長編
□destiny lover
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『言わないと、その唇を奪ってしまいますよ?』と言ったのは、そういえば望美さんは答えてくれると思ったから。
その頑なに言わんとする口を開いてくれると思ったから。
僕には以前、彼女の唇を奪ってしまった前科がある、だから冗談には聞こえにくいだろう。
もちろん無理やり口付けなんてしたら泣かせてしまうだろうし、六割は冗談で言った。
ということは残りの四割は本気であるが、それは好きな人に触れたいという男心だ。
しかし、たとえ彼女が口を閉ざしたままでも僕は自分を抑えることができるから、唇を奪ったりなんてしない。
「………です…」
しばしの沈黙の後、望美はゆっくりと口を開いて言葉を紡いだ。
その声が小さすぎて聞き取る事ができなくて、弁慶は「え?」と耳を傾けた。
俯いていて望美の表情は窺えなかったが、髪の間から見えていた耳が赤く染まっていた。
「望美さん、すみません。よく聞こえなかったので、もう一度言ってくれませんか」
弁慶がもう一度と促したが、望美は俯いたままで何も言わない。
怒らせてしまったのだと勘違いした弁慶は、自分の前髪をくちゃりと掻き上げた。
冗談のつもりが…少し本気でもあったが、望美の機嫌を損ねてしまったのは「しまった」と眉を寄せた。
謝ったら許してくれるだろう、望美はそういう人だから、でも本当にそれでいいのか。
望美を機嫌を取り繕って、家まで送り届けて、また「さようなら」だ。
今の関係は悪いものではないけど、いつまでもこの関係を続けるつもりはないのだ。
弁慶が望美に望んでいるのは友人でも恋人でもない、もっと先の関係…これからの時間を共に過ごして生きる妻になってほしいと思っているのだ。
もちろん無理強いはするつもりはない、望美が将臣が好きだと言えば身を引くだろう。
身を引いても、諦めきれるかは微妙だが。
とにかく、そろそろいい加減にはっきりとしたいのだ。
望美に脈を感じられなかったら諦めることだって覚悟しなくていけない。
「…望美さん。無理に言えとはいいません、君が言いたくないなら…それでいい」
いつか、言ってほしい。
こんな嫌な思いをして辛かったのだと、それを聞いてあげることができるのが自分でありたいと強く思う。
他の男ではなくて、自分を見て、話して、愛してほしい。
「でも…君が僕のせいで嫌な思いをしてしまったなら謝らせてください。…すみません、守ってあげれなくて…」
もし、望美と弁慶が恋人にでもなったら正式な婚約者として扱われることとなる。
そうすれば、貴族達の望美に対する風当たりはさらに強くなるだろう。
大貴族の跡取りである弁慶の相手として、相応しくないと陰口だって囁かれよう。
それは弁慶だって予想はしているし、精一杯望美を守るつもりだ。
でもそれでは、望美はただの守られるしかできない娘としてのレッテルを貼られかねない。
まだ恋人でもないうちから望美が他の貴族の嫌がらせにあっていると知っては、じっとなどしていられない。
「同じようなことが…またあったら僕に言ってください。…君を傷つけたこと、後悔させてやりますから」
さりげなく、黒いことを言ったのは気のせいか?
