長編
□抱き締めて、囁いて
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どんなに容姿が端麗であろうと、異性にもてようと、好きな人に振り向いてもらえないなら意味はない。
秀才だと言われてどんな問題でも解けようと、恋の仕方なんて、想いの伝え方なんてわからない。
きっと答えは一つではなく、何通りもあるのだろうが、一つ見つけるのだった大変だ。
「…甘い…」
弁慶は少し疲れた顔をしながら保健室で一人、椅子に座りコーヒーを飲んでいた。
さっきまで、多数の女子生徒が授業が終わったからとやって来ていた。
正直、生徒達と話すのは好きだがこう毎日続くと仕事もはかどらない、むしろ煩わしく思ってしまうこともある。
生徒の一人が弁慶にコーヒーを入れてくれたのだが砂糖が入っていて、普段ブッラクを好む弁慶には甘すぎた。
「…そういえば、ここの所望美さんは来ないな…」
高校に入学したばかりの頃は望美もよく弁慶に会いに保健室へ来た。
でも、いつしか保健室が休み時間の度に女子生徒で埋め尽くされるようになって、望美の姿も見かけなくなった。
生徒を無下にすることもできなく、誰にも愛想を振りまいていたが、いまさら少し後悔している。
本当に自分が会いに来てほしい人を結果的に遠ざけてしまったのだから。
はぁ…と息を吐き、首を振った。
…僕は仕事中に何を考えているのだろう。
そもそも生徒である望美にこんな気持ちを抱いていることから、保健医とはいえ教える立場が失格な気がするが。
コンコン…
ドアを叩く音が聞こえ、パッと視線を向けると一人の青年が入って来た。
「景時」
弁慶は入って来た青年の名を呼び、椅子から立ち上がった。
青年の名は梶原景時。
弁慶とは同じ時期にこの高校に赴任してきた教師であり、望美の親友の梶原朔の兄でもある。
「少しコーヒーを飲みに来たんだけど、いいかな?」
「構いませんが、コーヒーは職員室にもあるでしょう」
まぁまぁ、固い事は言わずに…と言うと、景時はコーヒーの沸かし始めた。
景時は弁慶より二つ年は上だが、景時の気さくな人柄のお陰か教師陣のなかでは一番仲が良かった。
それにどういう縁か、九郎と景時も知り合いで三人で会うとことも珍しくない。
「あのさ弁慶、ちょっと生徒から聞いた噂なんだけど…」
「噂?」
「うん、君の甥のヒノエ君と九郎の所の望美ちゃんが付き合っているって…」
ゴホッ!
弁慶は飲んでいたコーヒーを思いっきり喉に詰まらせた。
「ちょ…弁慶、大丈夫かい!?」
「コホッ…ええ、大丈夫です。…それより何ですか、その噂は…」
まず、ありえないだろう。
今朝あった望美はいつも望美だったし、ヒノエも特に変わった様子はなかった。
それに、望美に彼氏が出来たら父親代わりといっても間違いじゃない九郎が黙っているはずがない。
「あれ、弁慶が知らないってことはデマかぁ〜」
「…間違いなくそうだと思いますよ」
「でも仲は良いよね、あの二人」
「……そうですね」
景時には悪気はないのであろう。
けれど、弁慶にとったら胸が締め付けられる思いだ。
ヒノエは少し女遊びが派手な所があるが、本当に好きになった人はとても大切にする。
それに自分よりも望美とは年も近く、クラスメイトであって一緒にいられる時間も多い。
彼の方が自分よりも彼女に釣り合っているように感じてならない。
「…お似合いだと思いますよ、ヒノエと望美さん」
「そうだよね!二人共もてるからね、それにさっきも…」
「え?」
「さっきここに来る途中に見かけたんだけど、望美ちゃんまた裏庭に呼び出されてたよ」
弁慶は一瞬、瞬きすら忘れて固まった。
●○●○●○
「その、前から春日さんのこと前からいいなって思ってたんだ。…俺と付き合ってくれない?」
望美の通う高校はまだできて新しい新学校ということもあって、綺麗で広い。
しかし、裏庭の辺りには木々が無鉄砲に茂っていて普段は誰も通らなく、人目に付きにくい。
授業が終わり放課後になり、太陽が沈みかけ真っ赤な夕日が辺りを照らしている。
望美は部活をしてないので真っ直ぐ家に帰ろうとしていた所、隣のクラスの男の子に呼び出されたのだった。
実は度々こういうことはあって初めてではない。
自分では自覚はないが、望美はそこそこもてる。
「ごめんなさい…私、好きな人がいるんです」
告白をされて、いつもこう返事をする。
そう、望美には3年前から変わらず好きな人がいる。
望美よりも少し年上で、優しくて、温かい笑みを見せてくれる人。
…私は…弁慶さん以外考えられない。
告白をされる度に望美は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
彼氏がいなくて、好きな人がいると言うが誰なのかは言えない。
言った所で、相手は学校の保健医で自分は生徒で本気だと思ってもらえるかも微妙だが。
「そっか…。春日さんの好きな人って、同じクラスのあの赤髪のやつ?」
「えっ!?」
…同じクラスの赤髪って…ヒノエ君のことだよね?
