長編
□destiny lover
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「…帰ってきちゃった」
あの後、結局弁慶が来るのを待たずに望美は家へと帰って来てしまった。
将臣には少し疲れたから先に帰るねと言い残して。
望美の様子がさっきまでと違うことに気がついた将臣は「どうした?」、「大丈夫か」、と声をかけてくれた。
弁慶のことは将臣に任せて、望美は迎えの使用人たちに付き添われて早々に帰宅したのだ。
将臣にも弁慶にも悪いなと思いつつ、この場所にずっといれる気がしなかった。
『弁慶様には相応しくないわ』と言われた言葉が頭に渦巻いてる。
どうしようもなく嫌な気持ちが溢れてくる。
「…何…?この気持ち…」
嫌だった、弁慶さんのことをわかっているように話すあの人達が…。
釣り合わないと言われて、傷ついている自分がいる。
私と弁慶さんが身分違いだって…そんなこと初めからわかっていたことなのに…。
今更どうして…こんなに悲しいの…?
別にいいじゃない…身分違いだって、私と弁慶さんはただの友達なんだから…。
私が好きなのは…将臣君で、別に弁慶さんなんて……。
「望美?入っていいかしら…」
自室の扉の向こうから朔が声をかけてきた。
社交界から随分早い帰宅をして、部屋に閉じ篭ってしまった望美を心配しているのが声でわかる。
正直、今は一人になりたかった。
でも朔には以前に、一人で考え込まないでねと言われている。
変に心配をかけることは望美もしたくない。
どうせ一人で悩んでいても、何も解決しないのだから、話を聞いてもらった方が少しは落ち着くかもしれない。
「…朔、いいよ。入って…」
このモヤモヤした心苦しい気持ちをどうにかしたかった。
この気持ちが何なのか知りたかった。
それさえはっきりとすれば、いつもの自分に戻れる気がしたから。
* * * *
「…雨…」
つい先ほどから雨が降り注いでいる。
望美は雨の日が好きだった。
雫となって落ちる雨音に耳を澄ませれば心が落ち着く気がしたから。
自室のベットの上で、望美はうつ伏せに寝転んでいた。
瞳を閉じると、眠気が襲ってきて夢へと旅立ってしまいそうだ。
将臣に想いを告げられて、弁慶に口付けられてから、一月が経とうとしていた。
あれから、色々あったのだ。
まず、将臣から正式に望美を妻にしたいと、両親に伝えられた。
望美の両親は、弁慶と将臣のどちらを選ぶかは本人に任せると言った。
しかし、“考える時間が必要なのは分かるけど、あまり待たせるのはよくない”とも言った。
望美が選ぶのは一人だ、もしくはどちらも選ばないということもある。
毎日やって来る弁慶と同じように、将臣も望美の元にやって来るようになった。
二人のことは好きだし、一緒にいるのは楽しい。
でも、その裏でただの友達のままではいられないという思いが望美の脳裏に渦巻く。
「…はぁ」
「望美。そんなに溜息なんて零していたら、幸せが逃げていっちゃうわよ」
ベットにうつ伏せになっている望美の隣に、腰掛けるように座る朔がいる。
さっきから溜息ばかり零す望美に、少し心配そうに声をかけた。
「…何をそんなに悩んでいるの?」
回りくどい言い方は一切なしで、朔は直球で尋ねてきた。
「……あのね…社交界で…言われたの、貴方は弁慶さんに相応しくないって…」
「…そう…」
「おかしいの…私…。そう言われて…すごく悲しかった…嫌だった」
別に弁慶さんとは結婚するつもりはないんだから、傷つくことなんてないはずなのに…。
私は…将臣君が好き…ずっとそう思ってた。
でも…最近、自分の気持ちがわからない…。
気がついたら、弁慶さんのことを考えている自分がいる…。
将臣君と二人でいる時だって、ふとした瞬間に弁慶さんを思い出す。
こんなこと…以前はなかったのに…私、どうしちゃったんだろう…。
胸が締め付けられるような、こんな気持ち…初めて…。
「…ねえ、望美」
「ん…?」
「前にも似たようなことを聞いたかもしれないけれど、貴方は将臣殿が好き?一人の男性として」
以前、朔に『望美は将臣殿が好きなのでしょう?』と聞かれた時はすぐに答えを返せた。
“うん”と、はっきりと。
自分が好きなのは将臣だと、迷いはなかったはずなのに…。
「…わからない…」
「どうしてわからなくなってしまったの?」
