長編

□抱き締めて、囁いて
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ジリジリジリジリジリ…


朝7時。

いつもの様に目覚まし時計が鳴り、目を覚ます。

普段ならベットからすぐに起き上がることは出来ないのだが、今日はすぐに起きる事ができた。

望美は鳴り響く目覚まし時計の音を止め、手鏡を取り覗き込む。

鏡で自分の顔を見るが、特に変わったところはない。

しかし今までの自分とはどこか違う気がする。














3章 内緒の恋人















こんな日が来るなんて夢にも思っていなかった。


『僕は君が好きです…』


夢だったんじゃないかと思って、何度も頬をつねって現実だと確かめた。

頬に伝わる痛みがこれが現実だということを教えてくれる。

思い出すだけでも、顔が赤く染まり自然に口元が緩んでしまう。

施設にいた頃は考えられなかったことだ。

あの頃は九郎以外の人間を信じることなどできなく、いつも孤独を感じていた。

自分でも、驚くほど変わったと思う。


…私…こんなに幸せでいいのかな。

九郎さんがいて…優しい友達がたくさんいて…

ずっと好きだった人…弁慶さんが私のことを好きだと言ってくれた…。

ずっと、今が続いてほしい…。

……ああ、駄目だ。

幸せなのに不安になってしまう。

お父さん、お母さんみたいに…いつか大切な人がいなくなってしまうんじゃないかと不安で仕方ないの。

駄目、こんなことばかり考えたら駄目。

先の分からない未来よりも、今ある幸せを見つめよう。


ふと、小さな振動の音がして目をやると、机の上に置かれたマナーモードの携帯が震えていた。

画面を開くと、一通のメールが届いていた。

送信者の名前は『弁慶さん』。


『―おはようございます、望美さん。

今日、学校に着いたら保健室へ来てくれませんか?

話したい事があります。

…それに何より、朝一番に君に会いたい。―』


望美はボッと顔を赤くして、急いでメールを返信した。


『―おはようございます、弁慶さん。

わかりました、学校に着いたらすぐに保健室に行きますね。

…私も弁慶さんに会いたいです。―』


返事を送った後に妙に恥ずかしくなった。

ブンブンと首を振り、クローゼットから制服を取り出し着替えると、朝ご飯を作りに台所へ向かった。



台所へ向かうとすでに起きていた九郎が朝ご飯を準備しているところだった。

コンロに向かって立っていたが、目が虚ろで望美にも気付いていないようで明らかに寝起きだと思わせた。

フライパンで目玉焼きを焼いているようだったが、少し焦げていた。


「九郎さん!焦げてるよ!」

「え…ああっ!!」


九郎は慌てて火を止め、目玉焼きを皿に盛り付けた。


「もう、九郎さんってば寝ぼけて料理していたでしょう!?」

「うっ…」


図星を突かれて、九郎は視線を逸らして苦笑した。


「眠いならもう少し寝ていていいよ、私がご飯作るから」

「いや、ここの所望美にばかり作らせて悪いと思って…」

「そんなこと気にしなくていいよ!九郎さんはお仕事が忙しいんだから」


九郎は外資系の会社で働いていて朝も早く、夜帰って来るのもあまり早いとは言えない。

帰りが遅い時は深夜になることもあり、望美が先に眠ることもあった。

それに年に数回、外国へ短期で出張へ行くこともある。

忙しい九郎を気遣って、望美はできるだけ家事はしてあげたいのだった。


「望美、最近は学校はどうだ?」

「すごく楽しいよ!心配しないで」

「そうか、まぁ弁慶もいるし、もし困ったことがあったらあいつも頼ればいいぞ」


あ…そうだ、九郎さんに弁慶さんとのこと話してない…。

この様子だと、弁慶さんからは聞いてないみたいだよね。

別に隠すことでもないし、言っても…いいよね?

