長編

□destiny lover
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今朝から降っていた雨のせいだろうか、いつもは美しく光り輝き夜空に浮かんでいる月が雲に隠れてしまって見えない。

弁慶は邸の自室から、窓辺に腰掛けながら夜空を睨みつけた。

会えないのなら、せめて彼女と同じ名を持つ月だけでもこの目に映したかったのに、と。

あの日、社交界で望美と将臣と落ち合うはずが、そこに本命である愛しき人はいなかった。

そして将臣から、望美は気分が悪くなったので帰ったと聞かされた。

望美に会うことを楽しみにしていた弁慶はガックリと肩を落とし、将臣は用件を伝えるとさっさと帰ってしまった。

弁慶も将臣と同じように、早々に邸に帰ろうと思ったが他の貴族の人々に捕まってしまった。

大貴族の跡取りとして人々を軽く足払うわけにもいかずに、暫しつまらない時間を過ごすことになったのだ。

グラスに注がれた赤ワインがまるで血のようだ。

少し渇いている喉を潤すために、弁慶はワインを飲み干した。


「赤ワイン、ね…。あんたがワインとは珍しいな」


突然かけられた声に対してとくに驚くこともなく、弁慶は視線を声の主に向けた。

一体、何度勝手に部屋に入るなと言えばわかってくれるのかと弁慶は呆れた顔をした。


「…僕に何か用ですか?…ヒノエ」


ヒノエと呼ばれた少年は弁慶の兄の息子…甥にあたる。

年は望美と同じぐらいだろう、弁慶には年の離れた兄がいるため甥である少年とはそんなに年齢差がない。


「社交界に出掛ける時は随分と弛んだ顔をしていたくせに、帰ってきた時は眉間に皺寄ってたぜ?」


ヒノエがどこか面白そうな顔をしているのは勘違いではないだろう。

だが、それに乗せられるほど大人気なくもないのだ。


「君には関係ないことですよ」

「ふーん、随分変わった子だって聞くけど、あんたの姫君は」


ヒノエが言っている姫君とは望美のことだ。

何に対しても感心を示さない叔父が、自分から妻にと望んだ少女。

どんな娘か興味があるに決まっている、それはヒノエだけではなく他の貴族の者達もだ。


「…彼女は…望美さんはとても素敵な女性ですよ」


普通の貴族とは違った性質の女性かもしれないが、弁慶にとったら輝くばかりの至宝だ。


「へぇ?望美っていうんだ、可愛い名前だな」

「…ヒノエ、彼女は君がいつもお遊びで付き合うような女性とは違うんですよ」

「おいおい、言ってくれるじゃん。あんただって似たようなものだろう?」


この場に望美がいないことを心から感謝したい。

もしいたらどんな誤解を招いたことかわからない。

遊びとまで言わないが、弁慶は年相応それなりの女性経験はある。

何人の女性とも付き合ってきたし、以前には婚約者もいたほどだ。

でも、弄んだり、誑かすような真似はしていないつもりだ。


「僕はいつも真摯に女性と付き合ってきたつもりですよ、もちろん望美さんのことも真剣です」


弁慶はたくさんの女性と出遭ってきたが望美は一番特別な存在だ。

こんな風に女性を心の底から愛しいと思ったのは望美が初めてで、この人と生涯共にいたいと思ったのだから。

この醜い人の強欲が渦巻く貴族の世界で、初めて見つけた華なのだ。


「あんたがそこまでご執心の姫君か……一度会ってみたいな」

「会わせませんよ」


間も空けずにキッパリと言い切られた、それもにっこりとした笑顔を付きで。

笑っているが、どこかどす黒く見えるのは気のせいか?