優しく問いかけてくる朔にちらっと視線を向けて、望美は言葉を詰まらせた。
「……」
「望美……答えは出ているんじゃないの?自分の気持ちに正直になってあげて」
朔と向き直るように座ると、望美は顔を俯けた。
朔からは表情は見えなかったが、髪の間から見えていた耳が真っ赤になっていた。
それにはクスっと朔は笑みを零した。
「望美、顔を上げて?」
望美は言葉では応えずに、ただ嫌だと首を振った。
耳まで赤いのだ、きっと顔は湯気が出るくらい真っ赤になっていることだろう。
望美はこういう恋愛ごとには疎いということは、朔だって十分承知だ。
だから、この初々しく可愛らしい親友にお節介かもしれないが世話を焼いてやりたくなる。
「…わかってるんでしょう?わからないんじゃなくて…認められないだけよ、自分の気持ちに」
「朔…」
「言葉に出してごらんなさい。一度、認めてしまえば簡単なことよ」
自分の気持ちに正直になることは…、と朔は続けた。
しばらくして、徐に俯いていた顔を上げた望美は朔が思っていた通り真っ赤な顔をしていた。
まるで童女のような幼い顔をした望美に、朔は頭をぽんっと撫でてやった。
「……私…弁慶さんが好き」
小鳥の囀りのような小さな声で望美は呟いた。
「ええ、そうだと思っていたわ」
「えっ…、な、な、何で朔がわかってたの?私だって…今…自覚したのに…」
「望美はわかりやすいもの」
さらりと言われてしまった一言に、反論を返せない。
そう、昔からよく幼なじみの将臣や譲にも同じようなことを言われていたのだ。
もちろん望美自身としてはそんなつもりはないのだが。
「は…恥ずかしい…私の気持ちってそんなに周りにバレバレなの?」
「そうねぇ…でも、弁慶殿と将臣殿はおそらくわかっていないわね。近くにいすぎると盲目になるから…ほら、恋は盲目っていうでしょう?」
わかったような、わかっていないような表情の望美に朔は親切に説明してくれた。
つまり、恋におちると理性や常識を失ってしまうということだ。
普段はとても聡い、弁慶や将臣でも望美のこととなると普通ではいれなくなるということ。
「…朔、私って軽い…のかな……ずっと将臣君が好きだったはずなのに…」
「望美は将臣殿と一緒にいるとどんな気持ち?」
「将臣君は…一緒にいるとすごく落ち着く…楽しいなって思う…」
「そう、じゃあ弁慶殿は?」
「弁慶さんは…一緒にいると落ち着かない…胸がざわざわする…もっと一緒にいたいって思うの…」
二人とも好きだって、大好きだって思うのに…違う。
何かが違うの…一緒にいるときや、話すとき、「また明日」って別れる時、将臣君は普通に見送れるのに、弁慶さんには行かないでって思う自分がいて…。
「望美の将臣殿に対する気持ちは恋じゃないわ、もっと別の…そう、家族や兄弟を想うような気持ちね」
「え…」
「望美は弁慶殿が初恋だから…勘違いしていたのよ。恋という気持ちを、ね…」
確かに、将臣といるときは両親といる時と同じような心地よい気持ちになる。
今までずっと家で過ごすことが多く、男性との関わりも殆どない望美は恋という感情もよくわかっていなかった。
小さい女の子が父親と将来結婚するのだとそんな淡い夢を抱くのと同じように、望美も将臣に対する気持ちを恋だと思っていたのだ。
「……将臣君に謝らないと…ごめんねって…」
自分の本当の気持ちに気付いてしまった以上、好きだと言ってくれた将臣の気持ちには応えられない。
望美が本当に、異性として好きなのは弁慶だから。
「そうね、でも…将臣殿なら貴方の気持ちをわかってくれるわ」
「そう、かな」
「ええ、だって望美の大切な幼なじみだもの」
いつだって望美を見守ってきた将臣だからこそ、望美の幸せを願っている。
だから、望美が弁慶を好きだと知ればショックと受けるかもしれない。
でも、きっと祝福してくれるであろう。
将臣とはそういう男だから。
「それで…?望美は弁慶殿と結婚するということかしら?」
「けっ、結婚なんて…そんな…まだ恋人でもなにのに…」
先のことはまだ考えられないよ…と、望美は頬を赤く染めながら呟いた。
やれやれと朔は微笑みながら、少し顔を曇らせた。
きっと、本当に大変なのはこれからだろう…と。
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