長編

□抱き締めて、囁いて
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科学は日々進歩して、この世には便利な道具が溢れている。

しかし、どれだけ便利な道具が増えようと、どうすることもできない、変えられないものだってある。

人の心、気持ちというものは、どんな道具を持ってしても変えることは出来ない。

特に、人を好きだと思う気持ち、愛する気持ちは変えようがない。


「ふぅ…」


保健室に向かう廊下を歩きながら、弁慶は少し目を伏せ息を零す。

思い出すのは、さっき会った望美のこと。

望美と弁慶が出遭ったのは3年前、望美の高校受験の為に呼んだ家庭教師が弁慶だった。

出遭った頃は、純粋に可愛らしい少女だと思っていた。

初めは自分と九郎にしか心を開いてくれなかったのも、今ではうまく高校のクラスメート達とも馴染んでいる。

しかし、最近の望美は成長して本当に綺麗になったと思う。

明らかに、生徒として望美を見れていない自分に頭を抱えた。

出遭った頃は、まさか自分がこんな気持ちを抱くようになるなんて思いもしなかった。


…それに、九郎に何て言われるか…。


そう、望美は弁慶の大学時代の友人である九郎が目に入れても痛くないほど可愛がっている。

二人は遠縁の親戚という関係だが、実の家族以上の絆だと弁慶の感じている。

それに、望美は自分を慕ってくれているので今の関係をわざわざ壊すこともないかと思う。


…っと、僕は仕事中に何を考えているんだ。


頭を切り替えるように、首を振り、保健室へ戻るために足を進める。



ピタッ

保健室のドアを開けようとした弁慶の手がふと、止まった。


…誰かいる…?


人の気配を感じて、そっとドアを開き中の様子を確かめる。

すると…ベットで寝転がり、肘をついている少年とバチッと目が合った。

その少年を見るなり、弁慶は大きく溜息を吐き、保健室の中に入りドアを閉めた。


「ヒノエ」


たしなめるように名を呼び、少年がいるベットの前に立つ。

一方の少年は、表情も変えずに入ってきた弁慶を見上げた。


「あぁ、あんたか」

「…僕は一応、保健医ですからね。ここにいても不思議はないでしょう?」

「へっ、保健医ってガラかよ」

「おや、似合っていませんか?これでも生徒にも人気があると思うんですが」

「生徒っていっても、女子生徒限定じゃねーか」


確かに…、そう思って弁慶は苦笑した。


この少年の名は、藤原ヒノエ。

弁慶の兄の息子である、つまり甥にあたる。

そして、望美とはクラスメートの関係だ。


「ヒノエ、授業はどうしたんです、どうしてここにいるんですか?」

「あ〜、寝坊した。途中から出るのも面倒だから、休ませてもらってるよ」

「…ヒノエ」


あからさまに呆れた顔をして、弁慶は腕を組んだ。

同じ遅刻でも、走り息を切らして来た望美とは正反対だ。


「ここは君が時間を潰すためにあるのではありません」

「二時間目からは出る」

「そういう問題ではありません…学生は学生らしくちゃんと学びなさい」


また説教が始まった、と言いたげな顔をしてヒノエはベットから身体を起こした。


「説教なら遠慮しておくよ」

「君のことは兄さんに言われているんですよ、しっかりと教育してくれと」

「全くあの親父は余計なことを…」


顔をしかめながら、ヒノエはベットから降りた。

腕を伸ばして、大きなあくびをするとドアの方へと歩きだした。


「行くんですか?」

「あぁ。あんたの小言には飽き飽きだからな」

「おや、酷い言われようですね。可愛い甥っ子を心配しているんですよ」

「よく言うぜ」


そう言って、振り向きもせずヒノエは保健室を出て行った。

残された弁慶は頭をポリポリと掻きながら、昔の僕にそっくりだなぁ…っとしみじみ思ったのだった。









●○●○●○







時刻は昼休み。

望美はクラスメイトで親友の梶原朔と教室でお弁当を食べていた。


「望美のお弁当は本当いつも美味しそうね」

「えへへ、今日は九郎さんが作ってくれたの」


朝、望美が九郎に渡されたお弁当の中身はサンドイッチだった。

もちろん手作りで、ハムや卵、カツやレタス…などなど色々なバリエーションのモノがあった。

九郎は料理はそんなに得意ではなく、普段はお弁当は望美は自分で作っている。


「九郎さんってね、ぶっきらぼうだけど優しいんだよ」

「ふふ、望美は本当に九郎さんが好きなのね」

「うん!私、九郎さん大好き!」


望美と朔が初めて出会ったのは、高校の入学式。

知り合いが一人もいなくて、緊張して固まっていた望美に朔が話しかけたのが始まりだ。

それから、二人は高校の3年間同じクラスになったこともあり、今では親友と呼べる仲になった。

望美の家にも何度も遊びに来ていて、九郎とも面識がある。


望美と朔が談笑していると、後ろから声が掛けられた。


「望美」


望美はこの声をよく知っている。

振り返れば思っている通り赤い髪をした少年と、もう一人、紫の綺麗な髪をした少年がいた。


「ヒノエ君!敦盛さん!」


春日望美、梶原朔、藤原ヒノエ、平敦盛は3年間同じクラスの仲良し4人組である。

…仲良し4人組というのは、いつも行動を共にしている4人を周りが勝手にそう呼んでいるだけだが。


「ちらっと聞こえたけど、誰が大好きだって?」


ヒノエは望美の背後に回り、そっと肩を抱く。

望美は少し苦笑して困りながらも、もう慣れてしまっていて抵抗はしない。


「…ヒノエ、望美が困っている」


横から、敦盛がヒノエを呆れたように呼び、嗜める。


「敦盛、お前だって気になっているくせに」

「…いや、私は…」


え?っと首を傾げた望美と目が合うと、敦盛はボッと顔を赤く染めた。

一人、蚊帳の外といった感じで見ていた朔はおもしろそうにその様子を眺めていた。

望美が困った顔を向けると、ようやく朔が助け舟を出した。


「二人とも、望美が困っているわ」


いや、私は何もしてない…っと思いながらも敦盛は黙って何も言わなかった。

そして、ヒノエはようやく渋々といった感じで肩を抱いていた腕を放した。


「望美、反応が薄くなったな」


初めのころはいつも顔を真っ赤にして初々しかったのに…っとヒノエは呟いた。


「ヒノエ君が毎日、毎日、同じ事ばっかりするからだよ」

「ふっ、俺は望美が好きだからね」

「はいはい、またそんなこと言って…」


望美はいつものことと思って、相手にしていないが朔と敦盛は知っている。

女遊びが派手で有名なヒノエだが、望美に向ける顔が、他の女性に向ける顔とは違うことを。

そう、それは愛しい人に向ける、恋をしている顔。




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