長編

□この愛しさが僕のすべて
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平家との戦は終わり、僕は彼女に乞うた。

この世界に…僕の傍にいてほしいと、僕と一緒に未来を歩んでほしいと願った。

しかし、彼女は自分の生まれ育って世界を捨てることはできず帰ってしまった。

一夜の温もりを残して…僕はこうして死ぬまで君のことを想いながら生きるのだろうか。

…それも悪くは無い、僕にはそんな惨めな人生がお似合いであろう。

口を開くと零れるのは自傷気味の笑み…情けない話です…源氏の軍師ともあろう僕が…。

たった一人のまだあどけない少女にこんなに心を奪われるなんて。


「…っ…あっ…」


僕の下で、左右に脚を広げて喘ぐ女性の声に思わずその口を塞いでしまいたくなる。

それは口付けを落としたいということではない、…その喘ぐ声を聞きたくないから他ならない。


「…っあぁ…べん…け…さま…」


潤んだ瞳で女性は僕の首に腕を伸ばしてきて、「もっと…」と強請ってくる。

僕はその女性の願いに応えるため、動きの止まっていた腰を突き付けるように揺らした。

割り切った関係は後で余計なことにならなくていい。

少し甘い言葉を囁くだけで、男に溺れるような女性は相手にしない。

お互い持て余してしまった欲望を晴らすだけのそういう関係が一番楽だ。

しばらく情交を交わして、意識を飛ばしてしまった女性を肌を清めてやった。

布団を肩まで掛けてやり、約束だった値段の金が入った袋を置いて僕はその場を後にした。


「……もうすぐ夜が明けますね…」


早く帰らないと夜の間、抜け出していたことが九郎にばれてしまう。

此処は鎌倉だ、下手に一人で行動したら疑われかねない。

平家の戦の鎌倉殿に報告するためにやって来た僕と九郎だけど…正直、状態は思わしくない。

戦の功績は褒められたものだけど、三種の神器も安徳帝も確保できなかったのだから当然と言えば当然…。

鎌倉殿の再三の厳命だったのだから…。

落ち込む九郎を慰めている場合ではないのだ。

嫌な予感がする…一刻も早く鎌倉を離れるべきだと僕の勘が急かす。

鎌倉殿へのお目通りはまだ適っていないが、今日、一旦鎌倉から離れて京に戻ることとなっている。

こんな夜は普通身体を休ませておくものだけど、無性に虚しくなって女性を求めるそんな気分だった。

その手のことを仕事として働く女性と一夜の関係を過ごしたけど、虚しさは消えなかった。

むしろ、増したように思った。


「……君の代わりになんて…なるはずないのに…」


忘れられるわけ…ないんだ…彼女を…望美さんを…。

彼女の肌を知ってしまった今の僕は、他の女性を抱いていても虚しくてしかたない。

瞳を閉じて、あの一夜を思い出す。

君とたった一夜だけの逢瀬の思い出を…。






* * * *







鎌倉にいる間は梶原邸に世話になっていたが、それも限界だ。

源氏の軍奉行(いくさぶぎょう)で鎌倉殿の腹心である景時が九郎を囲うような真似を長く続ければ、京にいる朔殿や母君殿を巻き込んでしまいかねない。

兄上にお目通り適うまでは京には帰らないと頑なに拒んでいる九郎の言うことを聞いてやれる状況ではない。

僕は無理やりにでも九郎を鎌倉から引き離す、ひとまず今はそうするしかないから。

景時は鎌倉に頼朝様の元に残るであろう…。

もしかしたら、次に会うときは敵となっているかもしれない…。


「…九郎、起きてください」

「ん…」


まだ朝日は昇りきっていない、できれば昇りきる前に鎌倉を発ちたい。

もう少し…と寝ぼけている九郎に苦笑しながら、布団を剥ぎ取り、無理やり起こした。

渋々といった様子で身支度を進める九郎に、僕は苦言を呈した。


「…九郎、いい加減にしてください。今はできるだけ早く鎌倉を離れる方がいいんです」

「しかし…俺は兄上に…」

「鎌倉殿が兄弟の情などに流されるような人ではないと、僕より君の方がわかっているでしょう?」

「っ…!」


九郎は何か言い返したそうだったけど、図星だったのだから言い返しては来なかった。

鎌倉殿と九郎は血の繋がった兄弟ではあるけど、育った環境も、地位も、何もかもが違う。

河内源氏の当主であった源義朝(よしとも)様とその愛妾であった常盤御前(ときわごぜん)様との間に生まれた九郎は、義朝様の九男。

そして鎌倉殿は、義朝様の三男ではあるけど正室の由良御前(ゆらごぜん)様との間に生まれた。

正室の子と、側室である愛妾の子とは随分と扱いも違うのだ。

素直で心優しい九郎とは違う…鎌倉殿は野望のためなら情け容赦するような方ではない。

だから僕が…九郎を守ってやらなければならない。


「行きますよ、九郎…鎌倉に長居は無用です」

「…ああ…」


じわじわと迫りくる追い詰めるような足音はきっと間違いではない。

鎌倉殿は九郎を切り捨てるつもりだ…戦で功績を立てて、力を付け過ぎた彼が邪魔になったのだろう。

でも…そうはさせない…。

僕は彼の腹心となった時に決めたから…守ることを、平和のために血を流すことを…。

今思うと、望美さんが元の世界に帰ってよかったのかもしれない。

この世界にいれば彼女を間違いなく巻き込んでしまっていたことだろう。

君は君がいるべき世界で…幸せに…、僕とは違う男の隣で…微笑んでいてくれれば…。

できれば、本当は僕が君の隣にいられたらと思うけど、君が幸せなら…それでいい。


「お世話になりました…景時によろしくお伝え下さい…」


景時の母君に軽く会釈をして、僕と九郎は静に鎌倉を去った。

京に戻ったからといって安心できるわけではないけれど、鎌倉にいるよりはましだろう。

この先待っている道が棘道でも戻ることはできない。

不思議と恐ろしいとも思わない…きっとこの時から僕の中には覚悟があったのだろう。

自らの命の終焉を迎える覚悟が…。



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