いくら弁慶とヒノエが叔父と甥であっても、望美は惹かれ好きだと思うのは弁慶だけだ。
初め、弁慶とヒノエの関係を知ったときは微妙に似ているなと思っていたから妙に納得してしまったが全く別の人間だ。
「違うよ!ヒノエ君はただの友達だよ!」
「そうなんだ?二人はすでに付き合ってるって噂を聞いたんだけど…」
「違う!違う!」
一体どこからそんな噂がと思いながら、望美は首を振った。
確かに学校ではヒノエと一緒にいることは多いが二人きりということは滅多にない。
朔とヒノエと敦盛の四人で一緒にいるのだから。
「…俺にはもうチャンスはないかな?」
「…ごめんなさい」
「そっか…。あっ、そんな顔しないで!俺こそごめん、困らせて…」
「ううん。気持ちは嬉しかった…ありがとう」
俺こそありがとう…と言うと、男の子は裏庭から去っていった。
望美はその姿が見えなくなるまで、ぼーっと突っ立っていた。
…すごいなぁ、私は今の関係が壊れるのが嫌で告白すらできないのに…。
今の弁慶との関係が居心地が良く、前に進めなかったが、告白をされる度にいつも思う。
こうして自分に想いを精一杯伝えてくれる人がいるのに、行動も起こさない自分はずるいんじゃないかと。
「望美」
「ひゃっ…!」
突然声をかけられたことに驚き、望美はびくっと肩を揺らした。
振り返ればそこにはヒノエがいて、こっちに近づいてきた。
真っ赤な髪が夕日のせいでさらに赤々しく見えた。
「もう、ヒノエ君!後ろからいきなり声かけないでよ」
「悪い、悪い」
そう言いながら、ヒノエと呼ばれた少年は悪びれた様子も見せず笑っていた。
「悪いな、偶然通りかかったから見てた。…望美は相変わらずモテモテだな」
「ヒノエ君ほどじゃないよ」
「いや、そんなことないって。それに…もてたって、本当に好きなやつに好きになってもらえなきゃ意味ないだろ」
「…そうだね」
…どんなに私のことを好きになってくれる人がいても、弁慶さんじゃないと意味ないんだ。
でも…弁慶さんは大人で、私は生徒で、まだ子供で…全然釣り合わないよ…。
「ねぇ、ヒノエ君…」
「ん?」
「ヒノエ君は好きな人いないの?」
望美の質問にヒノエは一瞬ひるんだように目を見開き、苦笑した。
「…そういう望美はどうなんだ?」
「私?…私は、いるよ。…ずっと前から…大好きな人が…」
「……そっか、……俺もいるよ…ずっと前から好きなやつが」
「ヒノエ君も?お互い実るといいね」
「あぁ…」
「でも、ヒノエ君にならきっと大丈夫だよ!」
「…どうしてそう思うんだ?」
「ヒノエ君に想われて、断る人なんてきっといないよ!」
望美は気付いてなかった、ヒノエが何か覚悟したように望美を見つめていることを…。
「じゃあ…望美だって言ったら?」
「え…?」
「俺が好きなのは望美だよ」
真摯な瞳に見つめられて、望美は息を呑んだ。
「や…やだ、ヒノエ君ったらまた冗談ばっかり…」
望美は視線を外そうとしたが、ヒノエに腕を取られ敵わなかった。
「…冗談じゃない、好きなんだ」
「ヒノエ君…」
「俺と付き合ってくれ…」
こんなに近くにいたのに、どうして私は今までヒノエ君の気持ちに気付かなかったんだろう…。
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