長編
□この愛しさが僕のすべて
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たった一夜の契り。
初めて知った彼女の温もり。
この温かさをもう二度と感じることはない。
彼女と会うことも二度とない。
それでも、願わずにはいられなかったんです。
ずっと焦がれていた彼女を一度でいいからこの腕に抱いて、温もりを覚えておきたかった。
平家と戦いが終わったら時に、僕は自分が生きていられるなんて思っていなかった。
僕が生きているのは、彼女のおかげ。
どうして彼女が僕なんかの為にそこまでしてくれたのか……自惚れていた。
だから彼女に乞うた。
僕の傍にいてほしいと…。
でも…彼女は僕を選んではくれなかった。
元の世界に帰りたいと…はっきりと言った。
それでも僕のことは好きだと言ってくれたから…僕は……嬉しかったんです。
神泉苑で譲君と元の世界に帰る君を見送った。
他の仲間たちもいたけど、僕に配慮してくれたのか少し離れた所で僕と望美さんを見守っていた。
「離れていても…二度と会えなくても、君は僕の大切な人ですよ」
いつもの笑顔でそう言った。
決して悲しさなんて顔には出さなかった。
「…弁…慶…さ…ん」
僕が必死に感情を隠しているのに…君は僕を見上げてぼろぼろと涙を流していた。
「いつだって君の幸せを願っています…だから元の世界で笑っていてください」
「っ…私は…私は弁慶さんのこと絶対忘れませんから…!」
「…いいえ、僕のことは忘れてくださって結構です」
えっ…言うような顔で望美は目の前の弁慶に真摯な視線を向けた。
「…僕のことをいつまでも覚えていたら……優しい君はいつまで経っても他の男性と恋することはできないでしょう?」
君は優しいから…僕のことを元の世界に帰っても想ってくれるかもしれない。
けど…それでは君はいつまで経っても幸せになんてなれない。
僕の願いは君が笑って幸せでいてくれること……たとえ、それが僕以外の男の隣だったとしても。
「僕も君を忘れて他の女性と恋をします……だから君もそうしてください」
嘘だ。
君以外の女性なんて、愛することは出来ない。
君という存在が僕の心をすべて奪ってしまっているのだから。
「……………わかり…ま…した………弁慶さんがそう…いうなら…」
そんな悲しそうな顔しないで下さい。
君を元の世界に帰せなくなってしまう。
「それでは…本当にさようなら………僕の神子殿…」
最後だというのに名を呼んでやることは出来なかった。
『望美』というその名さえ、僕には眩しくて愛しすぎる。
その名を紡ぐ音さえも、僕を君への未練に走らせるから。
その時、僕は彼女に視線を移すことなく背を向けた。
そして少し離れた所にいる仲間たちの所へと行く。
「もう…いいのか?」
九郎が僕にそっと声をかけてきた。
僕は言葉を返すことなく頷いた。
「そうか…。……譲」
「ええ…それでは弁慶さんや九郎さんやみなさん…本当にお世話になりました」
譲は礼を述べた後、礼儀正しくお辞儀をし、望美の元へと駆け寄った。
そして辺りに眩いばかりの光が照らされた。
その光が消えた時、そこには望美と譲の姿は無くなっていた。
元の世界へと、あるべき場所へと帰ったのだった。
弁慶と九郎以外の仲間たちは、しばらくしてその場を離れて行った。
それぞれの帰るべき場所へと。
弁慶はしばらくうずくまるようにその場に座り込んでいた。
その弁慶を気にかけるように九郎が声をかけた。
「…帰ってしまったな」
ぽつりと九郎が呟いた。
「………弁慶」
「………なんですか…」
「…お前はどうしようもない馬鹿者だ……」
「そうかもしれませんね…」
「…そんな風に泣くぐらいなら、お前が望美の世界へと行けば良かったんだ…!」
泣く…?
あぁ…僕は自分でも気がつかないうちに涙が溢れていたんですね。
こんな風に涙を流すなんて何年ぶりのことだろう…。
「どうして残った…!望美を…愛していたんだろう…!?」
「僕は君を捨てられませんから」
「っ…!?馬鹿か!!…お前はっ…!!」
まるで弁慶の涙につられたように九郎の瞳からも涙が溢れた。
「馬鹿者っ…!!」
「…どうして君が泣くんですか」
「お前がどうしようもない馬鹿だからだっ…!!」
「そんなに何度も馬鹿と言わないで下さい…自分がどうしようもない馬鹿で愚か者だということはわかっています」
この時、僕はなんとなくわかっていたのかもしれない。
源氏と平家の戦は終わったけれど…まだすべてが終わったわけじゃない。
これからの戦いのことを。
鎌倉殿という大きな存在が九郎を脅かすであろうと、僕は勘付いていた。
「九郎…いつまでも泣いているわけにはいきません。まずは平家とのことを鎌倉殿に報告しなければ」
「…わかっている」
「九郎、僕はこれからも君を守りますよ」
「…俺じゃなくて傍にいて守ってやるべき奴がいたはずだろう」
「まだその話を引きずりますか、もう終わったことですよ」
もう彼女は手の届かない所へと帰ってしまったのだから。
「さぁ、鎌倉へと行きましょう」
「…あぁ」
まだこの先に待っている、道筋を弁慶も九郎も知る由は無い。
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