…」


…駄目でしたけどね、と目を伏せて苦笑した。


「でも…私だって」


俯いていた弁慶は望美の言葉に顔を上げ、望美に視線を向けた。


「私だって…九郎さん以外の人となんか一生分かり合えないって思っていました。でも弁慶さんとは今こうしてる…」

「望美さん…」

「人は変わって成長していけるんです!だから、弁慶さんだってきっとこれから変わって、本当に好きになれる人ができますよ!」


弁慶は一瞬、いつもの笑みを崩した。

それを見た望美は、私何かまずい事を言った!?っと困ったようにおろおろした。

すると、ぐいっと弁慶に腕を引かれ抱き締められていた。


「…べ、弁慶さん!?」


頬を赤く染め、弁慶から逃れようともがくが、強い力で抱き締められていてそれは敵わない。


「…ありがとう」


僅かに聞き取れるぐらいの声で弁慶がそう言ったのを望美は聞き逃さなかった。

望美は恐る恐る、弁慶の背に腕を回した。


「今だけですからね…」










●○●○






季節は巡り、望美は高校受験に望む。

初めての受験に不安もあったが、傍で支えてくれる弁慶や九郎の応援のお陰で、万全の状態で挑むことが出来た。

結果はみごと第一志望の高校に合格した。

望美はまず携帯を取り出し、九郎に電話をかけ、合格を知らせた。

そして、ここまで受験をサポートしてくれた弁慶には直接言いたいと思い、電話で望美の家の近所の公園に来てもらうこととなった。








「弁慶さん!!」


やって来た弁慶に望美は嬉しそうに駆け寄った。


「望美さん、合格おめでとうございます」

「え!?どうして知っているんですか!」

「九郎から電話が来ました」


弁慶はにっこり笑いながら、手に持っていた携帯をちらつかせた。

自分の口から伝えたかった望美はガックリと、肩を落とした。


「もう…九郎さんってば」


ぷくっと頬を膨らませて、望美は不満そうな顔をした。


「でも、僕は九郎から電話がなくても君が合格だとわかっていましたよ」

「え…?」


首を傾げる望美に弁慶はクスっと笑って、顔を寄せ耳元で囁いた。


「…君の頑張りは、僕が一番良くわかっていますから」


顔が近いです!と弁慶を手で押しながらも、望美の胸はトクン高鳴り、頬を赤く染めた。

弁慶はわざとらしく、つい…と言って、笑った。

そして、「よく頑張りましたね」と望美の頭をポン、ポン撫でてやった。

望美は照れながらも手を払いのけることはなく、えへ…っと微笑んだ。


「でも…これでもう家庭教師、終わりなんですね。なんだか、寂しいです…」

「…そうでもないですよ?」

「え?」

「僕、この春から望美さんの通う高校の保健医となることになったんです」


望美は一瞬弁慶が何と言ったのかわからず固まった。


「え…ええええぇぇぇぇぇぇ―――――!!?」










春日望美、15歳。


藤原弁慶、22歳。





これが、二人の出逢い始まり。







1章END

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