望美は言葉だけでは弁慶の真相がわからなくて、俯いた顔を上げて彼に視線を向けた。
いつものように笑ってはいるが、どこか黒い影が覆っている。
「…弁慶さん、何を考えています?」
「いえ、別に?君に害をなす輩なんて、僕が懲らしめてあげようと思って」
にっこりと笑っているが、望美にもわかった。これは作り笑顔だ。
いや、確かに望美は嫌な思いをしたのは事実だが、弁慶の懲らしめるという言葉がただの説教や注意で済むとは思えない。
弁慶は穏やかな人柄で、その手にしている権力を弱い者に振りかざしたりはしないが、懲らしめると言われた貴族達が逆に心配になる望美だった。
「弁慶さんっ、私は何も望んでいませんから!いいんです、何もしなくて!」
「…そうですか?君がそういうなら、そうします」
ホッと胸を撫で下ろす望美に、弁慶は後ろから周り込ませるようにそっと肩を抱いた。
抱き寄せられて、お互いの肩と肩がこつんとぶつかる。
ベンチで隣に座っていて、肩を触れ合わせ、辺りは暗くなり周りには誰も居ない。
想いを伝えるには、今を逃してしまったら次はいつ機会があるかわからない。
望美は大きく息を吸い込んで、ぐっと拳に力を入れた。
膝の上で握られた拳がスカートに皺を作った。
「あ、あの…弁慶さん!」
「はい」
「あのですね!…聞いてほしい話があるんです…」
「はい、どうぞ。話してください」
どうぞ。話してください。…なんて軽く言われてしまっては言いたいことも言えない。
別に弁慶は望美の話が、そんなに深刻なものとは思っていないのであろう。
今から告白をされるなんて夢にも思っていなくて、いつも通りの彼だ。
「えっと…その…私…」
好きと、その二語を言ってしまえばいいのだ。
たったそれだけを伝えればいい、後はどうにでもなる。
でも、その言葉を紡ぐのにどれほどの勇気がいることだろう。
例えば、小さい子供がピアノの発表会に始めて参加する時、子供はあまりもの緊張に足が震えてくるだろう。
それとはまた少し違うが、望美の足も震えていた。
幸い、ベンチに腰掛けているお陰で崩れてしまうという自体には陥っていないが、これが立った状態だったら震えで地面に座り込んでいただろう。
「っ…ぁ…」
足の奮えだけではない、声まで震えている。
喉に言葉が詰まってしまって、でてこない。
「…っ…」
「望美さん…?」
「………」
「気分でも、優れないんですか…?」
日も落ちましたしそろそろ帰りましょうか、と弁慶がベンチから立ち上がり、望美の手を引こうとした。
その時、弁慶が手を引く前に望美は自分で立ち上がり、二人の距離を詰めてきた。
「え…?」と急にどうしたのか言葉を紡ごうとした弁慶の言葉は出てこなかった。
開こうとした唇に、温かいものが押し当てられたから。
唇を塞がれてしまって、言葉はごくりと飲み込まれた。
「っ…!」
望美に口付けられているのだと、気付くのに少し時間がかかった。
予想外で突然のことに、弁慶ともあろう者が口付けの最中に目を閉じることすら忘れてしまった。
望美の方はというと、きつく目を閉じていて長い睫毛がよくわかる。
口付けといっても、弁慶にとっては本当に子供染みたような口付けだったが、望美からしてくれているのだからしかたない。
どうして今こんな事態になっているのか、ただ少し会いたい話したいと思って望美を連れ出してこうなってしまったのか、頭は混乱するばかりだ。
それに将臣のことはどうなった、どちらが望美に想いを応えてもらえるかという男同士の戦いだったはずなのに。
聞きたいことは山ほどあったが、今は望美から口付けをしてくれた嬉しさに酔いしれよう。
開いていた目をそっと閉じて、望美の唇を感じた。
「………」
そっと離れていく唇に、もう終わりかと名残惜しさを感じてしまった。
視線を絡み合わせて弁慶が望美を覗き込むと、望美は恥ずかしそうに顔を逸らした。
「望美さん?」
「……」
「どうして顔を逸らすんですか?…どうして、僕に口付けをしてくれたのかな…?」
意地悪な男だと、自分でも思った。
望美は遊びで恋愛できるような器用な娘ではないし、そういうことは嫌悪する人だ。
つまり、なぜ望美が口付けをしてくれたかなんて理由は必然的に一つしかないのだ。
「望美さん」
わかっていながら、彼女の名を僕は呼ぶ。
言って…と促すように、君の口からその言葉を聞きたくて…つい強請ってしまう。
「わかって意地悪してるんでしょう!?」という瞳で望美さんが僕を見上げるように睨み付けた。
でも、そんな真っ赤な可愛い顔で睨まれたって、ちっとも怖くないんですよ。
…寧ろ、男を誘っているようにしか見えない。
「…言ってください、聞きたいんです。ちゃんと君の言葉で…」
戸惑うように視線を彷徨わせて、ようやく覚悟ができたのだろうか望美は真っ直ぐ弁慶を見据えて言った。
その唇が紡ぐ言葉の一つ一つに弁慶は耳を澄ませた。
「…好き……弁慶さんが好き……です」
言葉を言い切るのと同時に、弁慶は望美を自分の腕の中に抱き締めた。
ぎゅっと、離すものかと力を込めて、そして優しく抱き締めた。
そして今度は僕から…と口付けを送った。
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