…一応、今日弁慶さんに会ったら聞いてみよう。


「どうした、望美?」

「ううん、何でもないよ。いただきまーす!」









●○●○●○









保健医の弁慶は女子生徒の憧れの的。

休み時間にはいつもたくさんの女子生徒が保健室へ、彼を目当てに集まってくる。

他の生徒と一緒に思われることが嫌で最近来ることを敬遠していたので、望美は久しぶりに保健室に来た。


コンコン…


ノックの後の返事でドアを開くと、保健室独特の薬品のような匂いが漂ってきた。


「失礼します…」


そういって望美は部屋に足を踏み入れると、白衣を纏った弁慶がいた。


「おはようございます、望美さん」

「お、おはようございます…弁慶さん!」


後ろ手でドアを閉め、保健室に他に誰もいないと見渡し確認すると、そっと弁慶に近づいた。


「…あの、話って」


普通にしなくちゃと思うと、余計に緊張してしまう。

生徒と先生でも、今の二人は彼氏と彼女、恋人同士なのだから。


「とりあえず、座ってください。コーヒーを入れますよ」

「ありがとうございます…」


淹れたての熱々のコーヒーを渡され、望美はふぅ〜っと少し冷まして口に含んだ。


「おいしいです」

「ふふ、そうでしょう?学校のものではなくて、僕が自分の家から持ってきたものなんです」


弁慶は自分にもコーヒーを入れて、フッと息を吹きかけ冷まして飲んだ。


「そうだ、望美さん。分かっていると思いますが、僕たちのこと…」

「あ、はい。学校のみんなには内緒ですよね」

「ええ、でも望美さんが信用できる方になら話してくださっても結構ですよ」

「それって…朔とかですよね?」

「はい。後、九郎にですけど今度僕がお宅に伺いますので、その時にちゃんと伝えましょう」


お宅に伺うって…何だか、結婚の挨拶に行くみたい…。


ポッっと頬を染めた望美に弁慶は、ん?っと首を傾げながらも、何も聞かなかった。


「それで望美さん、本題なんですが」

「はい」

「今度の日曜日、一緒に出掛けませんか?」

「え…」


それって…デート、だよね?


「い、行きます!行きたいです!!」


瞳を輝かせる望美に、弁慶はクスっと笑みを見せた。


「良かった、では詳しい事はまた後ほど…」

「はい!あ…でも」

「でも?」

「あの…もし知り合いに見られたりしたら…私はともかく、弁慶さんが大変なんじゃ…」


いくら恋人同士だとはいえ、世間的には生徒と先生という関係。

二人が好き合っていても周りはそうは思ってくれないだろう、むしろ理解をしてくれない人の方が多いかもしれない。


「少し遠出をしようと思っていますから大丈夫ですよ、僕が車を出しますから」

「そうですか!それなら、大丈夫ですよね」


弁慶は眉を下げ、申し訳なさそうな顔をして笑った。


「すみません…本当なら堂々、恋人と周りにも言いたいのですが…君にも僕にも立場があります」

「そんなのいいんですよ!それに弁慶さんのせいじゃないです!」

「…いつか辛く思う時が来るかもしれません」

「大丈夫です。私、高3だしすぐに卒業ですよ!」


大丈夫、大丈夫という望美とは対照的に弁慶は心配そうに望美を見つめた。


「それに…私、恋人になれただけで十分幸せです…」

「…望美さん」

「え…」


不意に腕を引かれたと思ったら…


ちゅっ



「……」


熱いものが掠れるように頬に触れて離れた。

何が起こったのかわからなくて望美は何度も瞬きを繰り返した。


「…今はこれだけで…今度出掛けた時には唇を下さいね」

「べっ…弁慶さん…っ…」

「ん?それとも今、唇をくれますか」

「いっ、いえ!遠慮します!!」

「ふふ…今度の日曜日楽しみにしていますよ」


肩を抱かれ抱き締められると、再び頬への口付けが降ってきた。

望美は恥ずかしがりながらも、抵抗せずにそれを受ける。


「いつか…旅行とかにも行きたいですね」


望美は耳まで真っ赤にして弁慶の胸に顔を埋め背に腕を回すと、そっと頷いた。


「…いつか、連れて行ってください…」


弁慶は満面の笑みを見せると、最後に額に口付けを落とし望美を解放した。





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