長編

□抱き締めて、囁いて【番外編】
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仕事を終えた望美は自宅へ帰る電車の中にいた。

家から三駅ほど行ったところに職場があるので、それなりに近場だ。

帰りの電車はいつも込んでいるが、たった三駅ぐらいなら満員電車でも我慢できる。

しかし、今日は珍しく空いていて望美は席に座ることができた。

仕事の疲れのせいだろうか、次第に瞼が重たくなり望美は眠りについた。

気がつけば、降りるはずの駅はとっくに通り過ぎていた。

慌ててひき帰したものの、普段変える時間よりは随分遅くなってしまった。


「はぁ…」


思わず大きな溜息が零れる。

携帯を開くと、メールが数件と着信が入っていた。

ドキリと望美の心臓は跳ねる。

一つのメールは九郎から、今日は仕事が煮詰まって帰れそうにないというもの。

そして、もう一つ…弁慶からだ。


『望美さん、今どこにいるんですか!?』


『仕事はとっくに終わってる時間ですよね?お願いですから返事をください…』


着信も、もちろん弁慶のものだった。

留守電のメッセージにも同じような内容の言葉が残されていた。

弁慶はまだ仕事中のはずだが、と望美は首を傾げた。

何か、必死に自分を探しているようなそんな内容だ。



「…まさか」



望美は降りるべき駅に戻ってくると、急いで家に向かった。


髪が乱れるのも、人目も気にすることなく走った。


駅から望美の家までは歩いて十五分ぐらいの距離だ。


その距離は望美は休むことなく走った。


こんなに必死に走ったのは高校の頃の体育の授業以来だ。


家の前には、良く見知った車が止まっていた。


そして…




「…弁慶さん」


車のすぐ横にはずっとずっと会いたくて仕方なかった人がいた。

琥珀色の髪をなびかせ、顔には少し影が見えた。

望美の声に反応して顔を上げた彼の顔はどこか泣きそうに歪んでいた。

その顔に望美も驚き、どう声をかけていいのか迷った。


「弁慶さ…」


望美が名前を呼びきる前に、腕を引かれ強く抱き締められた。


「べん…け…さん」

「っ…今までどこにいたんですか!?仕事はとっくに終わっている時間でしょう、…どうして返事をくれなかったんですか!」


望美を抱き締める弁慶の身体は震えて小さく感じた。


「…ずっと…ここで私を待っていてくれたんですか?」

「そうです…やっと、君に会えると思ったのに…君は家にいなくて…電話をしても出てくれないし、メールを送っても返事をくれないし…」


心配したんですよ…とか細く言葉を紡ぐ弁慶に、望美はズキンと心が痛んだ。

そうだ、会いたかったのはお互いなのだ。

それなのに、自分だけが会えないことを悲しいように感じていた自分を恥じた。

こんな風に心配までさせてしまった。


「…弁慶さん…仕事は…?」

「ヒノエに頼んで早めに上がらせてもらったんです…君を…悲しませてしまったから…すみません」

「違っ……私の方こそ…ごめんなさい…弁慶さんの気持ち考えてなくて、自分のことばかり…」

「望美さん…」


抱き締められていた腕を解かれると、そっとどちらかもなく唇を求めた。

久しぶりに感じる互いの温もりに、何度も口付けを求め合った。

いくら夜で辺りは薄暗いとはいえ、住宅地で望美の家の目の前だ。

近所の人に見られて噂にでもなれば、恥ずかしくてこの辺りを歩けないだろう。

それでも、そんなことも頭には入らないぐらいお互いしか見えていなかった。


「んっ…」


すっかり目がとろんとした望美に弁慶は微笑んだ。

目がもっとほしいと訴えているように見えたのは気のせいじゃないだろう。

弁慶が再び望美に口付けようと唇を寄せる、すると。


「だ、駄目っ!!」


望美が弁慶の唇を手で覆い、とっさに顔を背けた。

それには弁慶もムッと不快そうな顔を向けた。

今、ついさっきまで与える口付けに酔っていたではないかと。


「…どうしてですか?」


不満を顔には出さないように、弁慶は望美に聞き返した。

すると、望美は顔を真っ赤にしながら言った。


「こ…ここがどこだと思っているんですか!?うちの目の前ですよ!誰かに見られたらどうするんですか!?」

「…さっきまで気にもしてなかったじゃないですか」

「うっかりしていたんです!!」

「望美さん、そんなに大きな声出すと余計に誰か来るかもしれませんよ」


ハッと望美は慌てて口を押さえた。

こんな所で話込むのもなんだと、弁慶の背を押し、「とりあえず入って下さい」と家の中へと入れた。

九郎は今日は仕事の都合で帰ってこなく、必然的に今は誰もこの家にいない。

つまり玄関の鍵をカチャリと閉めたその瞬間から、この家には望美と弁慶の二人だけの空間となった。

望美は自分の部屋に弁慶を座らせると、コーヒーでも淹れてきますとリビングへ向かおうと背を向けた。

しかし、ドアノブを捻ろうとした時、後ろから弁慶に抱き締められた。


「弁慶さん…?」

「…そんなものは要りませんから、だから…今は僕といてください…」


その言葉に望美は頷き、ドアノブから手を離す。

抱き締められていた腕が解かれたと思ったら、今度は腕を引かれた。

意図が分からずに困惑している望美に構うことなく、弁慶は腕を引き、そしてベットにと押し倒した。

大きな瞳を数度瞬きをして、やっと自分の置かれている状況を把握した。


「弁慶さん…!何するんですか!」

「…おや、言葉にしてほしいんですか?君を押し倒しているんですよ、そしてこれから…」

「わぁー!!きゃあ!!言わなくていいです!!」


まるで林檎のように真っ赤な顔の望美に弁慶は「そうですか」と意地悪そうに笑った。