「なんだよ、別に会うぐらいいいだろ?」

「よくないです、嫌ですよ」


ヒノエは自分と同じで女性に心を奪われるようなことはない気質の持ち主だ。

しかし、そういう気質の弁慶でさえ望美には出遭ってすぐに心を奪われた。

もしヒノエが望美と会ってしまったら、自分と同じように心を奪われない…とは言い切れない。

将臣という強力な恋敵がすでにいるのに、これ以上増やすなんてもってのほかだ。


「どうせ、あんたと結婚したら身内になるんだから顔を合わすのだって時間の問題だろ」


結婚…身内…そうなればいいとは思っているが、実際はどうなるかわからない。

望美が好意を寄せてくれているのはわかっている、だがそれが弁慶と同じ気持ちの想いなのかは定かでない。

思わずとはいえ、合意でない口付けまでしてしまった。

あの時の望美は本気で怒って、そして涙ぐんでいた。

正直焦っている自分がいるのだ、望美と出遭ってもうじき半年は経とうとしている。

この胸に募る想いは今までも何度も伝えてきたが、望美に伝わっているのか…。


「…結婚、できればいいんですけどね」

「は?」

「まだ恋人ですらないので…もしかしたら君に会わすことさえできないかもしれません…」

「え、マジ?じゃあ、まだ何もしてないわけ?」


口付けだけならすでにしてしまったが、一方的なものだ。

恋人ではない、でも友人ともいい難い微妙な関係がいつもで続くのか。

この関係が終わる日は一体いつだ、その終わりを告げる時に望美と恋人として隣にいるのか、それとも…。


「あんたで落ちない姫君ね…余計に興味が湧いた」

「…ヒノエ」

「冗談だよ、冗談。人の女を奪うほど悪趣味じゃないぜ、そんなに睨むなって」


鋭い叔父の視線に、ヒノエは「退散、退散」と部屋を出ていった。

一人になったこの部屋はとても広く感じた、余計な家具や荷物もなくただ広さだけが目立つ。

心が氷のように冷たくなっていくのを感じながら、望美と一緒にいるときの温かさを思い出す。

思い出すだけで安らいでいく心に、自分がどれぐらい望美に囚われているかあらためて実感する。


「望美さん……好きです…」


窓辺に腰掛けながら、雲に隠れて見えない月を見上げる。

月に望美の笑顔を思い浮かべながら…。







* * * *







もっと早く自分の気持ちを自覚できればよかった。

そうすれば、私を好きだと言ってくれた将臣君に対しても余計に傷つけることはなかったかもしれない。

朔の言った通り、私は将臣君のことは幼なじみとして好きだったんだ。

そして…弁慶さんは男の人として、好きなの…。

心が温かくなって、一緒にいると胸がドキドキする。

これが恋なんだ、初めて知ったこんな気持ち…恥ずかしくて顔が赤くなってしまう。

落ち着かなくて…不思議な気持ちだけど…すごく素敵な気持ち…。

だから、私は弁慶さんの気持ちに応える前に…しなくてはいけないことがある。


「将臣君…」

「よっ、どうした?話があるって」


弁慶のことが好きだとそう自覚したのなら、決着の着けないといけないことがある。

好きだと告白してくれて、妻にと求婚してくれた将臣に対して誠実に応えなければいけない。

『話したいことがあるんだけど、会えるかな…?』と将臣に連絡をいれるとすぐに会いに来てくれた。

笑顔で接してくれる将臣は、望美の大好きな幼なじみの彼だ。

子供の頃から将臣が好きだとそう思っていた、でもその気持ちは恋ではなかった。


「あのね…私…」


将臣のことを傷つけてしまうかもしれない、でも本当の気持ちを伝えることが望美の精一杯の彼に対する親愛だ。

いつだって望美に優しくて、支えてくれた大事な人だ。

その将臣だからこそ、もしかしたら望美の気持ちに聡い彼は気付いているのかもしれない。

だから、何も言わずにここに会いに来てくれた。


「ん、なんだ?」

「前に私のこと…好きだって言ってくれたよね、その返事…」


ゴクンと新鮮な空気を大きく飲み込んだ。

少し声が震えた、もし将臣に嫌われたらどうしよう…と。

将臣はきっとこの先も幼なじみとして良く付き合ってくれるだろう、けれどもし…と胸に不安が過ぎる。


「…わた…しっ…」

「望美」


言葉に詰まる望美の肩に、そっと将臣が手を置いた。

交わった視線がとても優しく自分を見詰めてくれていて、望美の不安がうっすらと解けていく。

まるで兄のような、大好きな幼なじみの将臣の顔だ。


「俺は、お前のことを嫌いになったりしない…一生な。だから、何でも言えばいい…」


――ああ…、やっぱり将臣君は気付いている。

私がどうして将臣君を呼んだのか、これから…何を言おうとしているのか…。

隠しとおせるはずないんだ、だって将臣君だもん。

私の…幼なじみだもの…。

でもね、将臣君への気持ちは恋じゃないけど、それでもすごく好きなんだよ…。



「私……弁慶さんが好きなの…」





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