いつの間にか、服のボタンを一つ、二つと外されていることに気がつき望美は必死に抵抗した。

しかし、男である弁慶の力に敵うわけはなくあっさりとすべてのボタンが外されてしまう。


「やっ…」


弁慶がうなじに唇を寄せてきた。

吸い付くように、紅の跡が落とされる。


「ちょ…!そんな所に付けたら…」

「他の人に分かるようにつけたんですよ…君が僕のものだと」

「何馬鹿なこと言ってるんですか!」

「僕は本気なんですけどね…。では、見えない所ならいいですか?」


恥ずかしそうに視線を逸らしながらも、望美は小さく頷いた。

その反応に、弁慶は心底嬉しそうな笑みを見せた。


「仲直りの意味を込めて…君を愛したいんです」

「…それだけ?」

「ふふ…いいえ。長い間、君に会えなくて、触れれなくて…僕も、もう限界です。君がほしい…」

「……私だって…………です…」


聞き取れないぐらい小声で望美が紡いだ言葉は、大体何と言ったかは見当はつき弁慶の気持ちを洩るしかなかった。

弁慶はシャツのボタンを二、三個だけ外すと、望美に啄ばむような口付けを送った。

少し乱れたシャツの間から見える鎖骨が弁慶の色っぽさを増して見せた。

本人に言うと怒られてしまうかもしれないが、弁慶は女性に負けにぐらい綺麗だ。


「んっ…っ…」

「…今日は九郎は何時ぐらいに帰ってくるんですか?」


行為の最中に九郎が帰ってきては笑い話にもならない。

弁慶は現在の時間を腕時計を見ながら、望美に尋ねた。


「今日は…九郎さんは仕事が忙しいみたいで帰ってきません…」

「そうですか、好都合ですね」


弁慶が同意を求めると、羞恥に顔を染めた望美は「馬鹿っ…」と小さく呟いた。

いつもは弁慶の家でというシュチュエーションだったので、望美の部屋でというのは初めてだ。

そのせいか、望美はどこか落ち着かない様子であった。

しかし、行為を進めるうちにいつものようにすっかりと弁慶に翻弄されてしまいそれどころではなくなった。

会えなかった分の時間を埋めるように、弁慶は望美を愛した。

翌朝、すっかりと腰を痛めてしまった望美は渋々と仕事を休むこととなった。

そして弁慶も、望美に付き添う為…というのは表向きで、望美と一緒にいたいと仕事を休んだ。

ヒノエに欠勤の電話を入れると、てっきり苦言を言われると思っていたがあっさりと了解してくれた。

不思議に思い聞いてみると、「あんたの為じゃない、望美の為だ」と言われた。

ヒノエはかつて望美に想いを寄せていて、今でも良い友人として付き合っているから、その配慮だった。

もちろん、しっかりと給料は引いとくからなとは言われたが。

朝はせっかくの二人でいれる甘い時間を堪能して、昼から弁慶が行きたいところがあると望美を連れ出した。

望美は車の助手席で揺られながら、弁慶にどこへ行くのか尋ねた。

しかし、「すぐにわかりますよ」とそれだけだった。

目的地に次第に近づき、望美はどこに向かっているのかを察した。








* * * *








着いた場所は墓地だ。


ここには望美の両親が眠る墓がある。


別に今日は命日でも特別な日でもない。


どうして弁慶がここに自分を連れてきたのか首を傾げた。


ひとまず、墓石を綺麗に拭き、花を備えて、線香を立てて手を合わせた。



「…ね、弁慶さん」

「はい」

「どうしてここに…?」


ただの墓参りに連れて来たとは思えなくて、望美は問いかけた。

すると、弁慶は急に神妙な顔をして望美と向き直った。

それにつられるように、望美も顔を強張らせた。


「あぁ、そんな顔しないで…別に悪い話をしようっていうんじゃないんです」

「そ、そうですか…」


ほっと望美は胸を撫で下ろした。


「…君のご両親にちゃんと伝えていなかった思いまして」

「え…?」


何を?と望美が言葉を紡ぐ前に、弁慶が望美の両親の墓の前の地面に膝を付いた。


「弁慶さ…」

「望美さんを愛しています、必ず幸せにします…だから僕に望美さんをください」


その弁慶の顔は真剣そのもだった。

望美との結婚のことは父親代わりの九郎にはちゃんと了承を得ている。

けれど、いつか望美がうわ言のように呟いたのだ。

『…お父さんやお母さんがいたら……結婚のこと言ったら喜んでくれたのかなぁ…』と。

望美の両親はすでにこの世にはいない。

現実的にそんなことはわかっている。

でも、弁慶はケジメとして望美の両親に言いたいとずっと思っていたのだ。

これから、望美と一緒に歩んでいきたいこと。

どれほど、自分のとって大切で必要な人なのかということを。


「っ…べん…け…さん…べ…け……さ…ん…」


涙で嗚咽が零れ、うまく言葉を紡げない。

けど、手を伸ばすと弁慶はすぐに握り返してくれた。

頬を伝う涙を拭ってくれた。


「…長い間待たせてしまってすみません…もうじき僕の仕事にも一段落つきます」


以前に贈った望美の薬指に輝く指輪に口付けを送りながら弁慶は微笑んだ。




「あらためて言わせて下さい……僕と…結婚してください…」




「はいっ…」





出会いからどれくらいの時が流れただろう。


色んなことがあった、時には擦れ違ったりもした。


でも、きっとその全てはこれからの未来を共に歩むための一欠けらだったのだろう。


もう、離しはしない。



僕の



私の



愛しい人―…。






END










【あとがき】

『抱き締めて、囁いて』これで本当に終わりです。

ここまでありがとうございました!


2008.7.29 麗華
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